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22.堕ちる(後編)



ティントーン、ティントーン


ガタンッ



電車の扉が開いた。どこかの駅に着いたみたいだ。


僕はその駅で一旦降りて、駅員さんを呼んだ。そこで、事の顛末を話して聞かせた。盗撮魔が持っていたスマホを渡して、それを証拠品として回収してもらった。


「ありがとうございました。では、後はこちらの方で。何かありましたら、ご連絡いたします」


駅員さんはそう言って、黒影さんと僕の連絡先を記録した。


盗撮魔は、周りの人たちによって捕らえられたまま、駅員さんへと引き渡された。そしてそのまま、事務所へと連行されて行った。


僕は遠退いていく盗撮魔の背中を、いつまでも睨んでいた。


「全く、最低だよ。あんなことするなんて」


ふと気がつくと、隣に黒影さんがいた。彼女は何も言わずに、ただその場に立ち尽くしていた。


(……きっと、怖かったよね。なんたってスカートの中を盗撮されたんだから)


僕は彼女の顔を覗き込んで、「大丈夫?」と尋ねてみた。


黒影さんはハッとして、「う、うん、大丈夫」と答えた。


「怖かったよね、黒影さん。あんなことされて……」


「え?ま、まあ……そうだね」


彼女の反応は、思ってたよりも冷静だった。たぶん、恐怖よりも驚きの方が強かったのだろう。


「ごめんね、白坂くん。ボクのこと、助けてくれて」


「そんなの当たり前だよ。あんなのさすがに許せないし」


「………………」


「とにかく、見つけることができてよかった。ああして気がつかない内に撮られている被害者も、きっと大勢いるんだろうなあ。酷い話だよほんとに」


「……でも、なんていうか、その、あれだね。盗撮した人も、残念だよね」


「え?」


「い、いや、たぶんほら……盗撮した人の位置からじゃ、ボクの顔、見えなかったと思うから」


「……?」


彼女が何を言おうとしているのか、この時まではまだピンと来なかった。


だけど、次の言葉で……僕はようやく、彼女の気持ちを理解した。


「ボクみたいな……女の子らしくなくて、可愛くないやつを盗撮したって、し、仕方ないのに……ね」


「………………」


「こんなことされるなんて、ボク、夢にも思わなかったよ。盗撮した人も、可哀想になあ。は、ははは……」


黒影さんの口から、乾いた笑い声が漏れていた。自分を卑下しているような、そんな笑い方だった。


──その時、僕は初めて、黒影さんに対して“怒り”が湧いた。


それは、彼女のことを嫌いになったから怒りが湧いたのではない。彼女が大事な友だちだからこその怒りだった。


「黒影さん」


僕は彼女の両肩を、真正面からぎゅっと掴んだ。そして、はっきりとこう言った。


「君は、ちゃんと女の子だよ」


「……え?」


「少なくとも、僕はそう思う」


「………………」


僕が真剣に怒っていることを、彼女へ伝えたかった。相手の眼を真っ直ぐに見て、じっと視線を送った。


黒影さんは、眼を大きく見開いて、僕のことを見つめていた。彼女もさすがに、僕が怒っていることには驚いている様子だった。


大事な友だちのことを、悪く言われたくない。たとえそれが、本人の口からであっても。


「……黒影さん」


「は、はい」


「くれぐれも、気をつけてね」


「え?」


「もちろん、盗撮したり痴漢したりする人が一番悪い。そんな人がいなくなるのがいいに決まってる。でも……それはなかなか叶わない」


「………………」


「だから黒影さん、自分のことを……もっと大事にして欲しい。自分が痴漢されたりする可能性がある……女の子なんだってことを、十分に分かって欲しい」


「………………」


黒影さんは、黙ってこくりと頷いた。それを見届けた僕は、ふうと息を吐いて、彼女の肩から手を離した。


「ごめんね、黒影さん。お説教みたいなこと言って」


「う、ううん。大丈夫……」


「それじゃあ、帰ろうか」


「う、うん」


そうして僕たちは、またやって来た電車に乗って、自分たちの家へ向かうのだった。


「………………」


「………………」


さっきまでの楽しかった空気は、途中で水をさされたせいで、すっかり失せてしまった。


僕も彼女も、何も話すことなく、ただ黙ってつり革に捕まっていた。


窓の外の景色が目まぐるしく通り過ぎていくのを、僕はぼんやりと眺めていた。


『次は、向谷、向谷。お出口は右側です』



ティントーン、ティントーン


ガタンッ



気がつくと、僕が降りる駅に到着していた。


「それじゃ、黒影さん。僕はもう行くね」


彼女はすっと顔を上げた。そして、こくりと小さく頷いた。


「今日のことは、ほんと……その、気にしないでっていうのも変な話だけど、うーん……」


「………………」


「……ごめん、上手く言えないや。とにかく、もし何か困ったことがあったら、全然言ってくれていいからね」


「……うん。ありがとう、白坂くん」


「それじゃ、また学校で」


「うん」


そうして、僕は彼女へ手を振ってから、電車を降りた。


夕暮れの街中を、1人静かに歩いていった。










……どうしよう。


どうしよう、どうしよう、どうしよう。


ボクは、かつてないほどにドキドキしていた。


心臓の鼓動がドンドンドンドン早くなって、今にも爆発しそうだった。


正直に言うと、盗撮されてたことはそこまでショックではなかった。


どちらかと言うと、驚きの方が強かった。


「ボクなんかを盗撮する人がいるんだ」という、物珍しさすら感じていた。


それよりも、盗撮した人に対して怒っている白坂くんを見たことがショックだった。


変な話だけど、「白坂くんも怒るんだ」という気持ちになった。いつも温厚で、明るくて、大きな声を出したり騒いだりする人じゃない。そんないつもの彼とのギャップが激しかった。


助けてもらったのは嬉しかったけど、少しだけ彼のことを怖いと思ってしまった。こんなこと思っちゃいけないんだけど、怒っている白坂くんは、あまり見たくなかった。


だから、彼に和んで欲しいなと思って、ボクはちょっとした冗談のつもりで自虐ネタを言った。



『盗撮した人も、可哀想になあ。は、ははは……』



でも……それに対して、彼は、彼は、こう言ってくれた。



『君は、ちゃんと女の子だよ。少なくとも僕は、そう思う』



真っ直ぐで真剣な眼が、ボクの心臓を貫いた。


バクンッ!と、心臓が跳ね上がった。


(ボ、ボクのこと、白坂くんは、お、お、女の子として、見て……くれている?)


いつもいつも、バカにされてきたのに。


女の子っぽくないって、全然魅力ないって、そう言われてきたのに……。




『おい見ろよ!枯れ木いんぞ枯れ木!』


『あいつの身体やべーなー!ぜってー女じゃねえだろ!』


『ケツ蹴ったら一発で死にそー!ぎゃはははは!』




昔のトラウマが、走馬灯のように浮かんで来る。でもそれが、白坂くんの眼差しに……上書きされていく。


その瞬間に、ボクの胸の内側から、湧き水が吹き上がるようにして、とある感情が身体中を満たしていった。


あ、あ、白坂、くん。


ごめんなさい。


白坂くん、ごめんなさい。


好き。


白坂くん、好き。


好き、好き。


ボク、君のこと、好き。


本当は、ずっと前から君のこと、好きだったんだと思う。


でも、恋なんてボクには似合わない、そんな気持ちにはならない方がいいって、そうして自分にブレーキをかけていた。


だって、その恋が叶うわけないんだから。


ボクなんかが愛されるわけないんだから。


クリアできないと分かってるゲームに、誰も挑戦しないのと同じ。ボクには恋愛なんて、きっと一生縁のない話だと思っていた。


でも、もう無理。


ブレーキは完全に壊れてしまった。


恋をする時に「堕ちる」という表現を使うことがあるけど、それが本当によく理解できる。抜け出せない沼に、自ら足を踏み入れているような、そんな感覚がある。


この恋は、きっと叶わない。ボクなんかが彼に選ばれるわけない。ボクに好かれても、迷惑だろうから。


でも、好き。


好きなの、白坂くん。


きっと、この世でたった一人、ボクのことを女の子として見てくれて、そして……優しくしてくれる。


ボクの……初めて好きになれた、男の子。


好き、好き。


好き。



──ボク、白坂くんのこと、本当に好き……。










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