話は曹操と武田信玄の決戦の前に戻る。
「
渋面でしゃがれた声の老人が遼東城の門衛に声をかけた。
門衛はこの傲岸不遜そうな老人を訝しみ、何者かと問う。
「儂は安藤守就と申す。以前の約束に従い味方に参ったのじゃが」
門衛の一人が確認のため、すかさず勝頼の下へ走る。
門衛を待つ間、守就は別の門衛を詰り、たじたじとさせている。
その様子を物陰から隠れて眺めている者が二人。
司馬懿と賈逵である。
何を話しているかまでは聞き取れないが、門衛が城内へ走った様子を窺うと守就と武田の間に何か繋がりがあるのかもしれない。
残された門衛は、寒いだの早くしろだのねちねちといびられているのであろう。
「あの爺さんも腹黒い。繋がりがあるなら、この勝負我らに不利ではないか」
司馬懿が同意を求めるように賈逵を見、賈逵が頷く。
やがて門衛が戻り、うやうやしく城内へと守就を招き入れた。
司馬懿は顎に拳を当て、何事かを考え出すとすぐに結論に至ったらしく賈逵の耳元で小声で話しだした。
「我らも城に入ろう。外にいては何もできん」
「しかし、そう簡単に行くでしょうか?」
「なあに、爺さんを利用すれば良いだけだ」
司馬懿がにんまりと微笑み、自信の程を窺わせた。
守就は城内へ入るとまっすぐ勝頼のいる軍議の間に通された。
軍議の間は、洛陽や許昌の王宮を真似ていて、大広間の真ん中に高貴な人物だけが通れる赤い絨毯が敷かれている。
その絨毯の先にある、十数段はあろうかという階段が威容を誇っていた。
階段の上には、絢爛な細工が施された椅子が置かれてある。
だが椅子の主は居らず、階下の左側に勝頼が立っていた。
右側には威圧感漂う風格の人物が立ちはだかり、名を聞かずとも相当に高名な武将だと察しがつく。
「よう参ったな。守就殿」
守就が近づくと、勝頼は右手を差し出し握手を求めた。
守就はそれにぺこぺこと頭を下げながら応じる。
「美濃の安藤といえば、西美濃に所領を持つ領主であるな」
「はっ。いかにも」
勝頼の隣に立つ威圧感ある男の問いに気圧され、守就は刃向かったり、茶化すことができず素直に受け答える以外できなかった。
「その後織田に寝返り、そしてまた武田に寝返ろうと画策しておったと聞く。信用が置けぬな」
厳格そうな男が言い切ると、途端に殺気を帯びた視線に変化した。
守就は足がすくんで動かず、冷や汗が止まらない。
「叔父上、お待ちくだされ。彼は儂を頼って参ったのだ。いくら叔父上と言えども勝手な手出しは許さぬ」
危急の守就を勝頼が手を差し伸べ救った。
とりあえず危機から逃れたことで守就はほっと胸をなで下ろし、すぐさま気持ちを切り替えると二人の関係を隈なく検分することにした。
叔父、と勝頼が呼び、その勝頼と対等あるいは上の立場にいることから信玄の兄弟なのは間違いないだろう。
その中でも特に信任の厚いのは
信龍とは京で信長・信忠と共に面会したことがあり、顔を見ればわかる。
だが眼前の人物とは面識がなく、しかも美濃が信長の手に落ちた経緯を人伝いに耳にしている様子が窺える。
ならば、おそらくこの人物は信繁なのであろう。