曹操の顔が引き締まり、それがかなり激しく困難な戦闘を予測させた。
「田疇、おぬしには鮮卑に向かってもらう。援軍と物資の要請をして参れ」
鮮卑と烏丸共に顔の利く田疇ならではの任務を与える。
「では参ろうぞ」
曹操が唐突に鎧に身を包んだ。
「そ、曹操様」
「おぬしらが決死の覚悟で背水の陣を敷くというのだ。儂だけ後方にいるわけにもいくまい」
曹操は、こうと決めたらよほどのことがなければ揺るがない。
「信忠、君の部隊の弓隊は優秀だ。渡河の援護を頼む」
曹操の指揮による渡河作戦が始まった対岸には見渡す限り敵部隊はいない。
信忠隊が弓を並べ警戒する中、張遼隊がまず渡り、守りに強い方陣を敷く。
続けて史渙と韓浩が渡り、張遼隊の左右に別れて陣取る。
武田隊の姿はまだなく、曹操は信忠隊に渡河を命じる。
さらに曹彰隊、許褚隊、曹操本隊と渡りきり、一塊の巨大な陣形を作る。鮮于輔の部隊は渡河させずに河岸に待機させた。
「曹操軍の渡河が終わりました」
「よし。決戦の時じゃ。出陣」
信玄の号令の下、武田全軍が行動を開始した。
曹操軍の陣形に合わせ、武田軍もそれを包み込むように陣を敷く。
その段取りの良さは異常で、曹操ですら布陣の隙を突くことができず、手をこまねき、歯噛みをして眺めているよりなかった。
武田の陣立てが終わると、中央部から二騎の将が歩み寄ってきた。
一人は赤茶色の巨馬に赤い馬具を装着させ、鬼のような赤い面をかぶった巨漢。
もう一人は、年期の入っていそうな所々に刀傷や矢傷のある漆黒の甲冑に、武田菱の前立を付けた兜をかぶり、黒馬を駆る男。
武田信玄と馬場信春であった。
両翼から二人の武将が駆け出し、その後ろに続く。
赤い甲冑、大天衝と呼ばれる鍬形の金の前立、赤面赤兜の山県昌景。
黒と赤を重ね合わせた胴丸具足に身を包み、黒色の面と獅子の前立の兜の高坂昌信。
威風堂々たるその姿に、曹操軍の将兵は息を飲んだ。
「曹操孟徳、織田の大将、前へ出よ!」
信玄の大声が緊迫した平野に響く。
「あれが武田信玄か。呼ばれたならば出ねばなるまい」
曹操は重装備ではなく、軽装のまま呼びかけに応じ、信玄らに負けないくらい堂々と陣頭に立った。
その曹操の後ろに信忠が続く。
信長から譲り受けた、織田木瓜紋を中心に据えた鍬形前立の黒兜に黒糸威の二枚胴を身につけ闊歩する。
「あれは信長か?」
信玄が見紛うほどに、信長と同じ雰囲気を二人が醸し出す。
「いえ、あれが曹操と信長の嫡子織田信忠ですな」
信玄の耳許で信春が囁いた。
「武田信玄か。降伏でも致すつもりか?」
「世迷い言を。ぬしが降伏せい。後は儂が継いでやろう」
いやらしい笑みを浮かべる曹操に、信玄は鼻で笑い返した。
信玄は曹操から視線を外し、今度は信忠を見据える。その眼力に負けじと信忠も睨み返す。
「魔王の倅か。なかなか良い面構えをしておる。だが、この若い芽を摘まねばならぬとは、無情よのう」
「逆でござろう。枯れかけた大木をなぎ倒して見せよう」
「信長の子だけあって口は達者よ。やってみせい」