「あの子は家の敷地内からちゃんと出ていったようよ」
温室から邸内の居間へと場所を移し、使用人からの報告を受けたミュリエーラがその場に座る全員に聞こえるようにはっきりと伝えた。
ミュリエーラは一人掛けのソファに腰掛け、隣にはアリシアと眠たそうに目をこすっているサイラスが座る。
その向かいのソファにクラリスとキースが座り、アシュリーは立ったままマントルピースの上の時計を触っていた。
「さすがにあれだけのことをしておいて、これ以上家に居つこうなんて思わないんじゃないかな」
「あら、わかりませんわよ。アシュリー様もおっしゃっていたではありませんか。子どもというものはかくれんぼが好きでしょう」
優しくサイラスを見つめながらアリシアが言うと、確かにねとアシュリーも頷く。
「まあ、一応目印に〝鳥籠〟も付けておいたから大丈夫かな」
「目印……あのネックレスのことですか?」
「そうそう。あの鳥ね、特定人感センサーが付いているんだ。ランダムに鳴く以外にも、クラリス嬢に近づくと鳴くように設定してあるから、さっきの鳴き声覚えておいてね。聞こえたら、ああいるなってわかるでしょ」
まさかの機能に驚いていると、キースがぽつりと呟いた。
「猫に鈴ですね」
その言葉に皆が思わず我慢できずに笑ってしまった。
「でも随分と癇癪をおこしていたし、捨てられてしまったら意味がないのでは?」
ミュリエーラはそう言うが、クラリスはおそらくそんなことはしないだろう。
アシュリー・レジエンダの作った珍しい魔法道具。さらに純金。そんな付加価値の付いた魔法道具を一時の怒りにまかせてビアンカが捨てるとはクラリスには思えない
しかしアシュリーはその可能性もしっかりと織り込み済みだった。
「大丈夫。ちゃんと追跡機能も付加してあるからね。ある程度離れると鳥籠から飛び出して持ち主を追うように設定したから。そうだな、半年くらいは持つと思うよ」
なんとも才能の無駄遣いと言いたくなるような機能盛り合わせの魔法道具だ。
(ビアンカを避けるためだけに、そこまではさすがに……)
クラリスが呆気に取られていると、キースがアシュリーへ話しかけた。
「アシュリー
(……え⁉ キース様、何を?)
「そうねえ。通る人に泡を吹きかける魔法道具とか、屋根まで飛び上がれる魔法の靴とか、いつも余計なものばっかり作って、本当に仕事になっているのか心配していたけれども。やろうと思えばできるじゃないの、アシュリー」
(えええ? ミュリエーラ様さまで⁉)
「……私も作ってもらおうかしら。テイラー様に付けてもらうために」
(…………アリシア様はいったい何のために?)
アシュリーは新型の〝ベル〟や、瞬間移動魔法など、普通の人では考えられないような魔法道具や魔法を生み出しているというのに、こんな特殊な魔法道具を初めて役に立ったとまで言われてもいいのだろうか。
クラリスはお節介にもそんなこと考えたが、当の本人は家族に褒められたこと、特にキースに義兄さんと呼ばれ感謝されたことが嬉しいようで「いや、やっぱり? 僕って天才かなあ」などと言いながらホクホクとした笑顔を見せていた。
使用人たちが居間に新しくお茶を運んでくると、ミュリエーラたちはそのまま会話を続けた。レジエンダ公爵家の賑やかな会話は聞いているだけでもとても楽しい。
ゆったりとした気分で彼女たちの話を聞いていると、隣に座るキースがクラリスの髪を一房手に取り唇をつけた。
「キース様……こんなところでダメですよ」
「せっかくこうして貴女に会えたというのに、そんな悲しくなることをいわないでください、クラリス」
(う……。そんな、私だって久しぶりに会えたけれども、でも……)
ただでさえ仕事が忙しすぎて邸にもなかなか帰って来られないし、そうでなくてもクラリスが熱を出してから一度も顔を合わせていないので、キースの言いたいことは痛いほどわかる。クラリスだって同じ思いなのだ。
(けれども、だからといって皆のいるところでは……)
ちらりとミュリエーラたちの方を窺うってみる。視線はこちらに向いてはいないけれど、なんとなく皆の意識がこちらに向いている気がして仕方がない。
「誰も自分たちを見ていませんよ」
(嘘っ、絶対に嘘です! キース様は私よりもっと感覚が鋭いはずなのに、気がつかないなんてありえないわ)
顔を真っ赤にしながら、頬を膨らますクラリス。
その姿が可愛らしくて、キースはなんだか少し意地悪な気分になる。しかし、それをして嫌われたらもともこもないと、グッと我慢して髪から手を離した。
「では今から少し外に出ませんか? もう少しすればまた本部の方へ戻らないといけないので」
またすぐ戻ってしまうと言われれば、クラリスも急ぎ腰を上げる。ミュリエーラも軽く手を上げて早く行きなさいと声には出さずに伝えてくれた。
クラリスとキースはさすがに温室の方とは別の方角、ガゼボへと足を向けた。緑と花に溢れたガゼボは今日も美しく手入れされている。
(そういえばあの日はアシュリー様が瞬間移動の魔法で突然飛び入りしてきたわね)
今日はキースがその瞬間移動を使ってクラリスの危機に飛んできてくれた。キースはなんということもないように言っていたけれど、魔法習得のための必要な王家との契約ということがクラリスは気になってしまう。
「あの、キース様。瞬間移動魔法を使えるようになったのですね」
「はい。これでいつでもクラリスのところへ飛んでくることができます」
「あ、はい。その……大丈夫なのでしょうか?」
「勿論です。確かに瞬間的な魔力はかなり必要なようで、〝ベル〟を同時に起動させるのは少し難しいようですが、二、三度連続で使用するくらいは問題ありません。往復は可能ですからあまり気にしなくても大丈夫です」
アシュリーが「魔力切れになるので一日一回が限度」と言っていたはずだが、それを連続使用も可能などと、当たり前に言うキースの魔力量はどう考えても規格外すぎる。
「そ、そうなんですね。……あの、それで使用するに当たっての契約魔法とは、キース様の負担にはなりませんか?」
「ああ。契約魔法とはいっても、犯罪に加担するような真似はしないことと、王家への忠誠です。そもそも騎士団に入団するにあたってするべきことと変わりはありません」
別にそうたいしたことを約束したわけではありませんから心配することはないですよ。と、いつもと変わらない様子でクラリスの瞳を見つめる。
「それなら、いいのですが……」
これでキースがいつでもクラリスの元へ移動できる手段ができるようになった。このことを手放しで喜んでいいのかわからなかったが、キースの瞳がいつもと同じように優しく光っているのを見てクラリスもようやく嬉しいと思えるようになった。
それが伝わったのか、キースも嬉しそうに笑う。そしてクラリスの髪をそっと撫でた。
「どちらにしても、これで当分の間は彼女もここへ顔を出そうとは思わないでしょうから、クラリスはゆっくりと家で休んでいてくださいね。自分も時間が取れ次第すぐに貴女の元に飛んできますから」
いつでも、どこへでも。貴女の側に。
そのキースの言葉が、とても強い愛の告白に感じてしまい、クラリスは再び熱があがったような気持ちになった。