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第三章

第34話 お隠れ

「う~ん。うめえっ!」


笑顔で大きなおにぎりを両手に抱える義宗とは対照的に銭類を数える貞暁の肩はかなり落ち込んでいる。


はあ…。また、減っていく。

物欲思考は薄い方ではあるが、こうも頻繁に流出するとさすがに泣きたくなるぞ!


恨みを込めた視線を向けても一向に気づかない義宗に対して、沸々と腹が煮えてくる音が聞こえてきそうだ。


「貞暁様。そのようなおじさんなど放っておけばよろしいのに…。あれはいくら食べても満足しない男です」

「そうは言いましてもね」


義宗の食欲にはまいるが、ちょっと気になる事もあるからなぁ。

無下にできないと言うか…。


そんな事を思っているとすぐ近くの屋敷の裏門からひっそりと出てくる二、三人の霊屋たまやと思われる人々の姿をとらえた。彼らは埋葬までの間、故人の管理をする者達。

つまり、屋敷の誰かが亡くなったと言う事だ。


小規模な佇まいだが、見たところ公家の住まいだろう。


身分の高い者達は内裏に近い所を好むと思っていたが違うのか?


いや、公家にも身分の差はある。

だから、京のはずれに住まいを構えている者がいても何ら不思議はないのだろう。


「また、お隠れになったぞ」


囁く通行人の声が耳をとらえた。


「なんでも、疱瘡らしい」

「嫌だわ。私らもかかるんとちゃうやろか?」

「ああ、くわばら。くわばら」


祈るように去っていく見知らぬ者達に内裏で疱瘡が流行っているという通具様の話を思い出した。

嫌な世の中だ。


悪疫の中でも疫病は広がるのが早い。都中に死体の山が出来上がり、瘴気に覆われた例など歴史の中でもいくつも存在する。

今回はそうならなければいいのだが…。


「少し失礼しても?」


首を傾げる義宗と因子に小さく頭を下げ、貞暁は霊屋の後を追った。


「少しお待ちをくだされ」

「これは僧様」


口元に布を巻いた霊屋の男は深々と頭を下げた。


「たまたま通りかかったのですが、これも何かのご縁。その方に祈りを捧げてもよろしいでしょうか?」

「お心づかい感謝いたしますが、この者は疱瘡にかかっている。近づかれますと危険かと…」

「ならば、なおの事、慰めは必要にございましょう」


貞暁は藁で覆われた男に手を合わせた。

一瞬、瘴気の異臭が鼻をかすめた。


死罪になった僧の鬼力を含んだ香りである。


驚き、瞳を開けた。

しかし、空気は思いのほか透き通っている。

そして、亡くなられた哀れな公家からは死者が漂わせる瘴気の気配しかしない。


今のは一体…。

懐にしまった鬼脂が漏れたのか?

思わず、竹筒を取り出すが、開いている様子はない。

ならば、気のせいか?


「僧様。もうよろしいかな?」

「これは足止めしてしまい申し訳ございませぬ」


訝し気な視線を向ける霊屋に頷けば、彼らは去ろうとした。


「あの…」

「まだ、何か?」

「故人の顔を拝んでも?」

「さすがにそれはご勘弁願います」


まあ、そりゃあそうか。


「では、我々は失礼いたしますよ」


今度こそ、霊屋は立ち去っていく。


貞暁は小さく息をはいた。


神経が過敏になっているのやもしれぬ。

住蘭の…奴の幻影を見たばかりであるしなぁ。


ふと、見上げると貞暁の頭の上空に赤い花が散っていた。

鬼花か。

悪鬼が振りまく鬼力が形を成した花。


近くに悪鬼が潜んでいるようだ。


無数の不気味な紫色の羽を羽ばたかせる蛾が上空を占拠していた。


珍しいな。虫の姿を借りたか?

一匹ならば、大して害はないが、集団になれば力を増す。


疱瘡の瘴気に引き寄せられて来たか。


貞暁は地面に散らばっていた砂を少し救い上げ、空に目掛けて息を吹きかけた。


――カッ!


鬼言がこめられた砂は空に舞い上がり、蛾を包み込んだ。


悪鬼は地に帰り、死者には安らぎを…。


貞暁の祈りと共に蛾の一団は一瞬のうちに姿を消す。

たった一匹を残して…。


あぶれた物がいるか。


残された蛾は貞暁の指先にとまる。

不気味に伸びた触覚を揺らめかせて…。


今度は俺の鬼力に引き寄せられたのか?

しかし、悪いな。

お前に渡す力など持ち合わせてはいない。


貞暁は蛾を空いている手で覆い隠せば、瘴気の霧となって蒸発していった。


疱瘡など、早く静まればいいのだ。

都中に蔓延する前にな。


「貞暁様?」


異変に気付いたのか因子様達が駆け寄ってくる。


「何かございましたか?」

「いいえ。死した者を見送っていただけでございます」

「僧の務めってやつか?」


背伸びをした義宗に頷いた。


「そうかもしれませんね」

「律儀だな。縁も所縁もないんだろ」

「縁など、いろいろでしょう」

「ふ~ん。そんなもんかね」

「少し、長居いたしました。先を急ぎましょう。昌家様のお話が本当ならば、おそらく魔問屋があるのはこの先になるかと…」

「なあ…」

「何か?」

「行く前に、干し柿でも買ってくれねえ?」


貞暁と因子は顔を見合わせた。


「ないです」

「ないですね」


二人は義宗に背を向けた。


「おい!待ってくれよ」


疱瘡が都にこれ以上、広がらぬ事を祈りながら、貞暁達はさらに歩みを進めたのであった。


「この辺りまで来るんだったら牛車にすりゃあ、良かったのに。俺は別にいいけどよ」

「はあ…。公家感満載の牛車で来てみなさい。魔問屋どころか人っ子一人姿を見せなくなりますよ」


場末は都の中でも荒れた地域。違法な商売をしている人間も数知れない。だが、そんな連中は頭もよく回る。公家に手を出せば、自分達の身が危ない事が分かっているのだ。まあ、中には金を持っていると思われて、身ぐるみはがされる可能性もあるが…。


そう考えれば、昌家様は本当についていたのだろう。

そして、俺達もだ。公家の姫君の装いの因子様の姿はこの辺りにいる者なら真新しく良い獲物に映るだろうが幸い一緒にいるのは義宗だ。

明らかに手練れの彼に挑む人間はおそらくいない。

そういう点では俺も運が良いと言える。

だからといって、金が消えていく原因を作っている義宗を許す気はない。

かなり、根にもってるからな!


「昌家様がおっしゃっていた魔問屋とはあそこでは?」


因子様が指さした方向に見えたのは、蛇の看板が風で回転しているいつ崩れてもおかしくないような小屋であった。

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