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2章…第28話

…インターホンが鳴った。


慌ててフレンチトーストを飲み込んで、モニターの前まで来たけれど…

あれ?どうやってやるんだコレ…


モニターに映るのは、スーツ姿の聖と、いつもよりかなりおとなしめの服を着た美波。


アワアワする私に気づいて、裕也専務が来てくれた。


「はい。…お待ちしておりました。どうぞ」


私の様子を見て幼なじみだと察してくれたらしく、エントランスの中扉を開けてくれた。


でも…

約束した時間より、かなり早い。


私は服を着替えてるけど、裕也専務は黒いジャージに白いTシャツという、寝起きの格好。


「お着替え、なさいます…か?」


私は2人に少し待ってもらおうと思ったけど…裕也専務はゆったり首を横に振る。



「お着替えませんよ。…何か、意図があるんじゃないですか?」


「意図…ですか?」


「ええ。多分、飾らない普段通りの俺を見たいということでしょう」




…やがて玄関ドアのチャイムが鳴り、2人を迎えた。



「ねぇ…!ちょっと時間早くない?」


「聖が早めに行くって聞かないんだもん」


文句を言い合う私と美波。

聖は私の頭にポンと手を乗せて、蕩けそうな笑顔で顔をのぞき込んできた。



「ったく急に引っ越して…俺がどれだけ心配したか…」


「…もうっ!時間守ってよ」


ぷうっと膨れた私の頬をチョンっと突く聖。


…全体的に聖は、同い年の美波より、私をかなり子供扱いしてると思う。


そんな不満なんてお構いなしに、私の頭に手を乗せて、リビングに入っていく聖。


窓際に立ってこちらを向く裕也専務と目が合った。


寝起きのジャージから着替えてないのに、いつものスーツ姿と同じ立ち姿で…とても凛々しい。




「はじめまして。藍沢聖と申します」


聖は、名刺を差し出しながら頭を下げた。


裕也専務は受け取った名刺をチラリと見たけれど、特別驚く様子はない。

きっと聖が、老舗旅館の跡取り息子だということは知っているからだろう。


「あの『あいざわ』の次期後継者の方とお会い出来るなんて光栄です」


「いえ…古いだけが取り柄の旅館です。私の方こそ、『SAIリゾート』の専務さんとお目にかかれるとは、思っておりませんでした」


裕也専務も名刺を取り出して、聖に差し出す。


「改めまして…西園寺裕也です。…この度はお越しいただいて、ありがとうございます」


今日の聖は黒い細身のスーツを着て、ミルクティー色の髪もきちんと整えられている。

ほとんど同じくらいの長身で、2人ともカッコよくて…美波と一緒にまじまじと見つめてしまった。



私たちの視線を感じたのか、裕也専務が不意にこちらを見た。


「お連れの方は…?藍沢さんの、恋人ですか?」


「いえ、彼女は私と同じく、舞楽の幼なじみです」


聖の紹介を受け、美波は一歩前に出る。


「北川美波と申します。…舞楽が、お世話になっているようで」


ニコッと笑って頭を下げ、私を見るから、私まで笑ってしまう。



「…あの、2人とも良かったら、こっちに座って」


私はテレビの前の丸いラグを指さし、ガラステーブルを囲んで座ろうと提案した。



「足、崩させてもらいますね」


聖がひとこと断ってあぐらをかく。


「もちろん、楽になさってください。…美波さんも」


裕也専務がソツのない笑顔で言うと、美波もリラックスした笑顔になる。


私は裕也専務の横に、少し間を空けて正座した。


「この度は、いろいろとご心配をおかけしているようですが…舞楽さんに不利益なことをするつもりはありませんので、どうかご安心ください」


裕也専務が口火を切ると、聖がにっこり笑ってそれに答える。



「舞楽の事情を知って助けていただいたと聞いております。僕らだけでは力になれないことも、大企業の専務という立場の裕也さんなら、簡単に解決できた…という認識で合ってますか?」


両親の借金のこと…そしてそれを契約金という名目で肩代わりしたことを、聖は言っているとわかる。



「そうですね。…お2人が心配しているのは、ここで同居していること…じゃありません?」


突然核心を突かれ、意外なほど強い視線で裕也専務を睨む聖。



「失礼ながら…見たところ、そんなに広いマンションではないので驚きました。…こんなに狭い空間に男女が2人でいて…」


「おかしなことに、なるかもしれませんね」


聖の言葉を、裕也専務が簡単に引き取り、言い切った。



「私は彼女の上司でもあります。ですから、公私ともに、彼女を傷つけたいはずがありません」


「…覚悟があると、取って構いませんか?」


鋭くお互いを睨み合い、真剣な視線を絡ませる2人。

…わずかに、裕也専務の口角が上がった。



「構いませんよ?」


しばらく睨み合う2人…私はコソッと「お茶の用意を…」と言って立ち上がる。


すると美波もついてきて…


「…バチバチじゃん!聖には落ち着くように言っといたのに…」


やれやれ…といった顔をする美波。


対面型キッチンなので、2人の会話は、離れても十分聞こえてくる。



「舞楽と交わした、偽装婚約の契約期間は…確か半年でしたよね?」


「そうですね」


詰め寄る聖に、裕也専務は悠然と答える。



「半年過ぎたら、舞楽を確実に解放すると…?」


しばらく聖を見つめ、裕也専務が答える。



「…そうですね。諸条件、満たしていれば」


解放するかしないか…どちらとも取れる答えに、聖が含み笑いをした。



「舞楽との付き合いは、これまでと同じようにさせてもらいますよ?…まさか交友関係まで制限のある契約じゃないでしょうね?」


「…両親に婚約者だと紹介した以上、あまりに自由な行動をしてもらっては困ります。…ただ聖さんは…」


チラリ。

焼けたクッキーをお皿に移す私に、裕也専務の視線が飛んできた。



「舞楽さんから、親族に近い男性だと聞いております。ですので…自由に会っていただいてかまいません」


「ふふ…親族か…」


聖が小さく笑い出した。



「舞楽、今度温泉行こうな」


確かに以前、そんな話をしたけども…急に言われて、私は驚いてコーヒーを淹れる手を止めた。



「…わざとだよ〜…聖の奴ぅ…裕也さんに宣戦布告!」


クッキーをお盆に乗せ、持って行くと申し出てくれた美波が、私の耳元でコソッと呟く。


…なに宣戦布告って…。


私は4人分のコーヒーをトレイに乗せ、そっと運んだ。


聖と裕也専務の間で、コーヒーの湯気が複雑な模様を描き、消えていく。



「あ!裕也専務、お砂糖とミルクでしたよね?」


会長夫妻にご挨拶に行く道中で、カフェで飲んだコーヒーにお砂糖とミルクをたっぷり入れていたのを思い出した。



「…はい。私の好みを覚えくれて、ありがとう」


甘すぎる笑顔を私に向けた裕也専務が、自分のためにミルクとお砂糖を取りに行く私の後ろで、聖には意地悪な笑顔を向けていたなんて…


そしてその笑顔に、聖は鋭いまなざしで答えていたなんて…


私は知る由もなかった。


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