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アイゼンフェルの黒闇

 空は雲に覆われ、月も隠れる深夜。


 アイゼンフェルの街はひっそりと静まり返り、街路に立ち並ぶ家々に灯りはない。


 古びた石畳は夜露でしっとりと濡れて、歩けばくぐもった足音が静かに広がる。湿った空気は肌にまとわりつき、吐く息は白く漂う。


 二人の自警団員が、その空気の冷たさを感じながらゆっくりと通りを巡回していた。

 彼らは街の静寂に耳を澄ませ、石畳を踏みしめて歩を進めていく。


「今夜は冷えるな」

 若い団員――マルセルが肩をすくめて、首のスカーフを巻き直した。


 彼らの歩く大通りには、時折路地から風がすり抜けてきて、そのたびに身体が冷気に包まれる。


「さっきの酒場の温もりが恋しいな」

 そう答えたのは、初老の団員――コンラットだった。

 彼も手に持ったランタンに、もう片方の手を当てて暖を取っている。


「コンラットさんが恋しいのは、温もりじゃないでしょ?」

 マルセルはそう言って、グラスをあおる仕草をして見せる。


 それを見たコンラットはにやりと笑う。

「違いねえ。ここにも酒があれば、寒さなんざ、気にしねえんだが」


「巡回中は勘弁して下さいよ。仕事なんですから」


「わかってるさ」


 そんなやり取りをしながら、二人は足を止めずに辺りを警戒するように視線を走らせている。


 ふと、マルセルが足を止めた。

「今、何か聞こえませんでした?」

 小声でコンラットに問いかける。

 その声には微かな緊張が含まれている。


「……遠くで何か物音が聞こえたな」

 コンラットも立ち止まり、耳を澄ませる。

 風の音、遠くで吠える犬の声、しかしそれらとは明らかに違う、人の声が聞こえた。


「あっちだ、行くぞ!」

「はい!」

 二人は外套をひるがえし、路地の方へと駆け出した。


**********


 とある工房の暗がりの中、家主であるファルケは突き飛ばされた。


 勢いよく本棚に突っ込み、背中を強打してうめき声を上げた。


 微かな月明かりが差し込む部屋の中で、黒づくめの小柄な男がゆらりとファルケへと近づく。


「死にたくなきゃ、おとなしくしてな」

 男は銀色に光るナイフを突きつけながら言った。


 その後ろでは、もう一人の黒づくめの短髪の大柄な男が、部屋のあちらこちらを荒らしながら物色している。


「か、金目のものなら無いぞ!」

 言った瞬間、ファルケは頬を殴られる。


「騒ぐな、死にたいか?」

 小柄の男は先程よりも、いっそう低い声で告げる。


 もう一人の大男の物色は続いている。

 その様子は何かを探しているというより、部屋の中の物を片っ端から壊してまわっているようだった。


「――誰か来るぞ」

 工房の出口近くから女の声がした。

 その女も黒づくめの格好をしている。出口に立っていたことから見張りのようであった。


「おい、行くぞ」

 小柄の男はもう一人の大男に声を掛けた。その男は無言で振り返り、悠然と出口の方へ歩き出した。

 それに続いて小柄の男も出口へ向かう。


「案外、早いお出ましだな」

 ナイフの男は見張りの女に言う。


「だから、静寂の石を使おうって言ったんだ。けちるからこうなる」

 女は後頭部で一本結びにしている髪を揺らしながら不機嫌そうに答えた。


「問題ない。誰が来ても打ち倒せば済むことだ」

 大柄の男は頬の大きな傷跡を掻きながらぼそりと言った。


「そりゃ、そうだ」

 小柄の男がそう言うと、三人の賊は路地を駆け出した。


**********


 マルセルは走りながら、笛を長く吹いた。

 他にも夜警をしている自警団、そして国軍兵へ援軍を要求する合図だ。


「こっちだ!」

 先導するコンラットが四つ角を左へと曲がる。


 しばらく走ると、通りに人の姿があった。その人物は走ってくるコンラットたちを見つけると、両手で大きく手を振った。


「こっちだ!」

 手を振る男が二人に叫ぶ。コンラットはその男の顔を見て叫ぶ。


「あんたは、ファルケさんか!」


「ああ、そうだ、盗賊に襲われた! 工房の中はめちゃくちゃだ!」


「賊はどこへ行った!」


 ファルケはコンラットたちがやって来た反対側を指差す。

「向こうだ、向こうへ逃げていった!」


 コンラットはマルセルへ目で合図する。

「ファルケさん、盗賊は俺達が追う。アンタは家の中に居てくれ」


 その言葉に頷くファルケ。コンラットたちは再び、路地を駆け出した。

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