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第19話

「……で、フデクヨウってなに」


 山宮が再び顔を腕で隠すようにして頭を掻く。その口調もいつもより心なしかぶっきらぼうだ。


「使い終わった筆を神社に持っていって供養してもらうんだ。お札供養とかと同じ。書道部では毎年使い終わったのを初詣に行って供養してもらってるんだって」

「わざわざ行くなんて面倒じゃね」

「神社に行くと気分いいよ。初詣は混んでたけど、普段は静謐で、霊験あらたかって感じでおれは好き」


 そう言って少し笑うと、山宮が呆れ顔になる。


「折原ってジジくさ……。高校生で神社好きって、あんまいなくね」

「委員長も神社は好きって言ってたな」


 山宮が「確かに好きそう」と呟く。


「パタパタするノートに筆で書くやつ……委員長はあれを集めてそうじゃね?」

「御朱印のこと? おれも書いてもらうよ。季節限定のものがあったりして、始めるとはまっちゃうんだよね」


 結局朝会直前まで朔也たちはお喋りをして過ごした。放送室を出るとき、彼がそっとお守りをしまうのを見て、心に爽やかな風が通り抜けるのを感じた。




 新学期の慌ただしさがなくなってきた日の放課後、朔也が「やっほ」と放送室の扉を開けると、床に座り椅子を机代わりにしてなにかを書いていた山宮が「ん」と手をあげた。だが、その右手がマスクを外すと怪訝そうな表情が表れる。


「お前、今日書道部は?」

「自主練だから大丈夫」

「珍し。先週は放課後一度も来なかったろ。自主練も皆勤賞狙いかと思ったわ」 

「今日はちょっと気分転換しようかなって」


 笑いながら言った朔也の言葉に彼がじとっとした目つきになった。


「朝も来たくせに、気分転換にここを使ってんじゃねえよ」

「だって、防音で静かだし、図書室よりも集中できるし。おれがいたら邪魔?」


 すると山宮がシャーペンを置き、深いため息をつく。


「それ、邪魔じゃねえって言わせようとしてね?」

「バレた?」

「ったく……まあ、いいけど。邪魔じゃねえわ。好きにすれば」

「ではお邪魔しまーす。嬉しいなあ、山宮君って優しいんだなあ」


 朔也は明るくそう言ってさっさと上履きを脱いだ。山宮と鞄一つ分空けて、定位置になったカーペットの床にどさっと腰を下ろす。一方の山宮は膝に肘をつき、そこに顔を載せた。


「折原って、案外わがままっていうか、甘ったれっていうか……」

「山宮君の寛大さに感謝してます! 頼れる人には頼ろうと思ってさ」


 急に山宮が口を噤んだ。ちらりと彼を見やると、頬杖をついた顔が照れたように赤らんで、不自然にきゅうっと結んだ口を誤魔化すように手でこすっている。こちらの目線に気づくと「ズリいやつ」と朔也の腕にぽすっと右ストレートを打ち込んだ。


「折原っていい性格してんな。教室でバラしてやりてえわ」

「それはこっちの台詞。山宮だって教室では大人しそうなのに、結構口悪いよ」


 朔也はそう言いながら数学の教科書とノートを取り出した。出席番号を考えれば明日当たるのは確実だ。その様子を見た彼も、「あ」と慌てたような顔になる。


「数学、俺も当たるわ。今日習ったとこ、至急解説要求」


 案の定の流れに朔也は内心笑い、彼の復習に付き合った。冬休みの経験から彼の躓きそうなところは分かっている。




 冬休み明けに二人で話して以来、放送室で過ごす時間が増えた。チャイムの一件等、朝早くから山宮は放送室にいることが多く、朔也が朝訪れるようになってもう何日にもなる。放送室に部員以外が入ってはいけないという言葉も覚えているが、入るなと言われたことは一度もない。


 今日、朔也が放課後に放送室にやって来たのには明確な理由がある。部活に行きたくないからだ。


 卒業式パフォーマンスに向けて、今、朔也はスランプに陥っていた。


 形を整えようとすると筆の勢いが落ちてもたつく。気持ちのままに筆を走らすとバランスが崩れる。立って書く練習になると、周りとの連携ばかりが気になって字に集中できない。


 顧問にはそういった心の迷いを指摘され、ますます体が強張って字が縮こまる。初心に立ち返ろうと自主練で臨書に取り組んだが、手本とは似ても似つかない字になった。得意分野である字を真似ることすらできないのだ。


 一週間前の新一年生の推薦入試が終わった日、書道部は放送部の協力のもと、パフォーマンス甲子園の予選演技の撮影に臨んだ。人数の減った一、二年生だけで行う演技で、朔也は今井と共に選手として参加する予定だった。だが、急遽顧問は朔也を補員、別の一年を選手に変更した。振りつけ等もしっかり叩き込んでいたのだが、字が書けなければ足手まといでしかない。


 あからさまな形で選手を外され、畳敷きの部屋の隅で一人筆を振るう朔也に、部員たちもなにも言わなかった。だが、朔也にはそれが一番怖かった。部長に、先輩に、同学年の女子たちにどう思われているのか分からない。


 墨のにおいを感じ取れなくなり、畳のささくれに心が落ち着かなくなる。文鎮についた墨の汚れも筆先の小さな割れ目も、お前はここにいるべきじゃないと抗議しているようで、朔也は道具入れにつけていた「心願成就」のお守りを外した。


 その点、放送室は居心地がよかった。


 学校のどこよりも静かで人目を気にしなくてもいい。山宮には今井との話を聞いてしまったことには触れておらず、相変わらず関係はクラスメイト止まりではあるが、距離は縮まっている。無条件で自分を受け入れてくれる山宮は、書道に行き詰まっている今なくてはならない存在だった。

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