目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第43食:素直になれない営業マン

赤坂は、純子の両親のことをよく知らなかった。それは、ペンション経営やカフェの運営などに、興味がなかったからだ。自分は農家一本。それが一番の考えだったからである。雨の日も、風の日も、台風が来ようが、日照りだろうが、とにかく毎日畑に出る。トラクターもなんでも、自分で運転して、自分の目で確かめて、収穫作業に入らなければ気が済まない。それが、赤坂という男だった。

妻の悦子は、そんな赤坂と見合いの末に結婚したのだが、見合いの席で初めて会った赤坂は、とてもいい男だったらしい。面長で身長が高く、低めの声と、しっかりした体格。まさに農家の男であったが、そんな赤坂に悦子も惚れた。見合いと言っても、2人ともとても惹かれ合っての結婚だったわけである。


そんな若い時代のことがあって、気づけば子どもも巣立ち、孫も生まれた。最初は、言うことを聞かない孫など、畑仕事の邪魔なだけ―――と思っていたのだが、実際に腕に抱けば、可愛いのなんの。目に入れても痛くない―――とはまさにこのことであった。赤坂も悦子も、孫のことを可愛がり、子どもたちから頼まれればすぐに孫を預かるほどだった。


孫たちは、素直な子どもなので畑にも、田んぼにもついてくる。どこに行っても楽しそうにしているし、同じ農家ならば、よその家でも気にしなかった。三輪家の白菜畑に連れて行った時は、長く続く畑を見て、喜んで駆け抜けていく姿が見れるほどである。子どもとは、こんなにいいものだったか―――そう思いながら、赤坂は孫たちをとても可愛がった。


そんな時、悦子から純子の存在を聞いたのである。純子の両親と交流がなかったわけではないが、こちらは農家、あちらはペンション。同じ地域に住まう仲間でこそあったが、扱うものも違えば、考え方も違う。赤坂や三輪のところから、野菜を買ってくれることはあっても、赤坂がペンションに泊まったり、カフェでくつろぐなど有り得ない―――と思っていた。


しかし、実際にカフェに行ってみると、これが気晴らしにとてもいい。コーヒーや紅茶の香りに包まれて、時々甘いものや軽食をいただく。そんな幸せなひと時は、赤坂の心を次第に溶かしてくれた。そんな折の、純子の両親の事故。この付近は、やはり都会からは離れているし、舗装されたとはいえ、山道はまだ多かった。事故が多発するわけではないのだが、有り得る事故だと、誰もが思ったほどである。


純子は、そんな両親のペンションを引き継ぎ、カフェもそのまま経営していくと言った。悦子はとても心配したが、今の純子にとってここだけが両親との唯一のつながりになっていたのだ。だから、捨てられるはずがない。赤坂が孫たちを思うように、純子も亡くなった両親を思っていたのである。

それから、純子との交流が増え、悦子や近所の婦人たちも気がけるようになった。まだ若い女性が1人、ペンションの経営などつらいことしかないだろう。せめて結婚していて、相手がいるなら―――となった時、どこからともなく見合いの話は上がっていた。しかし、純子自身がまだペンションのことがあるから、とまったく話を聞かなかったのである。


だが、今となればそれはアタリだった、と赤坂は思う。あの荒尾和弘という男、仕事はできるし、話もできる、臨機応変で、まずまず体力もあると見た。それを見て、赤坂はこの男が、このペンションに何らかの形でかかわっていくのなら、純子も助かるのではないか、と思ったのである。

話を聞けば、会社では営業の担当。しかも成績優秀。ならば、ペンションの経営もできるのでは?とペンションの知識はない赤坂であったが、長年培った勘をもとに、思ったところであった。荒尾という男の存在は、これから必ず純子の助けになる。


そんなことを考えながら、赤坂はトラックから降りた。

悦子の入院は、とても心配だが、孫たちのことはもっと心配だ。長男夫婦には事情を説明し、あと数日で帰ってくる予定になった。慌ただしいことになってしまったが、それでも真面目な長男夫婦は、しっかりしているだろう。

「じいちゃーん!!」

聞き覚えのある可愛い声がしたので、赤坂はその声の主を探した。

「ケイとまーかぁ?」

「うん!!」

走り寄ってくる小さな2人を抱き上げて、勢いよく赤坂は笑った。いつまでも湿っぽいことを考えているのは、性に合わない。孫たちの笑顔を見たのが、久しぶりに思えるくらい、疲れていたけれど、それすら吹っ飛ぶ勢いだ。

「じいちゃん、はくしゃい!」

「お、三輪の坊主からもらったか!」

純子の車には、たくさんの白菜が積まれていた。それを見て、赤坂はまた盛大に笑う。

「白菜ばっかりじゃねぇか!」

「収穫がもう終わりみたいで。規格外をたくさんもらってきました」

そう言いながら、純子は適当な白菜を赤坂に渡す。悦子がいないので、使い切れるのか、と思ったが赤坂はその白菜を握ってしっかりと見つめていた。

「いい太り方だなぁ。三輪のとこの白菜は、都会じゃ倍くらいの値段で売れると聞いたが、それも分かる気がする」

「え、そうなんですか!?」

まさか、と純子はみるみる顔が青くなる。今まで規格外だから、とただでもらってきたものが、都会では通常の倍以上。それだけ有名だったり、味がよかったり、百貨店や高級スーパーなどに卸しているということだ。そんなにいい品の、規格外とはいえ、無料でもらうのは…と純子は思ってしまったのである。

「気にするなよ、純子ちゃん。規格外は規格外。どんなに頑張ったって、規格にあてはまらなきゃ、高くは売れないのさ」

「そ、そうかもしれませんけど……」

「そのあたりは、三輪の坊主がよくわかってると思うけどなぁ」

大学時代に、さまざまな農家で過ごしてきた三輪にとって、今の自分の家は新たな学びの場。その中で、白菜の育て方だけではなく、売り方や流通のさせ方までを考えているのが、彼なのだ。若い人が考えそうなこと、と周囲の年配者は思っているが、こういう若手が増えることで、農家は希望の光を見出すことがある。


赤坂は、そんな話をしながら、荒尾がどんな顔をしているのか見てみた。すると、その表情は緊張している、というよりは何か深く考えているような、神妙な顔である。これは何かあったな、と思ったので、赤坂はわざと荒尾に声をかけた。

「和弘くんよ」

「あ、は、はい!」

急に声をかけられて、荒尾は慌てていた。彼はすっかり自分の世界に、入り込んでいたようである。

「孫のこと、お世話になってるね。悦子もだいぶいいみたいだ」

「本当ですか、よかった」

「孫たちも、君に懐いていてよかったよ」

その言葉に、荒尾は少しだけ困ったような顔を見せた。彼の中で、子どもたちは三輪の方に懐いているような、畑を走り回る方が好きなんじゃないか、と感じていたからである。

「どうした、何か気になるのか?」

「ええ、その、あの子たちはやっぱり、畑を走り回ったりする方が……いいんじゃないかと」

「そりゃあ、うちに遊びに来ればほとんど畑にいるしなぁ」

赤坂も長く生きた男性だ。荒尾が何を感じているのか、なんとなくは分かった。きっと、何かと比較して、少し自信を失っているのだろう。本当なら、都会の営業マンなのだから、彼の方が強いことを言っても、いいくらいなのに。彼は都会の男にしては、あまりにもわかりすぎているというか、優しいというか、そんなところを持った男性だった。

「でも、子どもは素直だからね。嫌いな人間の側には寄って行かないもんさ」

そんな言葉をかけられた時、荒尾の手を握るケイくんとまーちゃんがいた。左右を占領されて、荒尾は顔を赤くする。


「素直なことはいいことさ。大人になってもな」

その言葉に、荒尾は早く自分にも素直になれ、と言われているかのように感じるのだった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?