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№3 酒の席とはいえ

 カゲローさんがバイトに入って三日目。


 案の定数々の『ヤラカシ』を積み重ねながらも、なんとか一日乗り切った。


 事務所メンバーのフラストレーションは最高潮にまで高まっている。このままでは、爆発まで秒読みだった。


 ここはひとつ、一番の下っ端である僕が釘をさしておかなければ。


「カゲローさん、ちょっといい?」


 帰り際、同じく帰り支度をしているカゲローさんに話しかける。カゲローさんはきょとんとして、


「え、なんすか?」


「帰り、暇だったら晩御飯でもどう?」


 ふたりになれるならなんでもよかった。もう無花果さんや三笠木さんは歩み寄る気配はなく、同じ配信者の所長が言っても説得力がないだろう。だとしたら、僕がご飯でも誘って改めて事務所の説明をしなければ。


 カゲローさんはぱっと顔色を明るくして、


「マジすか!? いいんすか!?」


「うん、僕のおごりだから」


「やった! じゃ居酒屋配信しよっと!」


「居酒屋……」


 二十歳未満同士でお酒も飲めないのに、なぜ居酒屋なのか。ああいう騒がしいところは苦手なんだけどな……


 とはいえ、ここで却下するのも変なので、僕はカゲローさんと居酒屋でご飯を食べることにした。


 駅前のチェーンの大衆居酒屋に到着すると席に案内され、カゲローさんは早速カメラを回し始める。


「あ、俺レモンサワーで! あと唐揚げとポテトと……」


「いいんですか? お酒なんて頼んじゃって」


 慌てて止めようとしても、カゲローさんは声を潜めて、


「大丈夫っすよー、バレたことないですし!」


 常習犯か。八坂さんが聞いたら『ガキのくせになにイキっとんねんワレェ!』などと言ってどつきまわしそうだ。


「まひろさんも飲みましょうよー!」


「……僕はソフトドリンクでいいよ」


「えー、つまんな!」


 無花果さんと同じようなことを言いながら、カゲローさんはげらげら笑った。言葉は同じでも、意味内容がまったく違う。無花果さんに言われるのは納得できるけど、カゲローさんに言われるのは納得できない。


 やがてドリンクとおつまみが運ばれてきて、僕たちは一応の乾杯をした。


 ちびちびとカルピスソーダを飲みながら唐揚げをつまんでいると、もうレモンサワーを半分ほど飲み干して、少し頬を赤くしたカゲローさんがしみじみとつぶやいた。


「それにしても、よくあんなとこで働いてるっすねー」


 ぐい、と結露したジョッキをかたむけ、退屈そうにしなびたポテトをかじり、


「思ったよりノリ悪いし。俺、有名ティックトッカーっすよ? ちょっとくらいネタ提供してくれたっていいじゃないすか。それに、なんかくさいっすよねー、あの事務所。特にあのアトリエ。死体の耳とか落ちてるんすよ? ヤバすぎっすよねー」


「……それは、まあ……死体を扱う場所だから……」


「全体的になんか暗いっつーか、辛気くさいっつーか、シケてるっつーか、俺が思ってた感じと違うんすよねー。もっと画面映えする画が撮れると思ったのになー。とんだ計算違いっすよー」


「……そういう場所ではないし……」


「でも、腐った事務所とかウケる! キッショイからこそ画面映えするっつーか、なんかこうエグくてドギツイ画が撮れそうなんすよ! ぜってーバズる! 過去一の撮れ高期待できるっすよ!」


 ダメだ、僕の言葉を一切聞いていない。アルコールのせいなのか、もともとそういうニンゲンなのか。両方だろう。


 食べるでもなく煮卵をもてあそびながら、カゲローさんはへらへらと続けた。


「でも、依頼人来ないっすよねー。マジで暇っすよー。キツいって聞いてたけど、なんてことなかったっすねー。拍子抜けしたっつーか……あーあ、見たかったのになー、死体アート。ぜってー映えるっすよ、マジヤバいって! 俺の視聴者は『わかってる』やつらですから、事務所も一気に有名になるっすよ! 拡散しまくりますから、期待しといてください!」


「……いや、あんまり宣伝とかそういうのは……忙しくなりすぎるのはちょっと……」


「なんすかー、まひろさんは撮りたくないんすかー、死体アート? カメラマンなんでしょー? 撮れ高マジヤバなのわかってるっすよねー? 死体アートの写真なんて、めっちゃ需要ありそうなのに!」


「……僕は、ただのカメラマンじゃなくて、『記録者』だから……」


「記録者ー? そんなん関係ないっしょ! 目の前に画になりそうな素材があったら撮りたくなる、フツーのことっしょ? いっしょにバズり散らかして、有名になりましょうよー!」


 そう言ってゲラゲラ笑って、カゲローさんはレモンサワーを飲み干して追加を注文した。もう酔っ払っているらしく、首まで真っ赤だ。煮卵を潰して遊んでいる手つきもあやしくなってきている。


 ……こいつは、まったくもってものごとの意味というものを考えようとしていない。


 ただショッキングな光景を撮影して、それを世界中にばらまいて、自分の手柄にすることしか考えていない。


 たしかに、死体はそこにあるだけでひとの感情を揺さぶる。死体を見れば、ニンゲンは本能的に動揺し、こころを動かされる。


 しかし、だからこそ危険でもある。


 やはり思い出すのは『模倣犯』のことだった。


 強力な芸術がもたらすのは、なにもいいことばかりではないのだ。ときにはひとを扇動し、ときには『死』へと導き、ときには狂わせる。今まで『作品』に触れてきて、そんな悲劇はいくらでも見てきた。


 死体の持つ意味。


 『作品』の持つ意味。


 こいつは、それらを一切、理解しようとしていない。


 『死』を、芸術を尊重していない。


 こいつは、ただショッキングなものが見たいだけだ。『死』をエンタメとして消費しようとしている。『わかってる』らしい視聴者たちは、鼻でもほじりながら『なんか面白いことないかな』と思って見ているのだろう。それが、カゲローさんの言う『わかってる』だ。


 対して、僕たちや所長の視聴者たちは『こころえている』。『作品』は決してエンタメ扱いで消費していいものではないと。そこには尊厳があり、リスペクトすべき余白があると。『死』は尊重すべきものだと『こころえている』のだ。


 そこが、決定的な温度差になっている。


 認めよう、たしかに僕だってカメラマンだ、『作品』を撮りたいという欲求がある。


 しかし、それをさも自分の手柄のように大っぴらに公表するのは違うと思っている。なにもオカルトのように『秘匿されたもの』にこそ価値があると考えているわけではない。


 『作品』の暴力を、危険性を知っているからこそ、その『表現』には最大限気をつけなければならない。


 それに、無花果さんがたましいを削って作り上げた『作品』を、死者の生き様を刻み込んだレクイエムとしての『作品』を、エンタメとして消費するのは絶対に違う。


 あれは、そんなに軽々しく扱ってしまってはいけないものだ。いわばニンゲンとしての禁忌に踏み込む行為の果てに生まれるのが『作品』、ひとがひとり死に、『死体装飾家』がいのちがけでその生き様を昇華した結果生まれるものだ。


 それを、こんなにもインスタントに扱っているのだ、こいつは。


 ……こいつ、嫌いだな。


 ふっと自分の中にわいてきた嫌悪感は、錯覚ではない。


 僕は今、久々にひとに向かって嫌悪感を向けている。


 滅多にひとを嫌うことがない僕が、こいつは嫌いだとはっきり自覚しているのだ。


 ……明日からまた四日間、いっしょに仕事をしたくない。


「あー、オゴリっすよねー、ゴチんなりまーす」


 結局煮卵を食べないまま脇によけ、カゲローさんは泥酔しながらもなおレモンサワーを飲んでいる。


 ゲロ吐いても、絶対に介抱なんてしてやらないからな。


 最悪置いていくことも考えながら、僕はカルピスソーダをちびちびと飲むのだった。

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