日高の誕生日も無事終わった。
今はそれから数日経った空き教室にいる。
「胡星先輩、ちょっと気になったんですけど」
「俺は気にならないから大丈夫だ」
「少しはまともに会話してくれませんか?」
何だろう。葵に対して適当な返しをするにつれて葵が徐々に物騒になってきた気がする。
今だってほら、葵はこちらに笑顔を向けているのに同時に右手の色が変わるぐらい強く拳を握り締めている。そのうち彼女の拳が俺の人中辺り目掛けて発射されるかもしれない。
「胡星先輩と日高先輩の関係ってどんな感じなんですか?」
いきなり何のこっちゃ。
「……どんなと言われても、知り合いって関係だな」
「友達でさえないんですね……。え、まさか私との関係も友達じゃないんですか?」
「同じ学校の後輩だと思ってるぞ」
「せめて知り合いってことにしてください!」
勢い良く立ち上がって机を両手に叩き付ける葵。おいおい、あまり大きな音を立てると俺達がこの教室を無断使用してるってバレちまうぞ。
「葵、静かに」
奄美先輩は操作しているスマホから目を離さずぼそりと葵に告げた。わお、クールですね。
「……ごめんなさい」
謝罪を返す葵だったがその目や口元からはいかにも憮然とした様子が表れていた。何でだろ。
「……はあ、まあ胡星先輩がそういう人なのはわかってましたけど」
葵は椅子にゆっくり座り直した。立ったり座ったり忙しい奴だな。
「で、この前春野先輩とお二人でお出掛けしてたそうですが」
「ああ」
「同じように日高先輩とお二人でどっか遊びに行ったりとかあるんでしょうか」
「いや、ないぞ」
女子四人と集団で動くとき、たまに分かれて二人で行動することもあるがそのぐらいだ。
この前の植物園のように最初から最後まで二人で行動したというのは記憶にない。
「そうですか」
葵はそれ以上の追及なく左手で頬を支えた。
残った右手の方はとっくに握り拳を解いており、掌を机の天板にべったり付けていた。
「……」
少し沈黙が流れ、俺もスマホをいじり始めていたら葵が突然俺のいる方へ右手を伸ばしてきた。
何だ何だと思う間もなく、葵が俺の手を握ってきたのだ。
互いに握手という形ではなく俺の机へ置かれていた右手の甲を葵の右手が掴んできた格好だ。
俺の右手は捕らえられた魚のようにやや細く締めつけられた。
「おい、突然どうした」
「葵、何してんの?」
俺だけでなく、スマホから葵の方へ注意が向いた奄美先輩が聞いても葵は俺の右手から視線を離さないままじっとしていた。
葵の手と俺の手の間には次第に熱が産まれ、親鳥に包まれた卵のように俺の手が熱くなってくるのを感じた。
やがて葵が俺の手を解放した。
「……先輩、ホントにビクともしないんですね」
奄美先輩や俺の問い掛けにも無口だった葵からようやく言葉が発せられたかと思いきや、全く意味が掴めなかった。
「いや、どういうことだ」
「先輩前に春野先輩と料理を交換していても何でもないことのように仰ってましたよね。先輩が女子と触れ合っても緊張しないのか確かめたくなったんです」
葵が事もなげに説明する。
「ア、アンタ、そんな人を勝手に試すようなことを」
奄美先輩が指摘してくる。先程までの落ち着きがどこかへ行ってしまったようだった。
正直俺も内心穏やかではいられなかった。
俺が女子に触れたときの反応を探りたいという葵の意向についてもよく理解できないし、いきなり脈絡なく相手への接触を試みるという葵のぶっちぎった行動については俺の知っている常識の範疇を超えているように思えた。
やってることの飛躍ぶりにいつぞやのサクライ君(仮)を連想しちゃったよ。いずれおんなじ調子で葵が俺に実力行使してこないか心配になります。
「胡星先輩、突然失礼なことをしてしまい申し訳ありません」
葵が俺に深々と頭を下げる。
「でも……ホントに女の子と触れ合っても気にならないんですね」
葵が頭を上げ、自身の顔の前に右手を掲げてくる。
「私はまだ心臓バクバクしてますけど」
葵の前に掲げられた右手の奥に見えるその顔は、新鮮なトマトのように汗の掻いた赤い状態へと変わっていた。
葵は異性と接触することなどほとんど慣れていないのだろう。今の奴の姿からはそれが充分過ぎるぐらいに察せられた。
もっとも、俺も異性との接触に慣れているわけではない。そんなプレイボーイではない。
「気になるも何も、お前の唐突な行動そのものが今一番気になるぞ」
とりあえず率直な意見を目の前の後輩に送ってあげた。
「私も先輩の心臓の強さが気になってます」
葵が皮肉で応戦してきた。やっぱコイツ強キャラだろ。