…インターホンが鳴った。
慌ててフレンチトーストを飲み込んで、モニターの前まで来たけれど…
あれ?どうやってやるんだコレ…
モニターに映るのは、スーツ姿の聖と、いつもよりかなりおとなしめの服を着た美波。
アワアワする私に気づいて、裕也専務が来てくれた。
「はい。…お待ちしておりました。どうぞ」
私の様子を見て幼なじみだと察してくれたらしく、エントランスの中扉を開けてくれた。
でも…
約束した時間より、かなり早い。
私は服を着替えてるけど、裕也専務は黒いジャージに白いTシャツという、寝起きの格好。
「お着替え、なさいます…か?」
私は2人に少し待ってもらおうと思ったけど…裕也専務はゆったり首を横に振る。
「お着替えませんよ。…何か、意図があるんじゃないですか?」
「意図…ですか?」
「ええ。多分、飾らない普段通りの俺を見たいということでしょう」
…やがて玄関ドアのチャイムが鳴り、2人を迎えた。
「ねぇ…!ちょっと時間早くない?」
「聖が早めに行くって聞かないんだもん」
文句を言い合う私と美波。
聖は私の頭にポンと手を乗せて、蕩けそうな笑顔で顔をのぞき込んできた。
「ったく急に引っ越して…俺がどれだけ心配したか…」
「…もうっ!時間守ってよ」
ぷうっと膨れた私の頬をチョンっと突く聖。
…全体的に聖は、同い年の美波より、私をかなり子供扱いしてると思う。
そんな不満なんてお構いなしに、私の頭に手を乗せて、リビングに入っていく聖。
窓際に立ってこちらを向く裕也専務と目が合った。
寝起きのジャージから着替えてないのに、いつものスーツ姿と同じ立ち姿で…とても凛々しい。
「はじめまして。藍沢聖と申します」
聖は、名刺を差し出しながら頭を下げた。
裕也専務は受け取った名刺をチラリと見たけれど、特別驚く様子はない。
きっと聖が、老舗旅館の跡取り息子だということは知っているからだろう。
「あの『あいざわ』の次期後継者の方とお会い出来るなんて光栄です」
「いえ…古いだけが取り柄の旅館です。私の方こそ、『SAIリゾート』の専務さんとお目にかかれるとは、思っておりませんでした」
裕也専務も名刺を取り出して、聖に差し出す。
「改めまして…西園寺裕也です。…この度はお越しいただいて、ありがとうございます」
今日の聖は黒い細身のスーツを着て、ミルクティー色の髪もきちんと整えられている。
ほとんど同じくらいの長身で、2人ともカッコよくて…美波と一緒にまじまじと見つめてしまった。
私たちの視線を感じたのか、裕也専務が不意にこちらを見た。
「お連れの方は…?藍沢さんの、恋人ですか?」
「いえ、彼女は私と同じく、舞楽の幼なじみです」
聖の紹介を受け、美波は一歩前に出る。
「北川美波と申します。…舞楽が、お世話になっているようで」
ニコッと笑って頭を下げ、私を見るから、私まで笑ってしまう。
「…あの、2人とも良かったら、こっちに座って」
私はテレビの前の丸いラグを指さし、ガラステーブルを囲んで座ろうと提案した。
「足、崩させてもらいますね」
聖がひとこと断ってあぐらをかく。
「もちろん、楽になさってください。…美波さんも」
裕也専務がソツのない笑顔で言うと、美波もリラックスした笑顔になる。
私は裕也専務の横に、少し間を空けて正座した。
「この度は、いろいろとご心配をおかけしているようですが…舞楽さんに不利益なことをするつもりはありませんので、どうかご安心ください」
裕也専務が口火を切ると、聖がにっこり笑ってそれに答える。
「舞楽の事情を知って助けていただいたと聞いております。僕らだけでは力になれないことも、大企業の専務という立場の裕也さんなら、簡単に解決できた…という認識で合ってますか?」
両親の借金のこと…そしてそれを契約金という名目で肩代わりしたことを、聖は言っているとわかる。
「そうですね。…お2人が心配しているのは、ここで同居していること…じゃありません?」
突然核心を突かれ、意外なほど強い視線で裕也専務を睨む聖。
「失礼ながら…見たところ、そんなに広いマンションではないので驚きました。…こんなに狭い空間に男女が2人でいて…」
「おかしなことに、なるかもしれませんね」
聖の言葉を、裕也専務が簡単に引き取り、言い切った。
「私は彼女の上司でもあります。ですから、公私ともに、彼女を傷つけたいはずがありません」
「…覚悟があると、取って構いませんか?」
鋭くお互いを睨み合い、真剣な視線を絡ませる2人。
…わずかに、裕也専務の口角が上がった。
「構いませんよ?」
しばらく睨み合う2人…私はコソッと「お茶の用意を…」と言って立ち上がる。
すると美波もついてきて…
「…バチバチじゃん!聖には落ち着くように言っといたのに…」
やれやれ…といった顔をする美波。
対面型キッチンなので、2人の会話は、離れても十分聞こえてくる。
「舞楽と交わした、偽装婚約の契約期間は…確か半年でしたよね?」
「そうですね」
詰め寄る聖に、裕也専務は悠然と答える。
「半年過ぎたら、舞楽を確実に解放すると…?」
しばらく聖を見つめ、裕也専務が答える。
「…そうですね。諸条件、満たしていれば」
解放するかしないか…どちらとも取れる答えに、聖が含み笑いをした。
「舞楽との付き合いは、これまでと同じようにさせてもらいますよ?…まさか交友関係まで制限のある契約じゃないでしょうね?」
「…両親に婚約者だと紹介した以上、あまりに自由な行動をしてもらっては困ります。…ただ聖さんは…」
チラリ。
焼けたクッキーをお皿に移す私に、裕也専務の視線が飛んできた。
「舞楽さんから、親族に近い男性だと聞いております。ですので…自由に会っていただいてかまいません」
「ふふ…親族か…」
聖が小さく笑い出した。
「舞楽、今度温泉行こうな」
確かに以前、そんな話をしたけども…急に言われて、私は驚いてコーヒーを淹れる手を止めた。
「…わざとだよ〜…聖の奴ぅ…裕也さんに宣戦布告!」
クッキーをお盆に乗せ、持って行くと申し出てくれた美波が、私の耳元でコソッと呟く。
…なに宣戦布告って…。
私は4人分のコーヒーをトレイに乗せ、そっと運んだ。
聖と裕也専務の間で、コーヒーの湯気が複雑な模様を描き、消えていく。
「あ!裕也専務、お砂糖とミルクでしたよね?」
会長夫妻にご挨拶に行く道中で、カフェで飲んだコーヒーにお砂糖とミルクをたっぷり入れていたのを思い出した。
「…はい。私の好みを覚えくれて、ありがとう」
甘すぎる笑顔を私に向けた裕也専務が、自分のためにミルクとお砂糖を取りに行く私の後ろで、聖には意地悪な笑顔を向けていたなんて…
そしてその笑顔に、聖は鋭いまなざしで答えていたなんて…
私は知る由もなかった。