今こうしてバスに揺られていると、毎日学校に通って学生として生活しているのが不思議なように感じられる。平日というのもあるかもしれないが。
あと隣に肉塊が座っていることもある。現実感が有休を取っていた。
「化野さん」
「ん」
「私、実は乗り物酔いが酷くて」
慣れてきたものの直視はしたくない外見なので、俺は窓のへりに肘をついて外を眺めていた。そこにかけられる鈴を転がしたような声。
通話アプリで最上級の詐欺ができること間違いなしの他称美少女、草壁菜々花だ。彼女は赤々とした肉塊を青くして、こちらに触手を伸ばしてくる。
「なので席を変わってもらえないかな、と」
「どうぞ」
「ありがとうございます」
吐くという結果にだけ着目すれば、おそらく乗り物酔いよりも肉塊を認識してしまったショックの方が大きいと思うが、あいにく自分以外に菜々花を化け物だと認識できる人間を見たことがない。
俺はまともな人付き合い——文字通りの「人付き合い」である——がしたいため、最近紳士的なムーブを心がけている。たとえ相手が肉塊であろうとも、紳士は優しく席を譲るのだ。
先程まで菜々花が座っていた席に腰を下ろすと「にゅちゃり」と音。
そっと目を瞑る。まぁ予想はしていたさ。
揮発性が高いのだけが救いである。校外学習ということもあり、現在身に纏っているのは制服だから、汚れたら結構辛いところ。
「わぁ……これが東北ですか」
「あんまり景色変わらないね」
「そういうのは胸に秘めておくものですよ」
「そんなものかね」
「そんなものです」
そんなものらしい。
子供のように外を眺めていた菜々花に叱られてしまった。
明らかにテンションが下がっている皆を眺めながら、担任は「このパンフレットに乗ってる大学の中から好きなのを選べよ」と早々に教室を出て行ってしまった。
その中からせめて旅行気分を味わおうと、クラスメイト達は東北にある大学を選択したのだ。しかし初めて乗った新幹線の目的が大学見学とは、いまいち夢に欠けるというか。
「えぇと、バスで一時間でしたっけ」
「うん」
新幹線から降りてバスに乗り換え。
何の因果か菜々花の横に割り振られてしまったので、こうして校外学習の道中を肉塊と一緒に過ごしている。
周りから向けられる嫉妬の目には慣れたものだが、相変わらず腑に落ちない。どうして肉塊と過ごして嫉妬されねばならないのか。その理論で行くと精肉店の人は超絶ハーレムを築いていることになるぞ。
しかも他の人にヒロインを分けてやるモテっぷり。君達もヒロインと出会いたいのなら、精肉店に行って「鶏むね肉を百五十グラムで」とか言えばいいじゃん。
「……少し暇じゃないですか?」
流石に外を眺めるのにも飽きたか、菜々花がこちらを向いてきた。
正直な話、肉塊の正面だとか後ろとか判別がつかないので、割と適当に考えているけど。
「暇だね」
「ちょっとしたゲームをやりましょう」
「どんな?」
「
「古今東西魑魅魍魎」
またニッチなところを。
ニッチ過ぎて字面が必殺技みたいになっている。
古今東西ゲームは有名だが、お題に魑魅魍魎を使用するのは初めてだ。やはり化け物代表として自信があるのだろうか。
菜々花は「それじゃあ私から行きますよ」と肉塊を一本立てる。ちょうど人間が人差し指を立てるように。
「えぇと……おばけ!」
「肉塊」
「えぇ……? …………猫又!」
「ゾンビ」
「…………人狼!」
「ジガバチ」
「それは魑魅魍魎なんですか?」
魑魅魍魎だろう。
むしろそれ以外にどう表現する。
彼女は納得がいかないような表情だった(顔ないけど)。
しかし目の前に化け物の見本市みたいな存在がいるからなぁ。
菜々花を化け物と形容しないならば、ジガバチも同様に化け物ではなくなるが、およそまともな感性を持っていれば、肉塊を化け物と表現しないことはない。
「…………ジガバチは禁止です」
「何で?」
「だって普通に、そこら辺にいるじゃないですか」
「確かに普通にいるけども」
隣の教室とかに。
悲しいことに化け物の括りから外されてしまったジガバチこと、逆瀬川美穂の姿を頭の中に投射する。どこからどう見ても化け物。百人に街頭インタビューをしたら八十九人くらいが「いやこれは化け物ですね」と答えるだろう。
ところが菜々花いわくジガバチは化け物ではないそうなので、美穂は残念ながらノーマルヒューマン扱いとなります。おめでとう。
そういえば美穂とトークアプリで話すようになったのだが、彼女のネット上での話し方が現実とは乖離しすぎていた、という事件があった。
一例は、
『曜くんぉはょぅ』
『おはよう』
『今日ゎぃぃ天気だネ☆』
『そっすね』
『大学見学楽しみ笑笑笑(はあと)』
みたいな。
怖い。
もしかして違う人が操作してるんじゃないの? あるいは二重人格。
初めてこんなのが送られてきたときには、本当に気でも狂ったのかと心配になった。ハリガネムシあたりにでも寄生されたんじゃないかと。
「とにかくジガバチは禁止です」と憤る菜々花に頷き、その後も古今東西魑魅魍魎を続けていると、やがて風景が長閑なものから都市部のそれへと変わっていく。
バスの最前列に座っていた担任が立ち上がり、荷物の準備をするよう声をかけた。
「楽しみですね、化野さん」
「うーん、まぁ、そうだね」
仮に大学見学だったとしても、隣にいるのが美少女だったら楽しめたんだろうが。
誰が肉塊と連れ添って楽しめるというのか。俺は悲しい。