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第116話 長老の負けお尻

 抱っこは嫌だと駄々をこね、今にも泣きそうだった子ネコーは、クロウの腕の中でご満悦だった。


「にゃふふふふ。ちょーろーの、あちゃまが、よくみえりゅ~。にゃんごろー、おおききゅなっちゃっちゃ~。にゃふー」

「にゃんごろーは、別に大きくなっとらんだろう」

「にゃっふっふぅん。ちょーろー、まけおしり~」

「それを言うなら、負け惜しみじゃ! 負けお尻とは、何じゃらほい! いや、そもそも、負け惜しみでもないわい!」

「にゃふふー♪ ちょーろーの、まっけおっしり~♪ まっけおっしりぃ~♪」


 抱き上げられただけで通路を一歩も進んでいないのだが、長老を見下ろせるのが嬉しいようで、ご機嫌で長老と戯れている。長老は「にゃにおう!」と両手を振り上げて応戦していた。相手をしてやっているだけなのか、本気で子ネコーとやり合っているのかは、微妙なところだった。

 子ネコー効果ですっかり元通りの血色を取り戻したクロウは、長老に向かって身を乗り出す子ネコーを落とさないように気を付けながら、いつも通りの涼やかさを保ったままのカザンに尋ねた。


「てーか、カザンは何ともないのか?」

「ああ、問題ない。不思議な力は感じているが、体調に異常はない。これも、ひとえに普段の修行の賜物だな」

「あっそ…………」


 ネコーたちの微笑ましい戯れに耳を傾けつつ、カザンはサラリと答えた。

 聞くんじゃなかった、とクロウは早速後悔した。このまま、修行が足りないなどと小言めいたことを言われるのではと警戒したが、杞憂だった。


「修行が、あだとなることもあるのだな…………」

「……………………………………」


 カザンの関心は子ネコーだけに向けられていて、クロウのことは眼中にないようだ。クロウの腕の中で長老と楽しそうに戯れているにゃんごろーを見つめながら、残念そうに呟くカザン。

 もはや何も言うまい――――と、クロウは無言を貫くことにした。


 やがて、ネコーたちの戯れにも一段落がついた。珍しく長老が劣勢で終わり、白いもふもふ顔は少しばかり不貞腐れている。にゃんごろーの方は、心行くまで長老で遊べて満足そうだ。

 長老を取りなすためなのか、はたまた単に話が終わったタイミングを見計らっただけなのか、マグじーじが出発の号令をかけた。


「うむ。では、そろそろ出発するとしようかの」

「はーい!」

「おっと、そうじゃ。クロウに言っておかねばならんことがある。にゃんごろーを抱っこしていると、壁の中を通り抜け放題じゃからな。さっきまで以上に気を付けるのだぞ? マグを見失わんようにして、ちゃーんと通路を歩くんじゃぞ?」

「………………ハイ。肝に銘じマス」


 本気で不貞腐れていたわけではないのか、マグじーじの号令を聞いた長老はコロッと気分を切り替えて、年長者らしくクロウに忠告をしてくれた。クロウは、背筋に冷たいものが伝わるのを感じながら、神妙な顔でそれに頷く。

 壁の中がどうなっているのか興味はあったが、何処とも知れない不思議空間で、子ネコーとふたりで迷子になるのは御免だった。


 ともあれ。

 流石に今度こそ本当に、魔法の通路を進んで行けそうだった。

 マグじーじは、チラチラ後ろを気にしながら、ゆっくりと歩みを進めていった。足が短い上に、あちらこちらへキョロキョロで足元が疎かだった子ネコーは、今やクロウの腕の中に納まっているので、そんなにゆっくりと歩く必要はないのだが、誰も急かしたりはしなかった。あまり急がせて、子ネコーに気を取られまくりのマグじーじが転んでしまってはいけないからだ。

 クロウに抱っこされたにゃんごろーは、さっきよりも、ぐっとずっと近くなった天井を見上げた。床と同じで、仄かに白く光っている。とても優しい光だ。そのまま、前へと視線を動かす。目線が高くなったことで、より遠くまで見通せるようになった。と言っても、天井の光が照らすのはマグじーじの数歩先までで、その向こうは星のない夜を思わせる真っ暗闇だ。

 光と闇がぼんやりと混ざり合う境目を「ほわっ」と見つめている内に、にゃんごろーは、さっきは見過ごしていた、あることに気づいた。

 にゃんごろーたちは、明るく灯された通路から暗闇に向かって進んでいるはずなのに、一向に闇の中に辿り着けないのだ。にゃんごろーたちが前に進めば進むほど、闇も先へ先へと逃げていく。子ネコーの目には、そんな風に見えた。

 でも、すぐに違うと分かった。

 闇が逃げているのではない。光が、にゃんごろーたちと一緒に前に進んで、どんどん闇を飲み込んでいるのだ。


「ふぉー……。ふわぁー……。マリュりーりが、うごくちょ、てんじょーちょ、ゆかのひかりも、まえにしゅしゅむ…………。ひかりが、ろんろん、まえにのびちぇいきゅ。にゃんごろーたち、じゅっと、ひかりのなきゃにいる…………」

「うむ。半分正解じゃな。光が伸びているわけではないのじゃ。天井と床の光は、人やネコーがいるところだけを照らしてくれる仕組みでな。中にいる者が動くと、それに合わせて光もついてくるのじゃよ。後ろを見てみると、それがよく分かるぞ?」

「うしりょ…………」


 にゃんごろーが感じたことを声にのせると、マグじーじが教えてくれた。にゃんごろーは教わった通り、クロウの肩越しに通路の後ろを覗き込んでみる

 確かに、マグじーじの言う通りだった。

 天井と床の光る部分が伸びているのならば、背後には、にゃんごろーたちがこれまで歩いてきたのと同じ長さの光が残されているはずだった。

 なのに、にゃんごろーたちがこれまで進んできた場所は、闇の中に沈んでいた。

 天井と床が光っているのは、最後を歩く長老の尻尾の数歩先まで。

 実は、一歩も進んでいなかったのではと錯覚するくらいに、歩き出す前と同じ光景がそこにあった。自分で歩いていないせいもあって、よりいっそう、そう感じた。

 でも、そうではない。そうではないのだ。

 クロウの後ろを、てこてこと歩いている長老がその証拠だ。

 てこてこ歩く長老の、ユラユラ揺れるもふぁもふぁの尻尾。

 光と闇の境界線が、尻尾の先を追いかけてくる。

 光が、動いているのだ。

 にゃんごろーたちと一緒に、光も動いているのだ。

 おもしろいなぁ、とにゃんごろーは思った。


 にゃんごろーは、もう一度、前を向いてみた。そうすると、通路がどんどん伸びていくのが見えた。

 今度は、後ろを向いてみる。そうすると、さっきまであった通路が闇の中に消えてくのが見えた。

 二つを合わせることで、光が動いているのだと分かる。


「おもしろいにゃぁ…………」


 もふもふ頭を動かして、視線をゆっくりと巡らせて。思わず、といった様子で感嘆の呟きをもらすにゃんごろー。

 見学会の主催者であるマグじーじと長老は、「ほっほっ」と笑いながら、嬉しそうに目を細めた。



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