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第22話 じゃあ、さようなら

 振り向かないまま口を開いた。


「何の用?」


 自分で思っていたよりも冷たい声が出る。

 手が震える。

 心は震えない。

 あれほど聞きたかった声のはずなのに、聞きたくない。

 その口から出てくる言葉が、怖い。


「用……っていうか、話をしたくて」

「話? 何の? ああ、そうだ。ご結婚おめでとうございます。仕事で祝いに行けなくて、すいませんでした。お子様も生まれていたんですね。重ね重ね、おめでとうございます」

「郁……そういう話じゃなくて」


 嫌味っぽいのはわかっているけど、口から出てくる言葉はそういうのしかなくて。

 振り向くこともできなくて、足元を眺めながら早口で言った。

 ナオはそういうのじゃなくてって言って、おれの腕をとる。


「こんなとこでする話でもないだろう。どこかに入ろう」

「いやだ」

「郁」

「離せ。こういうとこでできない話なら、聞く気はない」

「郁」


 今更、何を話すっていうんだ?

 しばらくにらみ合って、結局、どこかで腰を落ち着けてっていうのはなしで、立ち話をするだけにした。

 迂闊にどこかに入ろうっていうのに頷いて、個室にでも連れ込まれちゃたまらない。

 長く付き合っていたんだから、ちゃんと覚えているんだ。

 ナオはそういうとこ、ズルいと思うくらいうまいから。

 目についた自動販売機で温かい飲み物を買って、近くのガードレールに凭れる。

 並んでいるのに顔を見る気にはなれなくて、靴の先を眺めた。


「お前は、許してくれていると思っていた」


 おれが風邪をひく前に手早くしなきゃなって、苦笑いしてナオは口火を切った。

 無駄に優しいのが、悔しい。


「何を?」

「俺のことを。何も言ってこなかったから、許されてるんだって、増田の結婚式の日、思ったんだ」

「何を勝手な」

「そうだな……勝手だった。お前は、俺を諦めてたんだな。気がついたのは連絡が取れなくなった後だったよ。……ごめん」


 ナオがおれに頭を下げる。


「俺が不誠実だった」


 道端で、それなりにいい年齢のいい見た目の男が、貧相なおれみたいなのに頭を下げるなんて、なんて滑稽。

 意地が悪いってわかっているけど、おれは黙っていた。

 こんな終わりを求めていたんじゃない。

 それなのに何をしてるんだろうって、思った。


「順番を間違えた。ちゃんとお前と話をしなかった」

「それ、自分で気がついたんじゃ、ないだろ?」

「ああ……うん、実は……雀部に言われて、気がついた」


 おれが行方をくらませた形になった去年の正月、チュンと二人で会ったんだって。

 チュンのやつ、心配してたぞしか言ってなかったけど、ホントはかなりナオを詰めていたらしい。

 別れるのは仕方ないけどちゃんと話をしろって、ナオにも言ってたって。


「面倒だって思うなら、そのままにしておいてくれてよかったんだ」

「郁」

「ホントはそうしたかったんだろ?」


 だから、あの時何も話をしなかったんだろ?

 自然消滅を狙っているんだなって、おれはそう思っていたんだ。

 今更こんな形で話するなんて思ってなかった。


「ごめん……」


 ナオの声が揺れて、驚いた。

 目を上げて顔を見たら、本気で困ったときの顔をしていた。

 しょうがないから口を開く。


「おれはさあ……ただ側にいてくれたら、それでよかったんだよ。他には何にもいらなかったんだ。だからあんたが先に結婚するって話してくれていたら、多分そのまま付き合っていたと思う。そういう意味では、これで良かったんだ。順番間違ってくれて、ありがとう」


 じゃないと、きっと、別れられなかった。

 都合のいい存在だってわかっていても、おれから手を離すことはできなかったと思うから。


「あんたがどうしておれに話してくれなかったのかとか、なんで結婚したのかとか、色々と思うところはあるけど……そういうのはもういいよ。聞いたってもう、どうしようもないことだから」

「ああ……そうだな」

「話は、これだけ?」

「ああ」

「じゃあ、行く。連絡することももうないだろうし、アドレスは消しといて。おれもそうするから」

「郁……」


 まだ何か言いかけていたけど、おれはガードレールから体を離す。


「じゃあ、さようなら」


 理由を聞いたって、今の思いを聞いたって、どうしようもない。

 だってあんたは、もう誰かの旦那で誰かの親だ。

 好きだったよ。

 ずっと側にいて欲しいと思っていた。

 いられると思っていた。

 気持ちは変わる。

 あんたがおれの手を離したから、おれも諦めた。

 ただ、それだけの話。


 で。

 話をさせたがっていたチュンには、感謝しているけど尻ぬぐいもしてもらうことになった。

 夜中に外で立ち話したら、そりゃあ熱くらい出るよね、おれだし。

 次の日の退勤後、待ち構えていたチュンと合流したときは、すでに微熱にしてはちょっと高めだった。

 ため息つきつつ、チュンはおれを引き受けてくれたのだ。

 ちゃんと、テルさんにも連絡入れて。

 以前、三者面談みたいな挨拶をされた時にはすごく恥ずかしかったけど、これの伏線だったのかなってことにしておく。





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