「いいですかミラ様。今朝、お教えしたことは覚えていらっしゃいますか?」
「はい。ミセス・カレン。えっと、……本日ここに……えっと、集いました皆さま、新入生の皆さま、ご入学、おめでとうございます。この学び舎で過ごす日々は、新しい知識を得るだけでなく、……共に学ぶ友と出会い……」
「出会い?」
「自らを……磨く、大切な時間となる……と思います。ときには、困難に直面することも……あるかもしれません。でも、それを乗り越えた先に……本当の成長が待っていることでしょう!」
「そう、お上手です。ですがもっとゆっくり、言葉に詰まらず、優雅にお話しください。あなたは王女なのですから」
「……はい、ミセス・カレン」
10年前の9月の早朝まで時は遡る。
当時、ミラは10歳の少女だった。
その日の朝、ちょうど小学5年生になる年齢のミラは、
「ミラ様。ウェストメイン・スクールに行きますよ」
という、ナニーであるカレンの言葉で目を覚ました。
「カレン~……むにゃ……まだ4時半だよぉ……眠いよぉ~……」
あくびをしながら、ミラは当時の従者のリーダーであるカレンに文句を言った。
カレンは60を超えたおばあさんで、ミラは厳しくも優しいカレンにいつも甘えていた。しかし、ミラはカレンもとうとうボケてしまって、寝室を間違えてしまったのだと思った。
何故なら本日ウェストメイン・スクールに行くのは、ミラではなく、姉姫のジャネットであるはずだったからだ。
本日は新学期の始まる日。
ミラが属する王家は、毎年親交のある中学校の入学式に毎年挨拶に向かうことが慣例であり、挨拶に向かう学校は年度によって変わる。今年はウェストメイン・スクールに決まっていた。
「それに、ウェストメイン・スクールには……むにゃむにゃ……お姉ちゃんが行くんじゃ……」
「それが――ジャネット様がインフルエンザにかかられました」
そして今年、ウェストメイン・スクールへ向かうのは、王妃直々の推薦で決まった姉姫のジャネットだ。
学生と歳の近い11歳のジャネットが、王家を代表してお祝いの言葉をかける予定だったのだ。
だが、ジャネットは急な発熱で、とてもじゃないが起き上がる事すらできそうにないらしい。
つまりミラは齢10歳でありながらジャネットの代打を務めることになったのだ。
*
ウェストメイン・スクールは300年以上の歴史を誇る国内でも有数の名門校である。
何人もの著名人を輩出し、多くは歴史の教科書にも載るほどの卒業生もいるほどのだ。
大変趣のある歴史ある校舎の中で学ぶ生徒の新緑色の制服は、国中の子供らの憧れでもある。
そして今日、ウェストメイン・スクールの制服に似た新緑色のワンピースを着せてもらったミラは、迎えの車を待つ間も祝辞の言葉を繰り返し練習していた。
「本日ここに……集いました皆さま、新入生の皆さま、ご入学おめでとうございます。この学び舎で過ごす日々は、新しい知識を得るだけでなく、共に学ぶ友と出会い……えっと」
「ほら、いつもそこで詰まる! もっとしっかりなさい!」
「痛っ」
しかし、慌てて朝の1時間で覚えたものだから、ところどころで言葉がつまってしまう。
ミラは祝辞がすぐに覚えられず、スムーズに言えないものだから、カレンからその度に手のひらを物差しで軽く叩かれていた。
「そこまで長い祝辞じゃなくてもいいじゃないか」
カレンの厳しい指導に、思わずミラの兄で皇太子のイヴァンが、カレンに注意するように言った。
「ミラに打診が来たのが今朝でしょう。もう少し簡単で、短い挨拶でもよろしいのでは? そもそも、ジャネットの登壇はサプライズのはずでしょう。サプライズは中止にして、ミラは予定通り、今日は家で家庭教師と勉強をすればいいじゃないか」
イヴァンにとって23歳も年の離れたミラは、彼にとって妹というよりは娘のような存在だ。
王宮という特殊な環境下で生まれた
ミラは王位継承権最下位とはいえ、血の繋がった兄妹である事には違いない。
それに、イヴァンは「王宮という特殊な環境下で純粋なミラには傷付いてほしくない」と、心の底から祈ってくれるような優しい兄だった。
「いいえ。ミラ様は本日が公務デビューでございます。失敗は許されません!」
しかしカレンは眉間の皴を寄せながらイヴァンに強気に言い返す。
イヴァンは苦々しい顔をしながらも、自分より倍くらい年を食ったカレンにさらに苦言を呈した。
「ミラはまだ10歳ですよ? 無理に公務をしなければならない年齢ではありません。今日は僕だけでも充分でしょう」
「ジャネット様も11歳です! なるべく学生と近い王族の者が1名出席する方がいいというのが王妃様のお考えでございます」
今日祝辞を述べにいくウェストメイン・スクールは小中高校の一貫校ではあるが、イヴァン達が参加するのは中学校の入学セレモニーである。
確かに、33歳のイヴァンと11歳のジャネットなら、ジャネットの方が近い。イヴァンは思わず苦笑いをした。
「そりゃ、僕は33歳ですからどちらかと言うと保護者と近いでしょう。ですけどね……」
「ミラさまのご出席は王の推薦でもあるのです! ミラ様は恥ずかしがり屋さんですから、そろそろ公の場に出ることに慣れなければいけませんから」
イヴァンはカレンを説得しようとするが、カレンは聞く耳を持たない。
呆れるようにイヴァンがため息をついたあと、祝辞の練習を繰り返すミラへ声をかけてやった。
「いいかいミラ。祝辞を述べるとき大勢の生徒がミラに注目することになる。きっとミラは緊張するだろうけど、そのときは……」
イヴァンは優しい青い目でミラを見つめた。
ミラは子ウサギのようなきゅるんとしたルビー色の瞳でイヴァンを見つめる。兄が何を言ってくれるのか期待している眼差しだった。
「そのときは?」
「全員を、庭に並ぶ彫像だと思えばいい。そうすれば、視線を意識せずに済む。お兄様からのアドバイスだ」
「! はい!」
兄が自分を気にしてくれたことが嬉しくてミラはにっこりと天使のほほ笑みを見せた。
すると丁度、迎えの車の準備が整ったという連絡が入ったため、ミラたち兄妹は別々に別れてウェストメイン・スクールへと向かった。