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第二話 聖域を蝕む牙

 ドゥエルの村で起きた〝ネズミの大繁殖〟。

 エレノアはこの数日、ブロンテと共に村中を走り回った。


 村人と手分けして毒餌や罠を仕掛け、ラットサインを辿った巣を潰し、さらには探知魔術を駆使して夜中まで暗がりを徘徊する群れを追跡・討伐──。


 それこそ、寝る間も惜しまぬ奮闘をしてきた。


 だというのに翌日には、前日築き上げた死骸の山の倍のネズミが這い回っていると聞き、エレノアは思わず天を仰いだ。



(いったい、どれほど潜んでいるというの……?)



 一向に終わる気配のない任務に、疲労ばかりが降り積もって行く。


 村の中央広場で表情を曇らせた村人が十数名、ブロンテに詰め寄っている。



「穀物倉庫がまた荒らされたんだ! そっちで退治してるって聞いてたのに、なんで被害が増えてるんだよ!」


「こっちは家畜も噛まれてたぞ! もう食糧が底をつきかけてるってのに……!」


「す、すみません……。で、でも、必ず解決してみせますから……」



 苛立ちや悲鳴まじりの声にブロンテが大柄な身体を小さくすぼめ、ひたすら謝罪を繰り返していた。


 エレノアも「何か言わなければ」と思ったが──どう声をかけても言い訳にしかならない気がして。結局、口を噤むしかなかった。


 村人たちはひとしきり苦情をぶつけ終えると、小声の罵声を投げて散り散りに去っていき、不安と絶望の滲む彼らの背に、エレノアは苦い思いを抱いた。


 とぼとぼとエレノアの元へやって来たブロンテが、項垂れたまま呟く。



「こ、こんなに倒してるのに……増えるなんて、おかしいよね……」


「……何か他の原因があるのでしょう。単に繁殖が早いというより、魔術か何かで増殖を促されている可能性も……」



 そう考えずにいられないほど、常識外れの事態だった。


 エレノアは奥歯を噛む。

 戦場でいくつもの死線をくぐり抜けてきたエレノアにとって、ネズミ退治など物の数ではなかったはずだ。なのに──。



(こんなところで足止めされてどうする……! 私には戦うべき、もっと大きな〝敵〟がいるのに)



 脳裏に、倒すべきサンクリッド王国の姿がちらりと過ぎる。

 何も進まず、無駄に時間ばかり浪費している焦りが、エレノアの胸を苛立ちで満たす。


 すると、ブロンテがエレノアの顔色を窺いながら提案をしてきた。



「あ、あの……隊長に相談してみる? ナイト隊長なら……何か、対策を知ってるかも……」



 しかしエレノアは〝あの男〟を頼るのを躊躇ってしまう。


 ヴェインがただの〝お荷物部隊〟ではないのはわかっているが、ナイト本人の力は未知数だし、彼に頼ったら負け──そんな妙なプライドが拭いきれない。



(……私たちだけで、解決できていないのは事実だけど、簡単に助けを求めるのは……)



 エレノアが思い悩んでいると、背後から酷薄な声が降ってきた。



「おい、お前ら。暇なら手伝え」



 振り向けば、漆黒のローブを纏ったヴァンが三白眼を細めて立っている。

 彼はブロンテが「あ、ヴァン……!」と声をかけるのも無視して言葉を続けた。



「お前らがちんたら駆除してる間に見つけたぜ。増殖の原因と思われる場所をよ。とにかく来い」



 半ば強引な顎の合図。エレノアは訝し気に眉をひそめたが、問答無用の雰囲気に押されて追いかけるしかなかった。



❖❖❖



 ヴァンに連れられてやってきたのは村の外れ、草木が揺れる小高い丘に建つ小さな教会だった。


 教会は女神ルクスの加護に守られる聖域──のはずだが、周囲には大量のラットサインがあり、入り口近くや壁の一部が無残に崩れている。



「こ、ここまでネズミに浸食されてるなんて……どうして、教会の人は気づかなかったんだろ」



 ブロンテが青ざめた面持ちで呟くと、苛立ちをあらわにしたヴァンが木扉に手を置いた。



「女神の加護があるからと胡坐をかいてたんだろ。──入るぞ」



 扉を開いた瞬間、聖堂内部から祝詞に混じるすすり泣きが聞こえてきた。

 一歩踏み込み、祭壇付近を見やると、純白の祭服を纏った神官たちが右往左往している。中には床に膝をついて祈る者もいた。



(加護のある聖域で、これほどまでに……)



 床や壁には、赤い目を光らせながら走り回るネズミの姿──。

 加護によって寄りつかぬはずのものが、聖堂を穢す異様な光景が広がっている。



「……これはどういう状況ですか?」



 エレノアが尋ねると、神官の一人が震えながら祭壇を指差した。



「少し前、壁に小さな穴を見つけて……そこから瞬く間に……! 床下からも、物音が……!」


「軍の方、女神ルクス様! どうか我々をお救いください……」



 神官たちが涙ながらに頭を下げる。その姿にエレノアは奇妙な罪悪感を覚えた。ここで何とかしなければと気持ちが逸る。

 不意にヴァンが舌を打ち鳴らす音が聞こえた。彼は祭壇を睨んでいる。



「……床下に空洞がありやがる。昨日今日で出来たもんじゃねぇな……元からか?」


「地下水脈の名残かもしれません……この教会は、かつて水害を治めるために建てられたとも伝えられております」


「なるほど。これは一筋縄じゃいかねェぞ。お前ら、武器を構えておけよ」



 見てもいないのに床下の状況がわかっているような口ぶり。エレノアは少し疑問に思ったが、今はそのような事を気にしている場合ではないだろう。


 彼が背中の狙撃銃ではなく、腰の二丁マナ装填銃を抜いた。ブロンテもグローブを嵌めて臨戦態勢を取り、エレノアも剣を抜く。


 そうして急いで神官たちを外へ退避させると、祭壇へ向かった。


 一歩足を進める度に、木製の床板がギシギシと音を立てる。


 亀裂の走った石造りの祭壇と、めくれ上がった床板の隙間から往来するネズミの影。最接近して覗き込むと、闇の向こうから耳障りな金切り声が聞こえた。



(……降りるしかない)



 エレノアはためらいを振り切るように深呼吸し、穴へと飛び降りた。


 生ぬるい風が頬を撫でる。足元にぬかるみ。糞尿と泥の混じった悪臭が鼻をつき、思わず眉をよせた。


 数拍遅れてブロンテとヴァンが降り立ち、月のない夜のような闇が支配する空間に小さな赤い光が瞬く。


 ──ネズミの瞳だ。エレノアは息を飲む。



「ひっ……!」



 情けない声を漏らすブロンテを手で制し、エレノアは魔術で淡い光を灯す。


 浮かび上がったのは、普通のネズミより二回りほど大きな個体が何十匹とひしめき合う群れの姿。さらに、小さな個体が蟻のように奥へ巣材を運んでいる。


 ただのネズミでないことは明らかだ。


 キイキイという鋭い鳴き声とともに空気が震えた。群れの視線が一斉にこちらへ殺到する。



(来る……!)



 背筋に鋭い寒気が走る。エレノアは強く剣を握り締め、ブロンテとヴァンへ目配せした。


 ──ネズミの異様な繁殖と、この地下空洞。

 常識では考えられない〝何か〟が起きているに違いないと、エレノアは確信する。

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