結局の所、マリウスの惚気話はたっぷり1時間ほど続いた。俺がさほど退屈しなかったのは、彼の話が上手いのか、それとも惚気以外には帝国の観光地の話が主で(そういえば俺はアンネから聞いたことがなかった)、なかなか興味深い話が多かったからだろうか。
観光地とはいっても、前の世界のように整備されているわけではなく、「あそこの景色がいいらしいぞ」と民衆の間で噂になっているところを、そう言っているだけだ。
帝国は国土としては山がちなところで、王国にある最高峰よりも更に高い山がいくつもあるそうで、そのうちの1つを遠くから見たそうである。
その雄大さたるやと、マリウスは興奮気味に語っていた。
俺が前に帝国に行ったときは、目的地へまっしぐらに進み、事が終われば一目散に戻ってきたから、ゆっくりと景色を見る余裕はなかったし、見たところで心に余裕がなければ美しいと思えたかどうかは怪しい。
俺も何かでもう一度帝国へ行くことがあったら、その山を見て、帝国への印象を変えてみるのもいいかもしれないな。
「登ったりはしないのか?」
「しないなぁ。ああ、でも王国のそんなに高くないところへ行ったことがあるよ」
前の世界の話を出さないように気をつけつつ、それとなく聞いてみたところ、いわゆる高山へ登山をしにいく人はほぼいないようである。
まぁ、前の世界でもかなり高い山に登るようになるのは、かなり時代が下ってからだったように記憶しているし、危険を冒せば名声が得られる可能性はあるだろうが、それで腹が膨れるわけではないからな。
この世界にも8,000m級の山々はあるとインストールが教えてくれたが、それらに登るには専用の装備が必要で、そのいくつかはまだこの世界には存在しない、あるいはしてはいけなさそうなものである。……俺なら作れそうだが。
ともあれ、帝国とはそんな峻険な山々がそびえ、それより幾分低い山々に囲まれた土地であるのだが、当然ながら平地や湖、そして森もある。
その中で湖と森へは立ち寄ったのだそうだ。
「まぁ、湖は優美ではあったけどね。ちょっと怖いとも感じたかな」
「へぇ。またどうして?」
「なにせずっと霧がかかっているもんだから。風が吹いてもどこからともなく霧がやってくる。理由は不明だそうだ」
「それは……怖いな……」
「だろ?」
そう言ってマリウスと俺は笑い合った。
霧が出る条件もなかなかに限られているはずなのだが、ずっと出っぱなしということは、物理法則的なものを超越した原因があるのだろうなぁ。
そして、そのおかげで湖の反対側へ行きたい場合も渡し船はなく、ぐるりと迂回する必要があるらしい。水運ができるようになれば、あの近辺はかなり便利になるだろうなとのことだった。
原因の調査依頼とかが来ないことを祈ろう。
そういえば〝黒の森〟にもかなり大きな湖があるが、帝国の湖と同じく水運はないな。
〝黒の森〟に住んでいる獣人たちは湖を突っ切らねばならないほど急ぐことはない(そもそも回ったほうが早い獣人達も多い)し、他の人々は〝黒の森〟には入らないからだ。圧倒的に需要がない。
そして帝国の森だ。普通、森へ立ち寄ろうとはあまり思わないものである。俺は住んでいるからかなり感覚が麻痺しているが、〝黒の森〟に限らず森とは危険なところである、という非常にシンプルな理由だ。
木々のせいで方向感覚を失って迷いやすいし、住んでいる動物も危険である。
だというのに、なぜわざわざ立ち寄ったのか。俺がそう聞いてみるとマリウスは、
「そのうちエイゾウが住むかもしれないから、先に見ておいたんだよ」
ニコニコと笑いながらそう言った。
どうやら俺が〝黒の森〟から出てこないのは、森に住んで世俗との関わり合いをなるべく断っておきたいからだと思っているようである。
まぁ、当たらずとも遠からずだが。
「俺はしばらくあそこを離れる気は無いから安心しろ」
俺はやや苦笑しながらそう言った。俺が動かない、というよりは動けない理由はあの土地の魔力量の多さだ。それを使って我らエイゾウ工房は良い製品を作りあげているのである。
なので、今のところより魔力量の少ない土地へ引っ越すつもりはあまりない。よほど王国から耐えがたい仕打ちを受けたら考えなくはないだろうが、今現在はそんなこともなさそうなので、当面はいらぬ心配であろう。
俺の言葉に、マリウスはやや神妙に、
「そうしてくれると助かるよ」
そう言って、すぐにいつもの少し含みのある笑顔になるのだった。