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2-8. これからも、どうか



「にしし、良かったですね、アデル! 昨日から、ずーっとそわそわしてたですもんね」

「アデルバートさんが、そわそわ? どうして?」

「……そんなつもりはなかったが」


 ドラコが発した思わぬ言葉に、アデルさんは晴れやかな顔から一転、眉間にぎゅっと皺を寄せる。不服そうな顔をしていても、一昨日と違って、その声にも表情にも、氷刃のような鋭さは全くない。


「にしし。あのですね、レティ。アデルは、本当はお礼とかじゃなくて、レティに、『ここにいてくれ』って言い出すための理由がほしかっただけなんですよ」

「私に……ここに、いてほしい?」


 私は、目を瞬かせる。アデルさんを真っ直ぐに見つめると、彼は目元を赤く染め、ふい、と横を向いてしまった。その仕草は、まぎれもなく肯定を表していて――。

 そんなアデルさんを見て、ドラコがわけ知り顔で胸を張る。


「ふふん、ドラコは知ってるです。アデルも、ドラコみたいに、人間のお友達がほしいんですよね!」

「友達……」


 アデルさんは、恨みがましい目でドラコを睨んだ。だが、ドラコはさらに偉そうに胸をそらす。


「どうです、レティ。ドラコに続いて、アデルの友達第一号に、なってあげてくれませんか?」

「おい、ドラコ。俺はそんなこと一言も――」

「ふふ、もちろん、いいですよ」


 アデルさんは目を吊り上げて、ドラコに文句を言おうとしたが、私がそれを遮った。

 ドラコは「にしし」と笑い、アデルさんは「えっ」と目を見開いて固まる。

 その反応を見て、私は自然と相好を崩した。幼い頃から、たった一人で森の奥に住む、孤独な炎使い――その友達第一号に私を選んでもらえるだなんて、なんて素敵なことだろう。


「レティシア、その……」

「私、仲の良い人にはレティって呼んでもらってるんです。アデルバートさんも、そう呼んでくれませんか?」

「……レ、ティ」


 口に含んで噛みしめるように、アデルさんは、ぼそりと私の愛称を呼んだ。そして、彼は心底嬉しそうに、ふわりと目を細める。優美な微笑みには、雪が解けて春が来たかのような、確かなあたたかさが宿っていた。


「――俺のことも、アデルでいい。改めてよろしく頼む、レティ」


 私の青をじっと見つめる深紅に灯っている、親愛の感情に、私の口元も自然と綻んだ。私は目を細めて、許可してもらった愛称で、彼の名を呼ぶ。


「――よろしくお願いします、アデルさん」

「違う。アデル、だ。話し方も、ドラコに対するようにしてくれて構わない」

「い……っ、いきなりそれはハードルが高いですっ! だって、アデルさんは友達である以前に命の恩人だし、年上だし」

「ふ、そうか。なら、これから少しずつ慣れてくれたら嬉しい」

「は、はい」


 村で接客業をして暮らしてきた経験や、日本人だった前世の記憶もあいまって、年上の人にいきなり対等に接するのは私には難しい。無理に敬語をやめると、逆に緊張してしまって、ぎこちなくなりそうだ。

 アデルさんのお言葉に甘えて、ゆっくり、少しずつ距離を縮めていけたらなと思う。


「にしし! めでたしめでたし、っていうことで、そろそろご飯の続きにしましょうよ!」

「ああ、そうだな」

「そうね。でも、少し冷めちゃったかな? 温め直しましょうか……って、そうだ、ここのコンロは一人じゃ使えないんだったわ……」


 ドラコもアデルさんも、食事の手を止めて、私の返事を待ってくれていたのである。ガレットも、もう冷めてしまったかもしれない。

 そう思って、いつもの癖で温め直しを提案しようとしたところで、一人では火が扱えなかったことを思い出した。


「俺が温め直してくるよ。元はと言えば、食事中に長引くような話を振ってしまった俺が悪いからな」

「あ、私も」

「いや、君は座っていてくれ。温め直すぐらいなら、俺一人で平気だ」


 私が立ち上がろうとするのを手で制して、アデルさんはすっと立ち上がり、大皿を手にキッチンへ戻っていってしまった。

 ドラコと二人になったところで、ドラコは「レティ」と私の名を嬉しそうに呼んだ。


「にしし、今日のアデル、本当に生き生きとしてるです。あんなにコロコロ表情が変わるアデルを、ドラコは、見たことがないです」

「そうなの?」

「ドラコは、レティに感謝しているです。とーっても、です」


 黒い瞳を真っ直ぐ私に向けて、ドラコは弾んだ声で続ける。


「帰ってきて、おかえりを言ってくれる人がいる。心のこもった、美味しいご飯を振る舞ってくれる。大好きな友達が、すぐそばにいて、一緒に何かをしたり話したりする――」


 ドラコは、小さな手を自分の前に持ってきて、一本一本、数えるように指を折っていく。


「――今日、レティがアデルにやってくれたことは、全部ぜーんぶ、とっても素敵なことで、とっても嬉しいことです。アデルが嬉しいと、ドラコも嬉しいです」

「ドラコ……」

「レティ。これからも、どうか、アデルと仲良しでいてくださいね」


 ドラコはそう言って、にししと笑う。


「――うん」


 私は、にこりと笑って、頷いた。


 ――これからも、どうか。

 ドラコの告げた言葉に、アデルさんが先ほど言ったことを思い出す。


『君が望むなら、俺は、君が恵みの森に住んでも良いと思っている。君が、この家にいてくれて構わない』


 ――子供時代を失ったまま、大人にならざるを得なかったアデルさん。

 今まで頼れる友もなく、忠実な妖精と不思議な生き物たちに囲まれて生きてきた彼に、初めてできた人間の友達。


 けれど、私はいつか、この森を出て行かなくてはならない。

 その時、アデルさんの心は、今よりも強くなっているだろうか。ようやくできた友達と離れることになっても、平気なくらいに――。


 心の奥に、言い知れない寂しさと不安が忍び寄ってくる。

 それをドラコに悟られぬよう取り繕って、私はただ微笑みを浮かべたのだった。


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