こちとら三日間ほぼ徹夜状態なのに、九頭竜炎牙師匠のリモート指導は今からが本番らしい。ここから俺のレベルアップが始まる!って信じ込まなきゃ、心が持たない。
そもそも、俺の三日間の努力を、せめて少しは褒めてくれるんじゃないか――という甘い期待は、九頭竜炎牙の冷徹な一言で粉々に砕け散った。
「さて、大地君。100作品の現代ファンタジーを読んでみて、どんなテーマや設定が印象に残った?」
画面越しの九頭竜炎牙は、例によってどこまでも冷静で美しい。だがその眼差しは、俺を試す鋭い刃だ。俺は気圧されながらも、なんとか自分の脳内を掘り起こし、特に印象に残ったパターンを拾い出す。
「そうですね……まず、『ダンジョン』が舞台のものが多かったです。モンスターが出てきたり、レアアイテムが手に入ったりする定番のやつです」
「なるほど。それで?」
「それと、主人公が中年サラリーマンで、仕事に疲れてるっていう設定が目立ちました。いわゆる“疲れた大人の逆転劇”みたいなテーマですね」
九頭竜炎牙は小さく頷く。その微笑みが「よく気づいた」と言っているのか「面白くない」と呆れているのか、俺には判断がつかない。
「あと、“思いがけないきっかけ”で主人公が無双状態になる展開が多かったですね。例えば、落とし穴に落ちたら偶然ボスの弱点を発見して倒せたとか、助けた子猫が実は神様でチート能力を授けられるとか……」
ここまで言って、俺はふと口をつぐんだ。そして、全身の血がスーッと冷えるのを感じた。
——いや、これ……俺が書いた小説とほとんど設定が同じじゃないか?
九頭竜炎牙は、そんな俺の動揺を見透かしたように口を開く。
「どうしたの? 続けなさい」
「いや……気づいたんですけど、これ……俺が書いた異世界小説と設定がほぼ一緒なんですよね」
俺は額に手を当て、天井を仰いだ。
ここまで来て、俺の頭の中が100%テンプレで構成されていることにようやく気づくとは……。これが成長ってやつなら、つらすぎる。
九頭竜炎牙は小さく笑った。ああ、この笑いには見覚えがある。俺の愛する師匠のラノベコレクションをゴミ箱送りにした時のあれだ。
「そうね。テンプレはどのジャンルになったとて大きくはかわらないのよ、それに気づけただけでも収穫なんじゃない?」
俺はハンマーで頭を殴られたような気分だった。テンプレの基本に気づいただけ?三日徹夜して100冊読んだ俺の苦労の末のご褒美として自分の個性の無さに気付かされるとは……。
「では、大地君。あなたの新作を改めて見直してみましょう。まず、タイトルを読んでみて」
「えっと……『ブラック企業のプログラマーの俺がゲーム知識で異世界無双』です」
……言いながら、自分でも恥ずかしくなる。
長いし平凡、しかもこの手のタイトルは投稿サイトのランキングを見ればいくらでも出てくる。俺の自信作だったはずのタイトルが、今や負の遺産みたいに思えてきた。
九頭竜炎牙は画面越しに目を細めた。
ああ、この視線だ。この目は俺の魂をスキャンして欠点を暴き立てるモードのやつだ。
「それが、この小説の一番の問題点よ」
「……問題点?」
「タイトルを見て、何か心を動かされる?」
「えっと、内容は伝わるんじゃないかな、と……」
「タイトルはただの説明文じゃないの。読者に“次のページをめくらせる魔法”であるべきよ」
俺は頭をかきむしった。確かに、タイトルが面白そうに見えなければ読まれないのは当たり前だ。でも「魔法」って言われても、そんなの俺には使えない。俺はせいぜい、ストレートな事実を並べるだけだ。
九頭竜炎牙はさらに続ける。
「次に、主人公ね。あなたの主人公――ブラック企業で働くプログラマーには、どんな欠点があるの?」
「欠点ですか……えっと、仕事が辛くてネガティブで、あまりやる気がない……とか?」
「それは欠点と言えるのかしら?」
「え……?」
「欠点というのは、単なる弱点ではないの。物語の軸になる“克服すべき課題”よ。例えば――その主人公は、何を最も恐れているの?」
「何を……恐れているか……」
質問の意味は分かる。だが、答えられない。自分で書いた主人公の心の奥深くに、恐怖や欲望を考えたことなんてなかった。俺が考えたのは、いかに効率よく無双させるかだけだった。
九頭竜炎牙は軽くため息をつき、話を続ける。
「読者が求めているのは“人間”よ。彼らが感情移入できる主人公には、『恐れ』や『欲求』が必要なの。それが物語に深みを与えるの」
俺は画面越しに頭を垂れた。これ以上の追撃が来たら、俺のHPはゼロだ……と思ったのに、九頭竜炎牙の声は止まらない。
「最後に設定の意外性。正直、あなたの小説の設定はありきたりね」
「……いやでも、テンプレってそういうものでしょう?」
「テンプレートは道具よ。それをそのまま使うのは単なる怠惰。読者を引き込むのに必要なのは“想像力”と“ひねり”なの」
俺は息を飲んだ。九頭竜炎牙の鋭い瞳が画面越しに刺さる。
「例えば、転生の舞台をもっと意外な場所にするだけで、物語は一気に新鮮になる。未来の日本、VRの仮想現実、あるいは現代のどこか特異な場所……それが現代ファンタジーの醍醐味なの」
「現代の……特異な場所?」
「例えば“超ホワイト企業”なら?誰もが憧れる理想郷に見える場所で、裏に隠れた闇を主人公が暴くとか」
俺は思わず唸った。超ホワイト企業が舞台?そんな舞台設定、俺の発想にはなかった。けど……うん、ありかもしれない。
「大地君。ネット小説というのは、読者が一度も見たことの”ない”風景を、さも”ある”ように描くことなの。そのためには発想を柔軟にしなさい」
九頭竜炎牙の言葉が画面越しに突き刺さる。確かにごもっともだ。でも、正論を正面から浴びせられると、何というか、心がしんどい。
「でもなあ……俺なんかが、そんな斬新な世界を描けるなら、そもそも読者ゼロなんて状況になってないわけですよ」
俺は渋々そう答えた。画面の向こうで九頭竜炎牙は微かに笑った気がした。いや、たぶん気のせいだろう。あの人が笑う時、それは俺に次の地獄を用意した時だけだ。
「あなた今、欠点に触れてるわよ。必要なのはセンスじゃないの、読者が“次”をめくりたくなる反転の物語、自分の欠点が種に変わることもあるの」
「自分の欠点を物語の種に、ですか……。いやまあ、言いたいことはわかりますけど、それをどうすればいいのかが分からないんですよね」
そう呟いた瞬間、俺の頭の中で「発想」と「柔軟性」という言葉が混ざり合って、「お手上げ」という結論に達した。俺は椅子に深く沈み込んだまま天井を見上げる。誰か俺の頭にアイデアを注ぎ込んでくれる神様とかいないだろうか?
そんなことを考えていると――。
ピンポーン。
部屋のインターフォンが突然鳴った。予想外の出来事に、一瞬だけ動きが止まる。こんな時間に誰が来る?宅配の予定もないし、友達なんてほとんどいない。ついでに言えば、俺に会いに来る物好きがいたらむしろ名乗り出てほしい。
画面越しの九頭竜炎牙が首を傾げる。
「誰か来たの?」
「いや、分かりません。俺、滅多に来客なんてないんで……ちょっと待ってください」
パソコンを一旦ミュートにして席を立ち、玄関へ向かう。ドア越しのチェーンを外して恐る恐る扉を開けると、そこに立っていたのは――。
「……妹?」
見慣れた黒髪のボブカット、俺を睨むような視線を送ってきたのは、紛れもなく俺の妹・佐倉
「お兄ちゃん、どうせ暇なんでしょ!はやく開けてよ」
開口一番、いきなりの口撃。いやいや、俺は別に暇ではない。暇ではないが大したことをしていないのが「俺」という人間なのだ。
「いや、いまリモート会議中なんだけど……というか、なんで来たの?」
「心配だからに決まってるでしょ。お母さんが『あの子、小説家になるとか言い出して何考えてるのかさっぱり分からない』って嘆いてるわよ!」
「あのさ、何目指そうが別にいいじゃん。俺の人生は俺のものなんだから」
「何その言い訳。『俺の人生は俺のもの』って、ラノベの主人公のつもり?良い歳して厨二病こじらせちゃってる人の言いそうな台詞だよ!?」
ぐうの音も出ない正論が飛んでくる。さすがだ、俺の妹は。
ちょっと待ってろと言ってドアを閉めると俺はPCに戻って師匠に頭をさげた。
「誰だったの?」
九頭竜炎牙の冷静な声がPCスピーカーから響く。
「あ……妹です。ちょっとした家庭の事情で……今日はこれで一旦終了ってことでいいですか?」
「突然の妹襲来?いいわねぇ……いい!そういう日常にヒントは宿ってくるのよ!」
やっぱこの人、顔はいいけど、ちょっと頭おかしい。
「じゃあ、続きはまた後でね。せいぜい、いい刺激を受けてくるといいわ」
PC画面越しに九頭竜炎牙が軽く微笑んだ。俺の返答を待たずに、画面がプツリと暗くなる。何だかんだで投げっぱなしじゃないか、あの人。
俺は仕方なくドアを開け、腕組みして仁王立ちしている妹ことスバルに目を向けた。
こいつが新たな物語の種になるのか――?それを見つけるのは、どうやら俺次第らしい。
続く――。