私は、バクやペンギン親子らとともに一転流浪の身となった。
バクが身分を捨て失踪する判断をしたのは、流れとしてはやむを得ないと思っている。元の姿――人間の姿に戻れていないうえに、戦場で狼人族の姿に変身するところを敵味方に見られたとあっては、もうどうしようもないだろう。
特にバクは、誰かに迷惑をかけたくないという気持ちが並の人間よりも強いように思う。
国策による『作られた英雄』とはいえ、国を背負っていた身。自身が抜けることによってかけてしまう迷惑も甚大であることは百も承知だろう。あのときにそれも頭をよぎったに違いない。
だが、何食わぬ顔で戻り、軍や国に大混乱を巻き起こしてしまうことによってかけてしまう迷惑は、さらに甚大――。
そう考え、今回の決断に至ったのだと思う。
「やっぱり、何もかもぶん投げるなんて無責任って思ってるよね?」
彼はなぜか私の心象を気にしていたようであるが、密偵であった私ごときが彼の決断を安易に批判することなどできるわけがない。
「思っていませんよ」
彼の選んだ選択肢を尊重し、助けていく。それしかない。
野営できる場所を探しながら、バクには、あらためて正確に伝えた。
私がどういう経緯で人間族の国・ヴィゼルツ帝国へ潜入したのか。私が族長からその目的をどこまで知らされていたのか。今どういう状況になっているのか――。
ここにきて族長が他種族に対しての姿勢を変化させようとしていることについても、付け加えて伝えた。有史以来、今までずっと狼人族は他種族と関わらない立場であったが、これからはそうではなくなるということを族長から聞いてしまったためだ。
そして。やや迷ったが。
族長から下されていた“最後の命令”についても伝えた。
「この間の敗戦の前に、私は族長から『密偵の最後の仕事としてバクを暗殺し、故郷に戻ってくるように』と言われていました」
バクもさすがに、これには驚いたようだ。
「へえっ!? そうだったの!?」
「はい。到底受け入れ難い命令でしたので、代わりにあなたを引退させることを提案しました。それは許可をいただきましたが、それが叶わなかったならば、やはり暗殺を実行するようにと、そう言われました」
「そうだったんだ……。あ、それであのとき急に俺に英雄をやめるように言ってきたんだ。そういうことか」
「そういうことです。大変申し訳ありませんでした」
「いやいや、いいのいいの……って、あれ? でもさ、そうならどうして俺まだ生きてるの? あの話は断っちゃったのに」
私が答えるよりも先に、ペンギンが答えてくれた。
「ケイがお前を
「おおっ? それホント!?」
「……まあ、本当です」
「やった! やっぱり俺、ケイに嫌われてない! 嫌われてたらグサリと殺られてるはずだもんね」
「フラレはしたがな」
「フラレてないってば」
バクは割とうれしそうな顔をしている。
ペンギンが代わりに答えてくれたことに、そしてバクが笑顔のままでいてくれることに、私は感謝した。
一夜を過ごせる安全な
私もバクも、野営の知識はあるし、どの植物や動物が食用に適するかの知識もある。野垂れ死にする心配はない。
ただ、オーク族の地からなるべく早めに離れる必要はある。それは間違いなかった。おそらくバクと私は捕縛の対象となっているであろうためだ。
では、これからどこに行くか? どこを目指すか?
それを決める必要があるが、その前にやるべきことがある。
狼人族の族長との交信である。
私はバクに了承を取ったうえで、族長との交信を始めることにした。
「どうやって族長さんと連絡を取るんだろ?」
「私のこの指輪が通信器になっています。今までこれで連絡をしていました」
「へえええ! 面白そう。俺もほしいな」
「オモチャか」
「あはは」
ペンギンの突っ込みに、いまだ元の姿に戻れていないバクが笑っている。
英雄の称号を下賜されるきっかけとなった初陣のときも、狼人族の姿になっていたことはほぼ確実だ。そのときは、敵将を討ち取る功をあげた後、すぐに元に戻っていたのであろうと思われる。本人も気づかずに変身し、気づかずに元の姿に戻った。目撃者もいないか全員死亡していた。それが真実なのだろう。バク自身もそう考えているようだ。
そのため、今回も勝手に戻るに違いない、いや、もしかすると今回をきっかけに、私のように自由に姿を切り替えられるようになるかもしれない――という期待も持っているようだ。
そして族長と交信をする場に立ち会うことについても、少なくとも表面上はあまり緊張しているように見えない。どちらかというとワクワクしているようにも感じる。
一方、私のほうは少々の緊張感に包まれていた。
場合によっては、これが族長との最後の交信となるかもしれないと思っていたからだ。
まぶしくないように布をかぶせてから、私は指輪に魔力を込めた。
「お、青くてキレイな光だ。しかもなんだか落ち着く。アレの光に似てるね」
「アレとはなんだ。わからんぞ」
「いててっ。『魔力の涙』だよ。大きな宝石みたいなやつで、ブルードラゴンが流した涙の結晶って言われてるんだ。前に見つけてケイに見せたことある」
「興味がある。私にも見せろ」
「いてててて。見せたいけど。アレはめったに見つけられないんだ。俺もあのとき以来一回も見てないからさ」
バクとペンギンがじゃれあっているが、私は静かにしてくださいとは言わなかった。彼らがここにいることを族長に隠す気はなかったためだ。
「ケイか。なんだか騒がしいようだが……報告か?」
「報告事項はいろいろありますが、まず私が重大な違反を犯していることをお伝えしなければなりません。この交信はバクとペンギンが起きている状態で、かつ彼らの目の前でおこなっております。大変申し訳ありません」
「なんだと!?」
声しか届かないはずなのに、大きな振動も洞穴まで届いた。
……と思ったら、どうやらちょうど地震が起きたようだ。またどこかで噴火が起きているのだろう。
「事情はあります。それを申し上げます」
私は、ここまでのことをすべて話した。
バクが戦の途中で突然獣人に変身したこと。
その姿は紛れもなく狼人族のものであったこと。
本人は軍へ、いや帝国全土に迷惑をかけることを嫌い、すべての身分を捨てて行方をくらませることを決断したこと。
自分は彼についていきたいので、その許可をいただきたいと考えていること。
族長にとってはやはり想定外の展開であったようで、それらのすべてに驚いていた。
ただ、私には違和感もあった。
族長の声と話し方のみでの印象ではあるが、『バクが狼人族の姿になった』という事実に対し、驚いてはいるものの、心底衝撃を受けたという反応ではなかったような気がしたのである。
そしてさらには。
「オーク族にも爬虫人族にも見られたのは間違いないのだな? 英雄バクが狼人族の姿になったところを」
という念押しのような確認をされたのも気になった。
意外と冷静だな? という印象すら持ってしまった。
「おそれながら族長。バクが狼人族の姿になったことについて、心の底から驚いているというようなご様子に感じませんが」
「いや、驚いてはいる」
「……実は何かお心当たりがあるのでは?」
族長は沈黙した。
もうその時点で何か知っているというのは確実なのだが、大切なのはその中身だ。
バク本人もここまであまりはっきりとは言っていなかったが、自身の生い立ちについてはきちんと知りたいと思っているはず。
そうですよね? と私の斜め前であぐら座りしていた彼を見る……
……と、すでに前に倒れそうなくらい前傾姿勢だった。青く照らされた狼人族姿の顔をウキウキさせながら、首を上下に動かしている。
つくづく思うが、こういうことになってショックはあるだろうに、いつまでも落ち込んでいない、暗いままではないというのは、素晴らしいことだ。
人間族の者が皆こういう性質だということはないはずだ。
狼人族の者に至っては、他種族の血が混ざっていると知ったら自死を模索する者すらいるのではないかと思う。特に高年齢層はそのような傾向が強そうな印象だ。
バクはまだ子供である上に、どんな種族でも多感な時期とも言われる年齢でもあるはず。
単に深く考えていないのか、あるいは精神的にとても強いのか。
実は後者である可能性が高いのではないかと私は見ている。
本人に自覚があるのかどうかは別として。
「話してもよいだろう。過去にも、ヴィゼルツ帝国へ密偵を放ったことがあった」
族長が口を開いた。
「お前も知っているとおり、狼人族は他種族に興味を持たず、卑劣なやり方も好かない種族だ。密偵のような行為は本能的に好まない。その者も例外ではなかった。徐々に反抗的な言動が増えていき、やがて連絡が途絶えて音信不通となってしまった。
私が知る限り、近年で人間の地へ行った狼人族はその者の他にはいないはずだ。もし英雄バクが混血であるならば、その者と人間の間にできた子である可能性が高い。年齢的にも矛盾はしない」
バクの口から、小さく「へー」という声が漏れた。
青い光で照らされているせいか、わかりやすい顔ではない。が、さほど負の表情ではないような気もする。複雑な心境ながらも、自身が生まれた経緯が推定でき、安心もした――というところか。
私のほうはというと、族長に対しての不信感がやや増した。
そのようなことが過去にあったのに、また同じように密偵を送り込んだのか、と。
過去に密偵となった者が
「狼人族の族長さん、初めまして! バクです。いつもケイにはお世話になってます!」
そんなことを考えていたら、バクが族長に直接話しかけてしまった。
「オイオイ。お前な……よくそんな能天気にあいさつができるもんだ」
バクの横にいるペンギンは呆れているが、彼はめげない。
「ねえねえ族長さん。俺、こんな感じだから、もう帝国には戻らないつもりなんだけど、それならもうケイは俺を殺さなくてもいいんですよね?」
「……すべての前提は崩れた。ケイに対する命令は取り消さざるをえない」
「おおっ! ありがとうございます!」
「ありがとうございます、族長」
この族長の回答には、私もホッとした。
もはやバク暗殺の命など遂行する気はまったくないのだが、正式にあちらから取り下げてくれたのは安心感がある。
「俺、このままこっそりどこかで暮らしていく感じで大丈夫だと思いますか? ケイやペンギン親子と一緒に」
「ふむ」
族長は、ここでまた少し考えた。
私にとっては、これはやや不安を感じる間だった。
やがて、族長は口を開く。
「とりあえず、こちらに……狼人族の地に来るがいい。歓迎しよう」
「え? ホント? いいんですか?」
「ああ。お前は半分人間族で、半分狼人族。もう人間族の国で生きていけないのであれば、こちら側に来ることが自然だろう。ペンギンとやらも連れてくるがいい。村の者たちには私のほうから言っておく」
バクはびっくりしながらも、うれしそうにしている。
ペンギンはわかりづらいながらも、やや渋い表情をしているように見えた。
私は、率直に驚いた。
バクの場合、知名度が高すぎる。特に爬虫人族やオーク族からは、戦を通じて相当に恐れられていたはず。
その彼を受け入れるというのは、その両種族にはなんらかの説明をしなければならなくなるだろう。
……いや、それはそこまで問題ではないのか?
族長もバク自身も、『ヴィゼルツ帝国の救国の英雄が実は半分狼人族だった』などとは知らなかったわけで、特に狼人族的にやましいことなどはない。両種族に説明すればなんとかなるということなのだろうか。
むしろバクがヴィゼルツ帝国に戻る可能性がなくなることは、両種族にとっては安心材料かもしれない。
それよりも、狼人族の体質として問題はないのだろうか?
半分狼人族の血が流れていると判明したとはいえ、バクは狼人族の地で生まれたわけではない。いわゆる『よそ者』に相当する。
それを族長は『歓迎』と言うのであるが、本当に歓迎されるのかどうか。
『外より来たる者には、施したうえでこれを拒む。内より去る者には、死をもって制裁したうえでこれを諾する』
これが狼人族の掟なのに、だ。
ということで、私は若干の不安が残った。
ただ、「俺、ケイの家族に会えちゃう!?」と謎の高揚を見せるバクに対し、「やめておきましょう」とは言えず。
私、バク、ペンギン一家は、揃って狼人族の地を目指すことになった。