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21.堕ちる(中編)



……展示を全て見終えたのは、夕方の5時を過ぎた頃だった。


日は既に傾いていて、ビルとビルの間に挟まっていた。


黒影さんは展示会にある絵を全て観覧し、その上でイラストが描かれたクリアファイルを二枚と、ポスターカードを三枚買っていた。


「たくさん買ったねえ、黒影さん」


「う、うん。どれも限定品だったから、逃したくなくて」


余すことなく満喫した黒影さんは、展示会で買ったものを胸に抱いて、嬉しそうに頬を緩めていた。


「楽しめてよかったね、黒影さん」


「う、うん。楽しかった。白坂くんも、楽しめた……かな?」


「うん、僕も楽しかったよ!原画を観る機会なんて、今まで全然なかったからさ、刺激的だったよ」


「そ、そっか。白坂くんも楽しかったなら、よかった」


黒影さんはにっこりと、朗らかに眼を細めて笑った。




(……ああ、なんだか、可愛い人だな)




不意に僕は、そんなことを思った。


華やかで眩しい笑顔を持つ人じゃないけれど、穏やかで優しい……月明かりのような笑顔を持つ人だなって、そう感じた。


自分の妹と似てる人を可愛いと思うのは、なんだか胸の奥がそわそわしたけど、でもそう感じたのだから仕方ない。


黒影さんには、このままずっと……元気でいて欲しいなと、そんな風に願った。


「さて黒影さん、そろそろ帰ろうか」


「そうだね」


「どうする?バスにする?それとも電車?」


「ボクは、電車の方が早いかも。白坂くんは?」


「んー、僕はどっちでも同じくらいの距離だし、黒影さんと同じ電車に乗ろうかな」


「ボ、ボクと同じ?」


「うん!一緒に帰ろうよ」


「う、うん、分かった……」


そうして僕たちは電車のホームへと行き、家へ向かう車両に乗り込むことにした。


平日の夕方でラッシュの時間帯であったため、ホームは見渡す限りの人で埋め尽くされていた。


電車の乗降口の前には、長蛇の列が並んでいた。


「電車、混んでるね~」


「うん、そうだね」


「黒影さんって、電車よく使う?」


「あんまりないかも……。人混み苦手だし、それに……そんな遠出することもないし」


「あー、確かに僕も似たような感じかな」


僕たちは電車を待つ間、他愛ない雑談に花を咲かせていた。


「黒影さんは、今日の天野嘉孝さん……だっけ?あのイラストレーターさんはどうやって知ったの?やっぱり、ファイナル・ファンタジアから?」


「えっと、ボクの場合は、小説の挿絵からだったんだ。夢枕漠先生っていう小説家が好きで、その人が書いてる幻龍少年ギマイラって本の挿絵を、天野先生がされてたから、それで……」


「へー!小説か~!凄いね黒影さん、読書家だ!」


「い、いや、別にボクは……そんな対して読んでないよ。夏目漱岩先生のとか、そういう古典文学はまだまだ知らないし……」


淀むことなく、途切れることなく、僕たちの会話は続いていく。まるで随分昔から仲が良かったなと錯覚するほどに。


電車に乗り込んで、二人とも座席には座らず、つり革に捕まりながら立っていた。


その間も、やっぱり談笑は終わらなかった。なんだか凄く居心地がよくて、僕たちは延々話続けた。


(ああ、なんだか嬉しいな)


僕は、初めて黒影さんと出会った時のことを思い出していた。


当時は眼を合わせてくれることもなく、返事すらまともにしてもらえなかった。


でも今は、こうして和気あいあいと話せるし、しかも時々微笑んでくれたりする。


漫画の趣味も合うし、一緒に居て疲れない。これからも良い友だちになれそうだなと、そう思った。


……そんな時だった。


ふと、談笑している途中で、視線を下におろした瞬間があった。ちょうどそれは、黒影さんの背中から足元が見える範囲だった。


そこを見ようと思ったのは、別に深い意味はない。ただ単にすっと顔を向けた先が、たまたまそこだった。


「………………」


スマホが、あった。


にゅっと伸びた手がスマホを握っていて、黒影さんのスカートの中を、撮影していたのだ。


一瞬、何が起きているのか分からなかった。なんでこんなところにスマホが?という疑問が先に生じて、思考が止まってしまっていた。


驚きと戸惑いのせいで、状況を上手く認識できなくて、「あれ?怪奇現象?」とすら思ってしまった。


(ちょっと待って、これって……)



──盗撮?



その二文字が頭に浮かんだ途端に、僕の思考は一気に加速した。


スマホを持つ手の主を、直ぐ様見つけ出した。それは、黒影さんの左側に立つ……スーツを着た若い男の人だった。




「何してるんですか!!」




自分でも珍しいと思うほどに、僕は電車の中で怒鳴った。


そして、スマホを持つ手をぎゅっと掴んで、離さないようにした。


男はびっくりして、僕の手を引き離そうとしていた。


狭苦しい車内で、僕とその男との綱引きが展開された。


「し、白坂くん?」


黒影さんはきょとんとした顔で、僕のことを見つめていた。


「みなさん!この人!痴漢です!今僕の友だちを、盗撮してました!」


僕は大声を張り上げて、周りの人たちに助けを求めた。


「え?痴漢?」


「なになに?今どうなってんの?」


遠くの方で、見物人の呟く声がした。


「痴漢したのはあんたか!大人しくしなよ!」


周りにいた男の人たちが、一斉に盗撮魔に群がって、羽交い締めにした。


「ぐっ!ぐうっ……!」


さすがの盗撮魔も動けなくなって、持っていたスマホを床に落とした。僕はさっとそれを拾い上げて、画面を確認した。


そこには、間違いなく黒影さんのスカートの中が写り込んでいた。


それを見た瞬間、僕は久しぶりに、本気で怒っていた。閉じている口の中で、歯を思い切り食い縛っていた。


(黒影さんにこんな酷いことをするなんて……。許せない……)


「白坂、くん、どうしたの?何があったの?」


黒影さんが恐る恐る、僕へそう尋ねてきた。僕は怒りで昂った口調のまま、「盗撮だよ」と答えた。


「と、盗撮?」


「うん。君の……スカートの中を撮ってたんだ」


「え……?」


「でも、もう大丈夫。黒影さん、次の駅で降りようか」


僕は握り潰すくらいに力を込めながら、盗撮魔のスマホをポケットにしまった。




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