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第150話 エスコート

 クリスマスイブ。


 練習に少しだけ行くかと思って、朝飯を食べた後に部屋で練習着やグローブの準備をしていたら、マイがやってきた。例によってノックもなくドアを開ける。


 「あ、やっぱり練習に行こうとしてる!」


 黒いスウェットのトレーナーに、最近よく履いているワイドシルエットのジーンズ。ぶかぶかな感じがかわいい。


 「あかんって。練習行ったら、準備している時間とかないやんか」


 僕のすぐそばまで来ると、少し怒った顔をして見下ろしてきた。


 「え? ジムから直行で行けば間に合うでしょ? 服も着て行くし」


 準備? 朝から朱嶺が選んでくれたシャツを着ているし、ズボンも家から履いていくし、確かに練習着を入れたリュックを持って行くけど、それくらい、いいんじゃないの?


 「違う。まあくんはパーティーを何もわかっていない!」


 マイは気合の入った表情で、僕のリュックを取り上げた。


 「いいですか? まず、こんなリュックを持ってパーティーに行くなんて論外です!」


 なぜ標準語なのか。


 「はい」


 「それから、お呼ばれしたときには、こっちも手土産を持って行くのが常識なの!」


 それは母さんにも言われた。途中で何か菓子折りでも買えと、お金をもらっていた。


 「うん。それは知ってる」


 「そして何より!」


 マイは仁王立ちして、腰に手を当てた。


 「相方をエスコートするのは、紳士の大事な務めです!」


 うん。うん? 何言ってるのか、よくわからない。


 「あんな、まあくん」


 マイはお尻のポケットからスマホを取り出すと、僕の隣に正座した。画面を見ながら、真剣な表情で説明を始める。


 「調べてん。ウチもよう知らんかったから。パーティーにお呼ばれしたときには、普通はパートナーを連れて行くものやねん。で、パートナーをちゃんとエスコートするのが、男子の大事な役割なんやって」


 「エスコートって何?」


 マイは、呆れたようにため息をついた。


 「ほら、女の子がちゃんと会場に着くように、手を引いたり、あれしたりするやん? リードしたり、そういうことやん?」


 何やらスマホ画面を僕に見せて一生懸命説明しているが、本人もよくわかっていないので「あれ」とか「それ」が多い。だが、なんとなく想像できたぞ。ハリウッド映画とかでよく見る、あれだな。ドレスアップした女の人の手を男性が引いて、パーティー会場に一緒に入っていく、あれ。


 マイ、ちょっと想像しているレベルが高すぎないか? 朱嶺の家のパーティーだぞ?


 「つまり、練習に行かずに、一緒に出かけようということね?」


 「そうそう! つまり、そう言うこと!」


 マイは手を叩いて僕を指差し、やっとわかったかと言わんばかりにニッコリと笑った。そして、着替えてくるから待ってろと言って、一度、家に帰っていった。小一時間ほどして|(暇だったので部屋で腕立て伏せとスクワットをして待っていた)、きれいな薄黄色のシャツに水色のロングスカートというオシャレな出立ちで現れたのだが、手に3着ほど他の服を持っている。


 「かわいいじゃん」


 僕は素直に思ったことを言った。


 「いや、待って。違うねん。これ。こっちとどっちがいい?」


 マイが広げて見せたのは、薄黄色|(マイはこの色が本当に好きだ)のワンピースだった。春先や秋ならばともかく、クリスマスシーズンには少し寒そうな感じがする。


 「悪くないけど、寒そうじゃない?」


 「じゃあ、次。これはどう?」


 マイはシャツの上から暖かそうなカーディガンを羽織った。モコモコしてかわいい。


 「ああ、いいじゃない。似合うよ」


 似合うと言っているのに納得がいかないのか、僕の前で裾を摘んだり、くるくる回ったりして、そして今更「まあくんの部屋、鏡、ないねんな」と言って、階下に行ってしまった。


 洗面台の鏡を見ているのだろう。


 何やら1階で母さんと話している。「あら、よく似合っているわよ」と母さんが言っているのが聞こえるが、マイは不満そうだ。しばらくして戻ってくると、その辺に放り出していた服を回収して「ちょっと待ってて」と言って、また家に帰ってしまった。


 同じことを3度、繰り返し、マイは散々、お色直しした上で、最終的に最初に着ていた服装で行くことに決めた。


 「変じゃない? なんか庶民みたいなじゃない? パーティーっぽく見える?」


 これで行くと言ったのに、まだスカートを持ってくるくる回りながら、迷っている。大丈夫。いつもよりオシャレで素敵だし、それに僕らは庶民だ。背伸びして着飾ったところで、そんなの似合わない。そう思ったけど、あえて口には出さなかった。


 「見える見える。大丈夫だって。逆に変に着飾って、浮いちゃうと大変でしょ?」


 「ああ、そうか……。そうだね。確かに、まあくんの言う通りやわ」


 珍しく僕の言うことを聞いてくれた。それにしても、服選びに小一時間。女子が出かけるのって、大変なんだな。一人でやればいいのに、いちいち僕に意見を求めるから時間がかかるのではないだろうか。どうせ最後は自分で決めるのだから、僕に見せなくてもいいのではないか? 


 まあ、いいか。15年間、支えていくと言ったし、こういうことに付き合うのも、その一環だろう。


 やっと終わったと思ったら、次は髪を編んでいくかどうかで迷いだし、さらにコンタクトか眼鏡かで散々迷って、結局、出かけるのは時間ギリギリになった。マイはサイドを三つ編みにして、久々にコンタクトを入れた。


 京橋駅で明科と鈴鹿と落ち合い、京阪モールで菓子折りを買った。クッキーの詰め合わせだ。明科は白いシャツにツヤのあるネイビーのスカート、そしてベージュのダッフルコート。鈴鹿は、なぜこんなものを持っているのか謎なのだが、深緑色のチャイナドレスだった。髪も中華風に両サイドでお団子にしている。黒いコートを羽織って、パーティーというよりもコスプレだ。


 「サキ、その服どうしたの?」


 明科が聞いた。


 「昔、神戸の中華街で買ってもらってん。いつ着るんかなと自分でも思ってたんやけど、今日しかないやろと思ってな」


 コートの前を開けて、細かい刺繍を見せてくれる。


 「寒ないの?」


 マイが聞く。マイは学校に行くときに来ている、ダウンのコートを着ていた。


 「正直、ちょっと寒い。はよ行こ」


 鈴鹿は口ではそう言いながらも、楽しそうにアハッと笑った。

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