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第12話 熱が出た日は寂しくなる 6/6

「シェパーズパイは、死んだ母親がたまに作ってくれてたんです……ジャガイモはマッシュじゃなくて…………もっとごつごつしてて雑な感じだったし、肉は、あんな高級な羊肉じゃなくて安いやつだったけど、美味かった……」


 マイロが静かに語り始めると、その表情がどこか遠くを見つめるように変わった。

 ミラは、彼の過去に触れたことで何も言えなくなった。言葉にならない感情が胸に広がり、ただ彼の声を聞きながら静かにその時を共有していた。


「うちそんな裕福じゃなかったから、誕生日とか……クリスマスみたいな日だけ食べれるご馳走だったんす。バターも入ってたのかな……良い匂いなんす。だから、好きで」

「……そうなんですか」

「……もう一回食いたいな。母さんのシェパーズパイ」


 ミラはマイロの言葉に心が振るわされていた。

 心が揺れ動くのを感じるたびに、彼の気持ちを理解しようとする自分の気持ちがより一層強くなっていった。


 10年以上、彼は家族の思い出を抱えたまま、一人で孤独に耐えてきたのだろうかと思うと、ミラは涙がこみ上げてきそうだった。

 体調不良で無防備な状態のマイロから漏れ出た心の内を、ミラはできることならぎゅっと抱きしめて、せめて温めてあげたいと思った。


「す、すんません、作ってもらっといて文句言うなんて……」

「ううん。教えてもらって嬉しい」


 ミラはぽつりと呟いた。そして優しく微笑んだ後、マイロの手を取って、優しく撫でたあとにぎゅっと握った。


「ねえマイロさん。寂しさなんて、慣れるものでないです。あなたは一人なんかじゃないわ」


 手を握られたマイロは最初は驚いていたものの、温かいミラの手の感触が気持ちよくてそのまま受け入れる。

 そしてミラは今にも泣きだしそうな顔でマイロを見つめると、宣言するような口調ではっきりと言った。


「あなたには私がいます」


 そしてさらに強く手を握った。

マイロは驚いて目を見開いたがミラが手を緩めることはなかった。


 マイロは、ぼんやりとした眼をミラに向ける。

 普段なら「なんだその自信満々な言い方は」と苦笑したであろう。

 だが、風邪の仕業で思考が廻らなくなった頭は、まるで乾いた土に雨が染み込むように、ミラの温かい言葉をするりと飲み込んでいった。


(あ、なんか泣きそう)


 こんなに優しい言葉をかけてもらったのはいつぶりだろう。マイロは目頭に熱い何かが込み上げるのを微かに感じていた。

 丸裸同然の心にキスをされたようなくすぐりが、マイロの心を確かに温かくしていた。


「だから元気になったら、一緒に写真を撮りに行ってください。それから、お母様のレシピでシェパーズパイを作って食べましょう。私、あなたの事もっと知りたいんです」

「……そっすか」


 マイロはまだ熱っぽい顔をミラに向けながら力なく笑った。流石に涙は我慢して、目の前の女の子のルビー色の瞳を見ながらエクボを作る。

 そして、そのうちに瞼が段々重くなり、無防備な寝顔を見せながらすーすーと寝息を立てて眠り始めた。


(寝ちゃった……静かにしなきゃね)


 ミラは冷却シートをマイロのおでこにそっと貼ると、マイロの寝顔を愛おしそうに眺めていた。


(ふふ。ちょっとだけお髭が生えてる。いつもはちゃんと剃ってるのね)


 解熱剤が効いてきたのだろう、マイロは徐々に穏やかな寝顔を見せるようになってきた。

 おでこに手を当ててみたが熱も引いてきているようだ。青白かった顔も徐々に血の色が戻り、震えも止まっていた。


「多分もう大丈夫ですよ。さっきの薬はよく効きますから」


 傍で見守っていたヒューゴはミラにそっと声をかけると、看病のついでにその辺に転がっていた脱ぎっぱなしの服を回収して洗濯機に入れてやっていた。


「俺の知り合いの医者を呼びましたから、彼が来たら俺たちは帰りましょうね」


 ヒューゴは部屋を片付けながらミラに告げる。ミラはすぐにハッとした顔をすると、ヒューゴを労るような声で感謝を伝えた。


「うん。ありがとう、ヒューゴ。ごめんね無理を言って……」


 マイロの家に来たなんてことがバレたら、ヒューゴは無事では済まないだろう。せめてヒューゴに罰が下らないように取り計らう必要がある。


「いいえ。俺は従者ですから」


 しかしヒューゴはそんな心配はないとでもいうように、白い歯を出してにっこりと笑った。濃い顔がさらに彫りが深くなって顔に影が落ちたが、優しいプロレスラーのような笑みだった。

 ミラは安心して小さく息をつくと、そのまま部屋を見渡した。

 写真以外の趣味はほとんどないのか、一眼レフカメラとレンズが数台ずつ飾るように陳列されていた。仕事道具か私物かは見分けが付かないが、カメラの類だけはとても大事に扱っていることが伝わってくる。


(写真はマイロが撮ったやつかしら。全部綺麗だわ)


 ヒューゴの片付けを邪魔しないように気遣いながらミラは軽く部屋を探索した。ヒューゴ同伴とはいえ、好きな人の部屋に訪れる機会なんてもう二度と訪れないかもしれないのだ。この経験が今後何の役にも立たないとしても、ミラは好きな人の一部である部屋の景色を、少しでも目に焼き付けておきたかった。


(あれはきっとご家族の写真ね)


 玄関に一番近い棚には数枚のフォトフレームが並んでいた。幼い少年と、母親に、祖父母と思われる4人が何らかの記念日ごとに記念撮影をしている様子が写っている。

 全員、マイロに顔の雰囲気が似ていた。だから、フォトフレームに収められているのは、マイロの亡くなった家族との思い出の写真だとミラにはすぐ分かった。


(……ご挨拶をさせてもらおう)


 ミラは写真の前でお祈りをするように手を合わせる。


(こんにちは。そして、息子さんのお部屋に勝手にお邪魔してすみません。お母様、マイロさんを産んでくださってありがとうございます)


 母親も、姫が息子を好いているなんて事実を知ったら大変驚いたであろう。

 ミラは長いまつ毛を伏せながらしばらく祈った後、写真立ての付近をそっと見渡してみる。


(……指輪?)


 すると、女性用の指輪が目に入った。

 赤とピンクの境目のような色をしたルビーの指輪だった。その指輪はベルベットの指輪ケースの中に収められており、母親の写真の真横に置いてある。ミラはしばらくその美しさに目を奪われたが、一抹の不安が頭をよぎっていた。


(ま、まさか、彼女にあげる物とかじゃないわよね……?)

「ミラ様、やばいですよ!」

「ぅへ!?」


 だがそんな事は露知らず、ヒューゴが慌ててミラに声をかけた。ミラは驚いて声がひっくり返ったが、平静を装いながらヒューゴに顔を向ける。


「冷蔵庫の中にまともな食べ物が入ってんないです! こんなんじゃ筋肉が育ちませんよ! だいたい、こんな空っぽの冷蔵庫見たことない! チョコが数粒しか入ってないんですよ!? 信じられない!! 俺が愛用してるプロテインをAmazanで買っておきます!」

「え、ええ。そうね……」


 マイロは別に筋肉を育てたいわけではないと思う。と思ったが、食品をカンパするというのは良案だと思った。マイロの健康は巡り巡ってミラの健康に繋がるからだ。


「それなら、イーバーイーツで冷蔵庫の中をパンパンにしてあげましょうよ」

「ミラ様のポケットマネーでするなら別にいいと思います」

「ええ。私のカードで買ってくれる?」

「了解です」


 ヒューゴはすぐにイーバーイーツのアプリを立ち上げると、マイロ家に足らない物を、プロテインを中心にぽいぽいと追加していく。

 ミラも冷蔵庫を覗いてみたが、市販のチョコレートとビールが置いてあるだけで野菜や肉といったものが何一つなかった。おそらく、普段から料理をする習慣がないのだろう。故に、風邪で買い物に行く気力もないのに食べ物がなく、さらに衰弱してしまったのだとミラは察した。


(しんどかったでしょうね。可哀そう、マイロ。本当は一晩中付き添ってあげたいし、王宮のちゃんとしたお医者様に診せてあげたい……)


 マイロの寝顔を見ながらミラは思いを募らせる。

 けれどこれ以上面倒を見ようものならきっとマーゴットたちに怒られるどころか、マイロに大変な迷惑がかかるだろう。

 これ以上「自分が面倒を見たい」と言ってしまうのはワガママでしかない。ミラはイーバーイーツと、ヒューゴの知り合いだというお医者様が来たらすぐに帰ることが、今できる最善策だと判断した。


(……この傷、あの時の傷よね)


 ミラはマイロの左目の下にある傷をそっとなぞった。

 何も知らなければ『ならず者』とも捉えられそうな程の大きな傷跡は、ミラにとってマイロを好きになるきっかけになったものだ。


「マイロ」


 ヒューゴにも聞こえない様な細い声でミラは呟いた。


「あなたはきっと覚えてないと思うけど、私、10歳の時、あなたと会ってるのよ」


 ミラは、恋に落ちた瞬間の胸の高鳴りを今でもはっきりと覚えている。

 10年前。まだ10歳の少女だったミラは、当時15歳だったマイロと一生忘れられない出会いを果たしたのだ。

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