「なれば、天文を見ますに、今曹操に逆らうは天の意志に背きまする。曹操の星は高幹様の星より強く、袁尚の星は危急存亡の暗示、また守就に謀叛の兆しあり、と」
「どうすれば良い?曹操に降るが吉と申すか?」
「今は。曹操の星が輝きを薄める時に再度旗揚げするがよろしいかと」
「しかし、曹操が儂を許し、太守の座に置いておくとは……」
「私の一命を賭してでも説得してみせましょう」
賈逵の自信溢れる言葉を微塵も疑いもせず、高幹は目まぐるしくただ自己の利を計算していた。
賈逵の話を鵜呑みにすれば、曹操とは戦わずに済む上に地位も安泰。
邪魔な守就を遠ざけることができ、さらに袁家の滅亡にも関わらずとも良い。
曹操が袁尚らを追って戦っている最中に、再び旗揚げをすれば手薄な中原を蹂躙するは容易い。
完全に自身に都合の良い考えである。
「よし、賈逵よ、曹操に降ろう。どうすれば良いか?」
もとより単純で素直な性格なのであろう。
あまりにも簡単に自分の話を信じたことには驚かされたが、それを隠し曹操に降る段取りを話し始めた。
「まずは守就の孤立と、先に降られるのを阻止せねば。匈奴軍には、守就は高幹様と呼厨泉を曹操へ降るための土産としようとしている、と流言の策を仕掛けましょう。単純な匈奴軍は簡単に引っかかるはず。高幹様はいち早く曹操軍に恭順するという使者を」
「よ、よし。わかった。匈奴への策は君に任す。おい、賈逵殿の縄を解け」
いざ実行の段となると怖じ気づいたのか、高幹の声が震えていた。
近衛兵らはわけもわからず、ただ主君の指示に従い賈逵を監車から解き放った。
「君らでよいだろう。重要な任務を授ける。私と共に匈奴軍の近くまでまいれ」
賈逵は自分を監車から出した兵数人を引き連れ、匈奴軍の駐屯地へと向かった。
辺りを窺うと、匈奴軍の見張りがあちらこちらに見える。
賈逵はその内の一人に気づかぬふりをして接近し、守就が謀叛を企んでいる。曹操に高幹と呼厨泉を売るつもりらしい、といかにも秘め事かのように兵らに話した。
盗み聞きした匈奴兵は、一大事と足音を消して匈奴軍本陣へと急いだ。
賈逵はそれを確認すると、また別の匈奴兵に近づき同じことを繰り返した。
高幹は急いで書をしたためるが、慌てていたため何度も書き直す始末であった。
ようやく出来上がると、すぐさま対峙する曹軍に使者を派遣し、緊張で眠れぬ夜を過ごしていた。
そして信忠の下に使者が到着する。
高幹の降伏、賈逵の解放を綴った書である。信忠は使者を留め、急ぎ各将を召集し、簡易であるが軍議を開いた。
「突然の降伏、高幹には切れ者の策士がいるという。罠ではあるまいか?」
杜畿の意見はもっともであった。
高幹軍は郭援や匈奴軍の指揮官を失ったが、こちらも西涼軍が壊滅しており、数の上では向こうが勝っている。
有利な状況であるのにも関わらず降るというのは、内紛が起きたか策略である可能性が強い。
「あからさますぎるのが気にかかるのう」
道三が呟く。
使者に詳細を尋ねても、使者自身が把握できていないため返答に窮していた。
「信忠殿、ここは儂に任せて貰えんかな?」
この面子で謀略、策略に優れているのは道三をおいて他にいない。信忠は道三に一任することを承諾した。
道三はゆっくりと使者に近寄ると、
「高幹殿の降伏歓迎いたしますぞ、とお伝えくだされ。すぐ後を追い、高幹殿の下へ向かいますゆえ、併せて伝えてくだされ」
と、慇懃な物腰で話した。