三喜雄は久宮に全ての音を鳴らしてもらい、音を確認しつつ歌詞の把握をさせる。
「ゆっくりいきますからピアノちゃんと聴いて、歌詞は母音だけください……こんな感じ」
ウ、エ、ウ、ウ、エ、ウ、アと、三喜雄は楽譜通りスタッカートで発音してみせる。
「特にロマンス語系は、母音が音の頭に来ないと何言ってるかわからなくなるので、どの高さで何の母音を出してるのか、丁寧に確認して」
久宮には、中のパートの音を大きめに叩くよう指示する。三部合唱は、中のパートが大事なのに、譜読みしにくいからだ。
「この曲不協和音一切無いですよ、自分の音がぶつかったと思った人は音間違ってます」
三喜雄は手を叩きながら拍子をとってやる。テノールには、付点のリズムの甘さとパート間のボリュームバランスを指摘する。
「トップは音が高いので発音はア寄りでいいですよ、下はしっかりオと言ってあげて」
同じメロディに、今度は子音をつけて歌わせると、最初よりかなり良くなった。
「音を取るのは母音でね、子音は唇の先だけで発音しても十分聞こえてくるから」
バスがどうも自信無さげなのは、パート柄も多少あるかもしれない。低音を担当する人は、歌でも楽器でも、自己主張控えめなのだ。今無理に尻を叩かなくてもいいだろう。
テノールは音が高いので仕方がない部分はあるが、一応三喜雄は突っ込んでおく。
「えーっと、テノールの皆さんの中に、ラテン語勉強してる人います?」
すっと手を挙げた強者がいたので、彼に尋ねた。
「felix coniunctioの意味を教えてくれますか?」
「幸福な結合、です」
正解、と三喜雄はほぼ小学生相手のノリになってしまったが、まあよしとする。
「ちょっと幸福に聴こえないかも、付点は甘くしないで、でも攻撃的にならないように……好きあってる男の子と女の子が至近距離にいたら、お互いハッピーだって言ってるんですよね?」
たぶんもっと生々しいニュアンスなのだが、少しマイルドに説明しておく。するとテノールから、哀し過ぎる声が上がった。
「そういう経験が無くてちょっとわからないんですけど……」
こともあろうに、同意の拍手がぱらぱらと起きる。そう、合唱団に所属する男性たちは非モテ集団でもあるのだ。
三喜雄はうーん、と唸ってから、半分は真面目に答えた。
「想像で補完しましょうか、私だってそんな経験極めて少ないし、ここにいる皆さんがそちら関係に弱い属性だとわかってるつもりです」
バスのほうから、どっと笑いが起きた。ついでなので、自分がこの世代だった頃よりも遥かに真面目で草食傾向が強い男子たちに、三喜雄は語っておく。
「カルミナが酒と博打と女に塗れてるの、何なんだと思いますよね? でも何というか、この歌の魅力って、このエロバカで文学的な詞抜きではちょっと語り得ないでしょ?」
居並ぶ男子たちは、ふんふんと頷く。
「それで、合唱曲における歌い手の責務は、歌詞を伝えることです……理解不能な歌詞だらけだと思うけど、全く理解しないままだと聴き手にも作曲者にも失礼だし歌っててもつまらないから、体験してないことは、見聞や想像で補っていきましょうね」
自分の身に起こり得ない悲劇や恋愛話を想像中心に追体験するという意味において、音楽を聴いたり演奏したりするのは、読書に似ているかもしれない。
「だから皆さん、この曲の中では存分に、飲んだくれて暴れたり可愛い子にときめいたりしてください」
ほう、へぇ、と感心するような声が上がる。合唱男子は、皆真面目なのだ。