柚子の浮かんだお風呂に浸かって。
体だけじゃなくて、心もほぐされたからだろうか。
脱衣所を出たところにある憩いスペースで、念願のいちごミルクを一気飲みしたクサリちゃんは、心春が新設した畳でゴロゴロ出来るスペースにぐでーんとうつ伏せて、ぽつりぽつりと、自分のことを話し始めた。
ルナは一人で無限ミルクを続けていたけれど、一緒にお風呂に来ていた他のメンバーは、やっぱり畳でのぺーんとしながら、静かにクサリちゃんの話に耳を傾ける。
少しは気を許してくれたのかもしれないし、ただ単に誰かに話したかっただけなのかもしれなかった。
「授業中だった。国語だったかな……。そろそろ眠くなり始めたところで、見たことのない、白く光る蝶々が目の前を横切って……」
話は割と唐突だったけれど、白い蝶々が出てきたところで、何の話なのかが分かった。
あたしを闇底へ彷徨い込ませたのも、白く光る蝶々だったから。
指の先で畳をなぞりながら、クサリちゃんは話を続ける。
あたしたちがちゃんと話を聞いているかどうかは、あまり気にしていないように思えた。
「どこから入り込んだんだろうって思いながら、蝶々の進む先に指を伸ばしたの。それで……そう、瞬きをして、目を開けたら、そこはもういつもの教室じゃなくて、薄暗くて蛍みたいなのが飛んでいる草原で……。蝶々は、もういなくなっていた」
あたしの時は沼地だったけど、クサリちゃんは草原だったのか。
あたしの場合は、半魚人みたいな魚の妖魔に追いかけられて、食べられそうになったところを月華に助けられたんだよね。
魚妖魔のエサになる前に月華に助けてもらえて、ほんと運がよかったよ。
「夢なんだと思った。ちょうど、眠くなっていた時だったし。あんまり深く考えないで、でも、一応あたりの様子は確認しようとして、それで、見ちゃったの」
クサリちゃんの爪先が、ガリ、と畳を引っ掻いた。
「少し離れたところに、あいつがいた。それと、いかにもな魔法少女っぽい格好をした女の子。私には、気が付いていないみたいだった。知り合いなんだと思った。なんか、親しそうに話をしていたし。でも、違った。親しそうなふりをしていただけだった。あいつは笑ったまま、その子の背中に手を回して、長く伸ばした爪でその子の背中を…………」
耳をふさいでしまいたかったけれど、我慢した。
ここで逃げ出したりしたら、きっとクサリちゃんはあたしには心を開いてくれない。
そう思ったから。
クサリちゃんは、その現場を見ちゃったのだ。
話を聞くくらいが、何だというのか。
それに、こうして話してくれるということは、クサリちゃんはそのことを聞いてほしいと思っているのだろう。
嫌なことがあったら、大事にしまっておかないで、誰かに話してしまいなさいって、おばあちゃんが言っていた。みんなで分ければ、軽くなるからって。
だから、ちゃんと聞かないと。
あたしはクサリちゃんを、もっと軽くしてあげたい。いや、体重の話じゃないよ? 気持ちの問題だよ?
「魔法少女を喰らうって、あいつは言っていたけど、本当にバリバリ齧るわけじゃない。吸血鬼みたいに、血を飲むんだよ。その血を飲むことで、あいつは魔法少女の力を取り込んできた。本当かどうかわ知らないけれど、少なくともあいつはそう言っていた」
血を奪われた魔法少女がどうなったのか、クサリちゃんは語らなかった。
だから、誰も聞かなかった。
語らないってことは、きっと。
そういうことなんだろう。
だから、心の中でそっと手を合わせた。
その子への。その子たちへの祈りを捧げた。
「夢なのか現実なのか分からなかったけれど、でも、怖くて。とにかくこの場を離れなきゃ、次は自分の番かもしれないって思って、私はその子を見捨てて逃げようとした。逃げようとして、草むらに隠れていた妖魔を蹴飛ばしちゃったの。まあ、その時はそれが妖魔だなんて知らなかったし、妖魔も別に隠れていたわけじゃなかったんだろうけれど」
そう言ってクサリちゃんは顔を歪めた。
その子を見捨てたことを、気に病んでいるんだろう。
でも、それは。
それは、クサリちゃんのせいじゃない。悪いのは、
それに、ただの女の子だったクサリちゃんが勇気を振り絞ってみたところで、妖魔である華月には敵わなかったと思うし。
逃げて正解だと思う。
まあ、そうは言っても、割り切れないのも分かる、けれども。
「大きなダンゴムシみたいな妖魔だった。蹴飛ばされたことを怒っていたのか、キーキー騒ぎながら私の足に噛みついてきて、痛いし血は出るし気持ち悪いしで、私もパニクっちゃって。みっともなく泣きわめいていたら、まあ、当然、気づかれるよね」
クサリちゃんが自嘲気味に笑うのに合わせて、長くてクルンとした睫毛がフルフルってした。
「あいつは、いつの間にか私のすぐそばに立っていて、楽しそうに笑っていた。ダンゴムシに噛みつかれて泣いている私を見て、楽しそうに笑っていたの」
……………………。
華月。あいつ、マジ最低。
「それで、私にこう言ったの。ボクと契約して魔法少女にならないかって。魔法少女になれば、助けてやるって、そう言ったのよ」
あたしの時と。
あたしが
月華は、まず真っ先にあたしを助けてくれた。妖魔に食べられそうだったあたしを助けて、契約がなんちゃらって言いだしたのは、それからのことだった。
「助けてほしかった。助けてほしかったけど、すぐには返事が出来なかった。ちょっと前に、魔法少女っぽい子があいつにやられたところを見た後だったし。パニクっていたとはいえ、あいつが信用ならないことだけはビシビシ伝わってきたし。こいつに助けてもらったら、きっとろくなことにならないって、それだけは分かった」
…………うん。
「分かってたけれど、結局、私はあいつと契約することを選んだ」
そんなの、あたしだって契約しちゃうよ。
ダンゴムシ妖魔に足をカジカジされて、血が出てたら。
あたしだって、契約しちゃうよ。
「とにかく、ダンゴムシを何とかしてほしかった。先のことよりも、今、ダンゴムシに噛みつかれて、血だらけになっている足を、何とかしてほしかった」
うん。それは、誰だってそうだよ。
誰だって、痛いのは嫌だもん。
ダンゴムシに噛みつかれたままで助けてほしかったら契約しろなんて言われたら、契約するしかないじゃん!
そして、だからこそ。
華月のことを許せないって思う。
卑怯!
詐欺師!!
最低!!!
「契約するって言ったら、あいつはダンゴムシを踏みつぶして、私にあの鎖を付けた。鎖を通じて、何か力が流れ込んでくるのが分かった。力のおかげで、足のケガもすぐに治って。一瞬だけあいつに感謝したわ。ほんの一瞬だけ、ね」
ケガがすぐに治ったって聞いて、ちょっと安心したのに。
クサリちゃんの目の奥に、暗い光が灯る。
暗いのに光ってなんじゃって感じだけど、なんかそういう感じなんだよ。こう、怨念が籠っている感じの、そういう光。
まあ、あたしが知っている二人の関係はあれなわけだし、いい話で終わるわけがないんだけれどもさ。
「おまえは今から、魔法少女という名のボクの奴隷だ。ボクの言うことに決して逆らうなよって、そう言われた」
卑怯!!
詐欺師!!!
最低!!!!
「その後は、小さい子が人形に紐をつけて好き勝手連れ回すみたいに扱われたわ」
ガッとクサリちゃんの爪の先が畳にめり込む。
なんだろう。ほのぼのとした例えのようでいて、ものすごく残酷さが伝わってくるヨ。
きっと、その子はちょっとガサツな感じで、人形がボロッちくなったり、腕とか足とか取れかけたりしてても、あんまり気にしないタイプの子だよね?
「魔法少女なんて、名前ばっかり。ケガは治ったけれど、それだけ。魔法なんて使えなかったし、あいつの言いなりになるしかなかった」
「そ、それは、貴女がまだ真の魔法少女ではないからですよ! 華月には、契約によって魔法少女を生み出す力はなかったんです! 魔法が使えなかったのは、貴女が偽物の魔法少女だったからです!」
「悪かったわね! 偽物で!」
クサリちゃんの平手打ちが
といっても、心春はキノコの着ぐるみ状態なので、ぽふんと音がしただけで、本体にはノーダメージっぽい。
でも、今のは心春が悪い。
だから、本物になろうって言いたいんだろうけれど。
平手打ちにもめげずに、心春は予想通りの言葉を口にした。
「だから、月華と契約して、貴女も本物の魔法少女になりましょう! ね!」
「魔法少女なんて……。卑怯な手口を使ったとはいえ、みんなあいつに喰われていったじゃない。それにあなたたちだって、結局、あいつを倒せなかった……」
「う……それを言われると…………」
果敢に勧誘を続けるキノコだったけれど、クサリちゃんの突き放すような、失望したような物言いに撃沈した。
う、うう。確かにこれは、返す言葉がない。
魔法少女に対する、ものすごい不信感?…………のようなものを感じる。それはもう、ビシバシと。
あそこで華月をやっつけられていたら、クサリちゃんに信用してもらえたんだろうか?
う、でもでも!
華月を倒すのは、あたしたち魔法少女には無理かもだけど、でもでもでも!
その辺の妖魔なら撃退出来るし。それにほら! ヤバそうな相手からは、空を飛んで逃げるという手も使えるし!
華月には敵わなくても、十分、強くて便利だと思うんだけどな。魔法少女。
――――と、思いはするんだけど。
クサリちゃんは、腕組みをするみたいに自分の体をギュギュっと抱きしめ、むっつりと押し黙っている。
拒絶オーラが半端ない。
今は、何を言っても聞いてくれなさそう。
どうしたもんだろうかと、
月見サンはあたしの視線に気づいて、こそっと耳打ちしてきた。
「まあ、今回は、あの子の過去話を聞けただけで良しとしよっかー? 少し、時間を置いた方がいいかもしれないし。今は、華月のことを思い出したりして、気持ちが不安定だったりもすると思うし。あとで、夜咲花ちゃんの作った美味しいモノでも食べながら、もう一度プチプレゼンかなー? あの子、さっきの話で、魔法が使えないって言ってたでしょ? その時、なんか残念そうな顔してた気がするんだよねー。たぶん、本当は魔法を使うことへのあこがれとかあるんじゃないかなー? だからさ、それぞれの得意魔法の話とかを雑談風にしてみたら、あたしたちのことがうらやましくなってきたりして、その気になったりしないかなーって、思ってるんだよねー」
「な、なるほど」
いい考えだと思います。さすが、月見サン。
そっか、気づかなかったな。クサリちゃん、魔法を使ってみたかったんだ。
あたしには得意魔法とかはないけど、お空を飛ぶ楽しさをアピールしておこう。魔法を使ってお空を自由に飛べるって、なかなかポイント高いよね?
……あ、でも。クサリちゃん、
よーし、と話がまとまったところで。
空気を読まないツワモノがいた。
「ところで、あなたのその悪の女幹部みたいな衣装は、貴女の趣味なの? それとも、あの華月とかいう妖魔の趣味?」
フラワーである。
お風呂上がりの気だるい有閑マダムのように、優雅に花びらが敷き詰められたソファに横になっているフラワーである。ワイングラスが似合いそうな風情だ。
いつの間に、そんなの用意したんだ……。
てゆーか、まだここにいたんだ。
クサリちゃんの話、聞いてたんだ。
いや、ある意味聞いてないんだけど。
そして、今、このタイミングで、その質問?
しかも、全然。勧誘、関係ないし。
ど、どうなるんだ?
ハラハラしながらも、でも、実を言うとあたしもクサリちゃんのコスチュームのことは気になっていたので、口を挟まずに見守ることにする。
畳を爪先でガリガリしていたクサリちゃんは、ばね人形みたいに起き上がって、フラワーに噛みつくような勢いで答えた。。
「こんなの、私の趣味じゃないわよ!」
「そうなの? じゃあ、華月の趣味なの?」
「え? いや、そういうわけじゃ、ないと思うけど……」
「じゃあ、誰の趣味なの?」
「だ、誰のって、それは……」
最初は威勢のよかったクサリちゃんだけど、フラワーがしっとりとしたウィスパーボイスで淡々と質問を続けると、威勢を削がれたのか何なのか、次第にテンションを下げていく。
あれ? いつの間にか、すっかりフラワーのペースだよ?
今まで割と強気だったクサリちゃんが、ちょっとしどろもどろ気味。
「あいつから力をもらった時に、あいつが、たぶん、喰らった魔法少女から聞き出したんだと思うんだけど、月華と契約した魔法少女は、契約の時に変身するとか言いだして、それで……」
「気が付いたら、自分も変身していたとことかしら? だったら、あの衣装にはあなたのイメージが反映しているんじゃない?」
「だ、だって! どう考えても、あいつ、正義の味方じゃないし! 私は、悪の魔法少女になったんだって思ったら、この格好になってたのよ!」
なんでだか、ばつが悪そうにフラワーの質問に答えていたクサリちゃんだったけど、最後に逆切れした。
でも、フラワーはどこ吹く風だけど。
逆切れのし甲斐がない相手だよね、フラワーって。
「なるほど、悪の魔法少女としてのイメージが反映して、こうなってしまったと」
「それが、何よ!」
「まあ、似合っているし、それはそれで、いいんじゃない?」
「よくないわよ!」
「そうなの? じゃあ、他の衣装に変身しなおせばいいのじゃないかしら?」
「それが出来るなら、そうしてるわよ! でも、魔法っぽいことが出来たのは、最初の変身の時だけで、その後は全然まったくダメだったのよ!」
「そうなの? お風呂の後も、またそれを着ているから、てっきり本人も気に入って着ているのだと思ってたのだけど」
「そんなわけないでしょ! これしかないから、またこれを着るしかなかっただけで、私だって本当はもっと、可愛いヤツが着たかったわよ!」
え? そうだったの?
口をあんぐりしながら見つめる先で、フラワーは優雅なポーズのまま、してやったりみたいな笑みを浮かべていた。
「そんなの、簡単よ? 月華と契約して魔法少女になれは、また新しい衣装が選べるわ。それに、飽きたらまたいつでも、別の衣装にチェンジできるし。そこのキノコみたいにね。何なら、日替わりとかでもいいんじゃない?」
「え…………?」
うわー。もしかして、フラワーさんってば、珍しくお手柄?
クサリちゃんってば、期待を込めた瞳で熱くキノコを見つめているよ。クサリちゃんは、キノコがキノコになる前の衣装を見たことがあるからね。たぶん、思い出しているんだろう。
妖精風の魔法少女コスチューム。
あれ、可愛かったんだよね。
クサリちゃんは、ポーッとした顔のまま、心をどこかへ飛び立たせた。
あれは、どんな衣装にしようか考えている顔だよね。間違いない。
それにしても、よく分かったね、フラワー。
いつもの通りの風が吹くままの思い付きの行動かと思ったら、最初から狙ってやったの?
ジッと見つめていたら、あたしの言いたいことを受信してくれたのか、囁くような答えが返ってきた。
「あの子が、このわたしの衣装を羨ましそうにチラチラ見ていたことには、気が付いていたから」
「そうだったの? あたしのことは割とスルーだったのになー」
「ま、まあ、月見サンはちょっとかなり個性的ですし。あの子はきっと、フラワーのお花満載コスチュームとか、前の心春の妖精風のコスチュームとかが好みなんじゃないですかね?」
少し不満げに自分の衣装を見下ろす月見サンに、一応フォロー的なことを言っておく。
うん、だって。月見サンのそのマジシャンとバニーガールの混ぜるな危険的な衣装は、普通の人は見ちゃいけないと思って目を逸らすと思います。
「まあ、でも。それにしても、よくやったじゃない☆ あんたが協力してくれるなんて思わなかったなー。ちょっと、意外☆」
「ふふっ。すべてはこのわたしの手柄だと、月華によく伝えておいてちょうだい」
「あー、そういうこと……。うん、まあ、でも。確かにその通りだから、伝えておくよ」
し、真の目的はそれか!
うーん。やっぱり、フラワーはフラワーだったね……。