試合の日までも、ものすごい速さで過ぎていったけど、その後もものすごい速さだった。終業式の3日前に生徒会長選挙の投票が行われ、混戦という前評判通りに、鯖江が小差で吉田を抑えて、来年度の生徒会長に選ばれた。黒沢は少し離された3位。自分ではそこまで人気がないと思っていなかったらしく、結果を見て猛烈に怒っていたと風の噂で聞いた。
郡司の破壊工作が功を奏したのか、それともそもそもその程度の人気だったのか、わからない。どっちでもいい。とにかく、1年生の頃には学年中に影響力を及ぼしていた黒沢が、すでに王様ではないことが証明されただけで、僕は少し気持ちが楽になった。ただ、少し楽になったというだけで、スッキリしたわけではなかった。人がつまずいて倒れているのを見て笑っているみたいな気がして、相手が黒沢であるにも関わらず、なんだか後ろめたい感じがした。
なんなんだろう、これ。
僕は明日斗にLINEしてみた。優勝したけど、あまりうれしくない。黒沢と比べて、自分の優勝なんて大したことないのではないかと思ってしまう。そんなことをつらつらと書いて送った。
『そいつが優勝したのって、白帯の時なんやろ? 白帯の優勝と黒帯の優勝なんて、全然価値が違うで。雅史の方が、よほど価値のある優勝やと思うけどな』
『でも、あいつは試合に出て、すぐに優勝したんやで』
『その後、優勝してるんか?』
『知らん。知らんけど、すごい勢いで昇級しているらしいから、優勝してるんじゃない?』
『よう知らんことにジェラシー感じても、時間の無駄とちゃうの? 今、戦えば雅史の方が絶対に強いって。だから、もう気にすんな。雅史が強いのは、俺がよく知ってるよ』
『明日斗にお墨付きもらってもなあ』
親友が心から励ましてくれているのは、わかっていた。だけど、僕はそれを素直に受け入れられなかった。
『それじゃあ、雅史はどうしたいん? どうすれば納得する?』
そう言われると辛い。それがわからないから、なんだかモヤモヤしているのだ。
『わからへん』
『そいつともう一回戦って勝ったら、スッキリするんとちゃうか? 冗談やけど笑』
明日斗は、黒沢が僕をいじめていたことを知っている。知っているから、最後は|(笑)で締めてきた。だけど、それを読んで僕はドキッとした。
もう一度、黒沢と戦う?
いやいや、そんなのない。あり得ない。あれだけコテンパンにやられた相手なのだ。勝てるわけがない。絶対に、勝てない。
『今、戦えば雅史の方が絶対に強いって』
明日斗のLINEを読み直す。
僕がどんなにいい仲間に恵まれて強くなって結果を残しても、格闘技をしているという共通項で、僕はまだ黒沢と繋がっている。だから、モヤモヤする。ならば、その格闘技でケリをつけるしかないのではないか。
どうやって? 黒沢が出場する真正館の試合に乗り込むか? だけど、あいつはどの試合に出る? 今、本当に黒帯なのか? 当てずっぽうで試合に出て、あいつがいなかったらどうする?
沖名先輩に聞けばいいのではないか。まだあの道場に所属しているだろう。沖名先輩は今でも僕を試合会場で見かけたら、優しく声をかけてくれる。聞けば教えてくれるだろう。部室で絵を描きながら、そんなことを考えていた。上の空になっていて、朱嶺が背後に迫っていることに気づかなかった。
「せ、ん、ぱ、い♡」
抱きついてムニュッと豊かなおっぱいを押し付けてくる。その柔らかさに驚いて、思わず「ヒェッ」と変な声を出してしまった。語尾に♡をつけるな、♡を。
「朱嶺、部活中だぞ」
顔を上げて、首に回した腕を優しく外す。朱嶺は一瞬、抵抗しようとしたが、すぐに素直に離すと、隣の席に優雅に腰掛けた。
「先輩、なんだか上の空ですね」
朱嶺は膝をそろえて僕の方を向いた。
「うん、そうだね」
確かに上の空だ。考えることが多過ぎて、手を動かしながら他のことを考えてしまう。僕は朱嶺の次の言葉を待ちながら、再び絵筆を走らせた。
「先輩、もうすぐクリスマスです」
「うん……。そうだね」
終業式は23日。冬休みに入ってすぐにクリスマスがやってくる。今年、マイは何をくれるだろう。昨年は何も準備していなかったから、今年が僕もプレゼントを用意しないと。
「クリスマスパーティー、しませんか?」
「うん……。そうだね」
朱嶺が立ち上がる気配がした。僕の前まで来るとスケッチブックを取り上げる。顔を上げると、迫力満点の巨乳が目の前にあった。
「先輩、話を聞いてください」
朱嶺はムッとした顔をして、少し声のトーンを上げた。
「ああ、ごめん」
確かに悪かったな。適当にしか聞いていなかった。
「クリスマスパーティーをしましょう」
朱嶺は僕のスケッチブックを閉じて胸の前で両手で持つと、再び椅子に腰掛けた。
「え? なんで?」
思わずアホみたいな答え方をしてしまう。
「だって、先輩がなんだかしょんぼりしているからですよ」
朱嶺は僕を指差して言った。
「しょんぼり? 僕が?」
「はい」
確かに前回の試合後からモヤモヤはしているけど、しょんぼりはしていない。そのモヤモヤも自分の問題なので、朱嶺の前では見せないようにしていたつもりだった。だが、勘のいい朱嶺にはバレていたようだ。
「祝勝会の時は、疲れているのかなと思っていたんです。でも、次の日も、その次の日も、ずっと変です。また黄崎先輩に言えない悩み事ですか? それなら私が聞きますよ」
ずっと真面目な顔をしていたのに、急にニヤッと笑って舌なめずりをしそうな顔をする。どうせ、マイの知らない僕との共通項を作って、また悦に入ろうというのだろう。そうはいかない。
「それがしょんぼりして見えると?」
僕は話を引き戻した。
「はい。だから、クリスマスパーティーをして、先輩に元気を出していただこうと」
朱嶺は僕のスケッチブックを抱いたまま、ウフッと笑った。
「あのね、朱嶺」
ちょっと露骨に呆れたトーンを出してみた。
「はい」
「僕にはマイという彼女がいるんですわ」
「はい。存じ上げております」
「普通、クリスマスは彼女と過ごすよね?」
「はい。ですから、黄崎先輩もご一緒に」
朱嶺は悪びれずに言い放った。
「わが家で24日の昼にプチパーティーをするのですが、それに黄崎先輩とご一緒に来られませんか? なんなら鈴鹿先輩と明科先輩もご一緒でも構いませんよ?」
「え、それってホームパーティーってこと?」
「はい」
「それなら、朱嶺の友達とかも来るんじゃないの?」
「はい。だから、先輩をお誘いしているのです」
朱嶺は当然のことを聞くなとばかりに、僕をジッと見た。困ったな。また朱嶺の強情っぱりが顔を出しているぞ。「お誘い」とか言っているけど、これは断れないパターンだ。僕が断ったら、マイを誘って僕を連れ出すつもりだろう。
「パーティーは昼間なんだよね」
「はい。晩はうちも家族でお祝いをしますので。遅くとも午後4時には解散するかと」
ということは、僕も夜は家族をお祝いして、その後にマイとイチャイチャする時間はあるというわけだ。ならば、行ってもいいか。せっかくのお誘いだし。どう見てもお金持ちな朱嶺家がどんなパーティーをするのか、ちょっと興味もあった。どうせ26日からは予備校なのだ。その前に楽しんでも、バチは当たらないだろう。
「うん、わかったよ。じゃあ、参加させてもらおうかな」
朱嶺の顔がパッと明るくなった。
「ありがとうございます。お待ちしております」
朱嶺は僕のスケッチブックを抱いたまま、頭を下げた。
◇
帰り道、僕が言い出すよりも先に、朱嶺はマイと明科にパーティーの話を切り出した。
「先輩は来ていただけるのですが、黄崎先輩と明科先輩も来ていただけますよね?」
「え、いいの? 行く!」
少し困惑した表情で僕をチラリと見たマイをよそに、即答したのは明科だった。
「だって、カレンちゃんの家って、あのすごいタワマンなんでしょ? えっ、どんなパーティーなんだろ? やっぱり豪華な料理が出たりするのかなぁ?」
明科はニコニコと、無邪気に笑っている。
「奈良先輩が一緒でもいいですよ」
朱嶺も微笑んで返す。
「あっくんは夜、ウチと会うために昼間に練習に行くと言ってたから、無理なんとちゃうかなあ。それ以前に、そんなパーティーに参加できる服とか持ってへんはずやし」
「それ、それやんか!」
さっきから何か言いたげだったマイが、やっと口を開いた。
「まあくん、パーティーに行く服なんか、持ってるの?」
怖い顔をして、僕をにらむ。
言われてみれば、そんな服、持ってないな。正式なところに出て行くときには学校の制服だし、それ以外にフォーマルな服なんて持ってない。
「ないよ」
「え、カレンちゃん、フォーマルやろ? パーティーやから、それなりにちゃんとした格好して行かへんと、あかんよね?」
マイは鼻息荒く朱嶺に聞いた。
「いえ、ホームパーティーなので、そこまで気合を入れてもらわなくても結構ですよ」
「でも、カレンちゃんはドレスとか着たりするんとちゃうの?」
「ドレスというほどでもないですが、一応、ホストなので、それなりに着飾るとは思いますけど……」
「ほら、やっぱり!」
マイはなぜか僕の脇腹を小突いた。
「ちゃんとした格好して行かなあかんところやわ。まあくん、帰りしなに服買お、服。ユニクロでええから」
「え……。う、うん」
小遣いをもらったばかりだったので、手持ちはあった。以前から、出かけるときにもう少しマシな格好をしたいという願望はあった。いい機会だ。買ってしまおう。
「では、私もついて行って、これくらいなら大丈夫というのを見ましょうか?」
「助かるわ〜。ウチのも見てくれへん?」
マイは朱嶺の肩に顔を寄せて、甘えるしぐさをした。
帰り道に京橋のユニクロに寄って、パーティーに行くための服を買った。朱嶺が選んでくれて、僕はパーティー以外でも着ていけそうなきれいなシャツを買った。「ズボンは制服を履いていれば大丈夫だと思います」と朱嶺が言うので、そうすることにした。
マイは朱嶺と一緒に随分と長いこと、あれでもない、これでもないと選んでいた。女子の買い物って、本当に時間がかかるな。でも、ここで文句を言うと、彼氏としての株は急落するんだろうな。そんなことを思いながら、2人の後をついて回っていた。