(剣の術理に拘泥するな。もっと、もっと、舞うように、大きく)
武術というのは、派手に大きくは動かない。
なるべく小さく。なるべく無駄なく。武術というのは機能美を突き詰めることだ。少ない動作で威力を出し、少ない動作で敵を崩す。何をしているかわからないと相手に思われるような動きを突き詰める。それこそが、武の術理。
一方で、舞の術理は、『映え』だ。
武術が自分と敵との間に発生する動きならば……
舞術とは、自分と敵との戦いを見る第三者に向けた動きである。
舞う。
足音を高く鳴らして舞う。
無駄に思えるほど高く跳ぶ。刀を持ったまま回る。
(……知っている。俺の体は、この動きを積み上げている。俺が『渡った』未来の可能性。この世界に来ることで生えた可能性は、剣士ではなかったんだ)
剣を持ち、舞う者。
すなわちこの『可能性』の名は──
(『神楽師』)
思い当たった瞬間、頭の中に何かが流れ始める。
それは音曲だった。
長く伸びるような笛の音。
しゃんしゃんと緊張感を高めるように振られる鈴の音。
だん、だん、とことさら派手に踏み込まれる足音。
琴の音が加わり、神楽が頭の中で走り始める。
……戦闘とは、敵がどうしてもいるものだ。
敵を無視して、音楽に、リズムに合わせたところで、敵はそんなものにおかまいなしで攻め立ててくる。
敵の前で踊るというのは、いかにも馬鹿げた行為──
──では、なかった。
リズムに乗って動く。
動きは敵を魅了する。
魅了された敵の動きは誘導される。
この世界における、真に優れた神楽師とは。
その舞によって、敵も、観衆も、空間そのものを神域と化す、至上の舞い手のことを指す。
音が、鳴り響き始めた。
それはディの頭の中の話ではない。
ディの動きが、巫女たちの音を導く。
一人。また一人。
ディが舞うたび、その舞に合わせて声を発し、足を踏み鳴らし、鈴を振る。
声とリズムが神域を形成する。
気付けば、夜が昼へと変わっていた。
時間経過ではない。真に優れた舞により形成された神域が、あらゆる要素で妖魔を攻め立て、あらゆる要素で舞手を補助する。
「…………」
ミズクメは、目の前で舞う人の背中を見ていた。
輝ける舞台の中、刀を持った男が美しく舞っている。
ヤマタノオロチでさえも、拍子に合わせるように蠢き、交差するたびに傷を増やしていく。
とてつもない回復力を持つ、超巨大なバケモノ。それが、どんどん、傷ついていくのだ。
「…………ぁ」
ミズクメは、思わず胸を抑えていた。
このときめき、胸の高鳴りは──
(呪い。これは、呪い。男性を見ると、女たちがどうしようもなくだらしなくなってしまう。そういう呪いに、すぎない……)
──本当にそうか?
意地になっているだけじゃ、ないか。確かに、呪いはあるのだろう。女たちは、男の前だと狂う。言い方を選ばないならば、発情したように……狂う。冷静ではいられない。恥も外聞もなく、男に甘えるようになる。男に対して秘めていた欲望を発露したくなってたまらなくなる。
ミズクメは、そういう、本能的なものを嫌っていた。
情けなく男に甘えるなんて、そういう様子を見せるのは、精神が未熟だからだと思っていた。
実際に男と言葉を交わし、こうして近場で会話をする経験を積み──男と接したこと自体はあったが、それらはすべて、格子一つ挟んで会話をしたのみだった──自分の中にもどうしようもない『呪われた部分』があることを自覚させられた。
……そういう部分が、『自分』を壊してしまうのではないかと考えたら怖い。積み上げたものより、生まれる前から備わっていたものが、長い時間をかけて築き上げた『自分自身』をぐちゃぐちゃにするのなんか、耐えられるわけがない。
だから、胸の高鳴りを否定した。
それは呪い。本能。くだらない定めにしかすぎなくて。
(……わたくしが、魅了されているなんていうことは、絶対に、ない。…………ない、はず)
でも、今の興奮は、感動は、『本能にかけられた呪い』というだけでは、説明がつかない。
泣きそうだった。あまりにも美しくて。光の中で舞う彼の姿が、自分に力を降ろす神よりも、ずっとずっと神々しく見えた。
許されるのならば隣で舞いたかった。体に活力が戻っているけれど、まだ、舞うほどには戻っていない。それが、口惜しかった。
見ているだけでは、嫌なのに。見ているしかない。
……だから余計に、感動を否定する。
(くだらない。これは、呪い。本能。知的生命として否定するべきもの、のはず)
何度も何度も、『くだらない』と頭の中で唱えた。
……でも。
足音が高らかに鳴り響く。
巫女たちの声が高く高く長く長く伸びる。
鈴の音がさざなみのように広がって……
光の中で、刀が一閃。
ヤマタノオロチの首が二つ、まとめて両断された。
長さが足りるわけがない。
威力だって、きっと足りない。
だが、この世界に棲む者ならば、誰だって知っている。
真に美しい
「──────────────!!!!」
首を二本斬り落とされたヤマタノオロチが、鋭く、大きく吠える。
毒々しい紫色の煙が口の中から吐き出される。
視界が染まり、昼の光に満たされていた神域に、毒の陰が降りていく……
その中で、
「かしこみ、かしこみ、かしこみ申す」
男性の声が、
「かけまくも畏き──」
神降ろしのための
唱える、前に。
「きゃ!?」
「何!?」
巫女たちの歌が止まる。
ミズクメが声の方を見れば、そこには、背後から大挙して押し寄せる『ヤマタノオロチの子供』がいた。
先ほどの大きな吠え声は、あれら
……普段は方々に放って自由にさせておく『子供』を呼び出すほど、あのヤマタノオロチが追い詰められているのだ。
彼はこのまま、ヤマタノオロチを倒すことができるのだろう。
少なくともミズクメにはそう思えた。
けれど、
「……まずい、
ディがつぶやき、舞が止まる。
その瞬間、あたりが夜に戻り……
ヤマタノオロチが、気配ごと、消え失せた。
「……背後のに対応する」
ディが剣を片手に、巫女たちを襲う『ヤマタノオロチの子供』へと駆けていく。
ミズクメは、急激に体から力が抜けたせいで、それを見ているしかできず……
後悔する。
(男性は足手まとい、どころか、これでは)
ディが決めそうだったところを、背後からの襲撃によって、巫女たちの歌が途切れた。
そのせいで、ヤマタノオロチを逃がしてしまったのだとすれば……
(足を引っ張ったのは、我々の方ではありませんか)
……認めがたい事実。
だが、普段のミズクメであれば認め、反省できるはずの事実。
だというのに、
「……認めない。わたくしは、『本能』になど、負けない」
……男を前に狂う者は、自分がどの方向に狂っているのかもわからないし。
狂えるモノは、神の意思を感じやすくなる。
降ろした神の視線が、ディへ向いている。
ミズクメと重なるように、ディへ、向いていた。