「にしし、良かったですね、アデル! 昨日から、ずーっとそわそわしてたですもんね」
「アデルバートさんが、そわそわ? どうして?」
「……そんなつもりはなかったが」
ドラコが発した思わぬ言葉に、アデルさんは晴れやかな顔から一転、眉間にぎゅっと皺を寄せる。不服そうな顔をしていても、一昨日と違って、その声にも表情にも、氷刃のような鋭さは全くない。
「にしし。あのですね、レティ。アデルは、本当はお礼とかじゃなくて、レティに、『ここにいてくれ』って言い出すための理由がほしかっただけなんですよ」
「私に……ここに、いてほしい?」
私は、目を瞬かせる。アデルさんを真っ直ぐに見つめると、彼は目元を赤く染め、ふい、と横を向いてしまった。その仕草は、まぎれもなく肯定を表していて――。
そんなアデルさんを見て、ドラコがわけ知り顔で胸を張る。
「ふふん、ドラコは知ってるです。アデルも、ドラコみたいに、人間のお友達がほしいんですよね!」
「友達……」
アデルさんは、恨みがましい目でドラコを睨んだ。だが、ドラコはさらに偉そうに胸をそらす。
「どうです、レティ。ドラコに続いて、アデルの友達第一号に、なってあげてくれませんか?」
「おい、ドラコ。俺はそんなこと一言も――」
「ふふ、もちろん、いいですよ」
アデルさんは目を吊り上げて、ドラコに文句を言おうとしたが、私がそれを遮った。
ドラコは「にしし」と笑い、アデルさんは「えっ」と目を見開いて固まる。
その反応を見て、私は自然と相好を崩した。幼い頃から、たった一人で森の奥に住む、孤独な炎使い――その友達第一号に私を選んでもらえるだなんて、なんて素敵なことだろう。
「レティシア、その……」
「私、仲の良い人にはレティって呼んでもらってるんです。アデルバートさんも、そう呼んでくれませんか?」
「……レ、ティ」
口に含んで噛みしめるように、アデルさんは、ぼそりと私の愛称を呼んだ。そして、彼は心底嬉しそうに、ふわりと目を細める。優美な微笑みには、雪が解けて春が来たかのような、確かなあたたかさが宿っていた。
「――俺のことも、アデルでいい。改めてよろしく頼む、レティ」
私の青をじっと見つめる深紅に灯っている、親愛の感情に、私の口元も自然と綻んだ。私は目を細めて、許可してもらった愛称で、彼の名を呼ぶ。
「――よろしくお願いします、アデルさん」
「違う。アデル、だ。話し方も、ドラコに対するようにしてくれて構わない」
「い……っ、いきなりそれはハードルが高いですっ! だって、アデルさんは友達である以前に命の恩人だし、年上だし」
「ふ、そうか。なら、これから少しずつ慣れてくれたら嬉しい」
「は、はい」
村で接客業をして暮らしてきた経験や、日本人だった前世の記憶もあいまって、年上の人にいきなり対等に接するのは私には難しい。無理に敬語をやめると、逆に緊張してしまって、ぎこちなくなりそうだ。
アデルさんのお言葉に甘えて、ゆっくり、少しずつ距離を縮めていけたらなと思う。
「にしし! めでたしめでたし、っていうことで、そろそろご飯の続きにしましょうよ!」
「ああ、そうだな」
「そうね。でも、少し冷めちゃったかな? 温め直しましょうか……って、そうだ、ここのコンロは一人じゃ使えないんだったわ……」
ドラコもアデルさんも、食事の手を止めて、私の返事を待ってくれていたのである。ガレットも、もう冷めてしまったかもしれない。
そう思って、いつもの癖で温め直しを提案しようとしたところで、一人では火が扱えなかったことを思い出した。
「俺が温め直してくるよ。元はと言えば、食事中に長引くような話を振ってしまった俺が悪いからな」
「あ、私も」
「いや、君は座っていてくれ。温め直すぐらいなら、俺一人で平気だ」
私が立ち上がろうとするのを手で制して、アデルさんはすっと立ち上がり、大皿を手にキッチンへ戻っていってしまった。
ドラコと二人になったところで、ドラコは「レティ」と私の名を嬉しそうに呼んだ。
「にしし、今日のアデル、本当に生き生きとしてるです。あんなにコロコロ表情が変わるアデルを、ドラコは、見たことがないです」
「そうなの?」
「ドラコは、レティに感謝しているです。とーっても、です」
黒い瞳を真っ直ぐ私に向けて、ドラコは弾んだ声で続ける。
「帰ってきて、おかえりを言ってくれる人がいる。心のこもった、美味しいご飯を振る舞ってくれる。大好きな友達が、すぐそばにいて、一緒に何かをしたり話したりする――」
ドラコは、小さな手を自分の前に持ってきて、一本一本、数えるように指を折っていく。
「――今日、レティがアデルにやってくれたことは、全部ぜーんぶ、とっても素敵なことで、とっても嬉しいことです。アデルが嬉しいと、ドラコも嬉しいです」
「ドラコ……」
「レティ。これからも、どうか、アデルと仲良しでいてくださいね」
ドラコはそう言って、にししと笑う。
「――うん」
私は、にこりと笑って、頷いた。
――これからも、どうか。
ドラコの告げた言葉に、アデルさんが先ほど言ったことを思い出す。
『君が望むなら、俺は、君が
――子供時代を失ったまま、大人にならざるを得なかったアデルさん。
今まで頼れる友もなく、忠実な妖精と不思議な生き物たちに囲まれて生きてきた彼に、初めてできた人間の友達。
けれど、私はいつか、この森を出て行かなくてはならない。
その時、アデルさんの心は、今よりも強くなっているだろうか。ようやくできた友達と離れることになっても、平気なくらいに――。
心の奥に、言い知れない寂しさと不安が忍び寄ってくる。
それをドラコに悟られぬよう取り繕って、私はただ微笑みを浮かべたのだった。