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第149話 来ませんか?

 試合の日までも、ものすごい速さで過ぎていったけど、その後もものすごい速さだった。終業式の3日前に生徒会長選挙の投票が行われ、混戦という前評判通りに、鯖江が小差で吉田を抑えて、来年度の生徒会長に選ばれた。黒沢は少し離された3位。自分ではそこまで人気がないと思っていなかったらしく、結果を見て猛烈に怒っていたと風の噂で聞いた。


 郡司の破壊工作が功を奏したのか、それともそもそもその程度の人気だったのか、わからない。どっちでもいい。とにかく、1年生の頃には学年中に影響力を及ぼしていた黒沢が、すでに王様ではないことが証明されただけで、僕は少し気持ちが楽になった。ただ、少し楽になったというだけで、スッキリしたわけではなかった。人がつまずいて倒れているのを見て笑っているみたいな気がして、相手が黒沢であるにも関わらず、なんだか後ろめたい感じがした。


 なんなんだろう、これ。


 僕は明日斗にLINEしてみた。優勝したけど、あまりうれしくない。黒沢と比べて、自分の優勝なんて大したことないのではないかと思ってしまう。そんなことをつらつらと書いて送った。


 『そいつが優勝したのって、白帯の時なんやろ? 白帯の優勝と黒帯の優勝なんて、全然価値が違うで。雅史の方が、よほど価値のある優勝やと思うけどな』


 『でも、あいつは試合に出て、すぐに優勝したんやで』


 『その後、優勝してるんか?』


 『知らん。知らんけど、すごい勢いで昇級しているらしいから、優勝してるんじゃない?』


 『よう知らんことにジェラシー感じても、時間の無駄とちゃうの? 今、戦えば雅史の方が絶対に強いって。だから、もう気にすんな。雅史が強いのは、俺がよく知ってるよ』


 『明日斗にお墨付きもらってもなあ』


 親友が心から励ましてくれているのは、わかっていた。だけど、僕はそれを素直に受け入れられなかった。


 『それじゃあ、雅史はどうしたいん? どうすれば納得する?』


 そう言われると辛い。それがわからないから、なんだかモヤモヤしているのだ。


 『わからへん』


 『そいつともう一回戦って勝ったら、スッキリするんとちゃうか? 冗談やけど笑』


 明日斗は、黒沢が僕をいじめていたことを知っている。知っているから、最後は|(笑)で締めてきた。だけど、それを読んで僕はドキッとした。


 もう一度、黒沢と戦う?


 いやいや、そんなのない。あり得ない。あれだけコテンパンにやられた相手なのだ。勝てるわけがない。絶対に、勝てない。


 『今、戦えば雅史の方が絶対に強いって』


 明日斗のLINEを読み直す。


 僕がどんなにいい仲間に恵まれて強くなって結果を残しても、格闘技をしているという共通項で、僕はまだ黒沢と繋がっている。だから、モヤモヤする。ならば、その格闘技でケリをつけるしかないのではないか。


 どうやって? 黒沢が出場する真正館の試合に乗り込むか? だけど、あいつはどの試合に出る? 今、本当に黒帯なのか? 当てずっぽうで試合に出て、あいつがいなかったらどうする?


 沖名先輩に聞けばいいのではないか。まだあの道場に所属しているだろう。沖名先輩は今でも僕を試合会場で見かけたら、優しく声をかけてくれる。聞けば教えてくれるだろう。部室で絵を描きながら、そんなことを考えていた。上の空になっていて、朱嶺が背後に迫っていることに気づかなかった。


 「せ、ん、ぱ、い♡」


 抱きついてムニュッと豊かなおっぱいを押し付けてくる。その柔らかさに驚いて、思わず「ヒェッ」と変な声を出してしまった。語尾に♡をつけるな、♡を。


 「朱嶺、部活中だぞ」


 顔を上げて、首に回した腕を優しく外す。朱嶺は一瞬、抵抗しようとしたが、すぐに素直に離すと、隣の席に優雅に腰掛けた。


 「先輩、なんだか上の空ですね」


 朱嶺は膝をそろえて僕の方を向いた。


 「うん、そうだね」


 確かに上の空だ。考えることが多過ぎて、手を動かしながら他のことを考えてしまう。僕は朱嶺の次の言葉を待ちながら、再び絵筆を走らせた。


 「先輩、もうすぐクリスマスです」


 「うん……。そうだね」


 終業式は23日。冬休みに入ってすぐにクリスマスがやってくる。今年、マイは何をくれるだろう。昨年は何も準備していなかったから、今年が僕もプレゼントを用意しないと。


 「クリスマスパーティー、しませんか?」


 「うん……。そうだね」


 朱嶺が立ち上がる気配がした。僕の前まで来るとスケッチブックを取り上げる。顔を上げると、迫力満点の巨乳が目の前にあった。


 「先輩、話を聞いてください」


 朱嶺はムッとした顔をして、少し声のトーンを上げた。


 「ああ、ごめん」


 確かに悪かったな。適当にしか聞いていなかった。


 「クリスマスパーティーをしましょう」


 朱嶺は僕のスケッチブックを閉じて胸の前で両手で持つと、再び椅子に腰掛けた。


 「え? なんで?」


 思わずアホみたいな答え方をしてしまう。


 「だって、先輩がなんだかしょんぼりしているからですよ」


 朱嶺は僕を指差して言った。


 「しょんぼり? 僕が?」


 「はい」


 確かに前回の試合後からモヤモヤはしているけど、しょんぼりはしていない。そのモヤモヤも自分の問題なので、朱嶺の前では見せないようにしていたつもりだった。だが、勘のいい朱嶺にはバレていたようだ。


 「祝勝会の時は、疲れているのかなと思っていたんです。でも、次の日も、その次の日も、ずっと変です。また黄崎先輩に言えない悩み事ですか? それなら私が聞きますよ」


 ずっと真面目な顔をしていたのに、急にニヤッと笑って舌なめずりをしそうな顔をする。どうせ、マイの知らない僕との共通項を作って、また悦に入ろうというのだろう。そうはいかない。


 「それがしょんぼりして見えると?」


 僕は話を引き戻した。


 「はい。だから、クリスマスパーティーをして、先輩に元気を出していただこうと」


 朱嶺は僕のスケッチブックを抱いたまま、ウフッと笑った。


 「あのね、朱嶺」


 ちょっと露骨に呆れたトーンを出してみた。


 「はい」


 「僕にはマイという彼女がいるんですわ」


 「はい。存じ上げております」


 「普通、クリスマスは彼女と過ごすよね?」


 「はい。ですから、黄崎先輩もご一緒に」


 朱嶺は悪びれずに言い放った。


 「わが家で24日の昼にプチパーティーをするのですが、それに黄崎先輩とご一緒に来られませんか? なんなら鈴鹿先輩と明科先輩もご一緒でも構いませんよ?」


 「え、それってホームパーティーってこと?」


 「はい」


 「それなら、朱嶺の友達とかも来るんじゃないの?」


 「はい。だから、先輩をお誘いしているのです」


 朱嶺は当然のことを聞くなとばかりに、僕をジッと見た。困ったな。また朱嶺の強情っぱりが顔を出しているぞ。「お誘い」とか言っているけど、これは断れないパターンだ。僕が断ったら、マイを誘って僕を連れ出すつもりだろう。


 「パーティーは昼間なんだよね」


 「はい。晩はうちも家族でお祝いをしますので。遅くとも午後4時には解散するかと」


 ということは、僕も夜は家族をお祝いして、その後にマイとイチャイチャする時間はあるというわけだ。ならば、行ってもいいか。せっかくのお誘いだし。どう見てもお金持ちな朱嶺家がどんなパーティーをするのか、ちょっと興味もあった。どうせ26日からは予備校なのだ。その前に楽しんでも、バチは当たらないだろう。


 「うん、わかったよ。じゃあ、参加させてもらおうかな」


 朱嶺の顔がパッと明るくなった。


 「ありがとうございます。お待ちしております」


 朱嶺は僕のスケッチブックを抱いたまま、頭を下げた。


   ◇


 帰り道、僕が言い出すよりも先に、朱嶺はマイと明科にパーティーの話を切り出した。


 「先輩は来ていただけるのですが、黄崎先輩と明科先輩も来ていただけますよね?」


 「え、いいの? 行く!」


 少し困惑した表情で僕をチラリと見たマイをよそに、即答したのは明科だった。


 「だって、カレンちゃんの家って、あのすごいタワマンなんでしょ? えっ、どんなパーティーなんだろ? やっぱり豪華な料理が出たりするのかなぁ?」


 明科はニコニコと、無邪気に笑っている。


 「奈良先輩が一緒でもいいですよ」


 朱嶺も微笑んで返す。


 「あっくんは夜、ウチと会うために昼間に練習に行くと言ってたから、無理なんとちゃうかなあ。それ以前に、そんなパーティーに参加できる服とか持ってへんはずやし」


 「それ、それやんか!」


 さっきから何か言いたげだったマイが、やっと口を開いた。


 「まあくん、パーティーに行く服なんか、持ってるの?」


 怖い顔をして、僕をにらむ。


 言われてみれば、そんな服、持ってないな。正式なところに出て行くときには学校の制服だし、それ以外にフォーマルな服なんて持ってない。


 「ないよ」


 「え、カレンちゃん、フォーマルやろ? パーティーやから、それなりにちゃんとした格好して行かへんと、あかんよね?」


 マイは鼻息荒く朱嶺に聞いた。


 「いえ、ホームパーティーなので、そこまで気合を入れてもらわなくても結構ですよ」


 「でも、カレンちゃんはドレスとか着たりするんとちゃうの?」


 「ドレスというほどでもないですが、一応、ホストなので、それなりに着飾るとは思いますけど……」


 「ほら、やっぱり!」


 マイはなぜか僕の脇腹を小突いた。


 「ちゃんとした格好して行かなあかんところやわ。まあくん、帰りしなに服買お、服。ユニクロでええから」


 「え……。う、うん」


 小遣いをもらったばかりだったので、手持ちはあった。以前から、出かけるときにもう少しマシな格好をしたいという願望はあった。いい機会だ。買ってしまおう。


 「では、私もついて行って、これくらいなら大丈夫というのを見ましょうか?」


 「助かるわ〜。ウチのも見てくれへん?」


 マイは朱嶺の肩に顔を寄せて、甘えるしぐさをした。


 帰り道に京橋のユニクロに寄って、パーティーに行くための服を買った。朱嶺が選んでくれて、僕はパーティー以外でも着ていけそうなきれいなシャツを買った。「ズボンは制服を履いていれば大丈夫だと思います」と朱嶺が言うので、そうすることにした。


 マイは朱嶺と一緒に随分と長いこと、あれでもない、これでもないと選んでいた。女子の買い物って、本当に時間がかかるな。でも、ここで文句を言うと、彼氏としての株は急落するんだろうな。そんなことを思いながら、2人の後をついて回っていた。

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