「不平士族の反乱、ですか」
「そうだ。恐らくは九州で蜂起が始まる、と政府の調査部が予測を出した」
祝宴の日、六座家に向かう緑小路は道中の馬車の中、佐崎に切り出した。
花は別の馬車に乗っていて、この話は聞こえていない。佐崎も馭者席にいたのだが、別の者に任せて中に入るよう緑小路に言われたのだが、そこでいきなり反乱の話を切り出されたのだ。
「佐崎。お前にももしかすると声がかかるかも知れん」
「旦那様。私はそのような企てに加担するつもりは毛頭ございません」
「わかっている。その点についてはお前を全面的に信頼している」
緑小路がこの話を伝えたのは、先日の誘拐の件と何かしら繋がりがあるのではないかと考えたからだという。
「花だけではない。政府に関わる者や、その縁者を人質にして政府の動きを鈍らせる行動に出る者が居たとしても可笑しくはない」
「そのような真似、武士であることを誇りにする連中がするでしょうか」
疑問を呈した佐崎に、緑小路は目を丸くして驚いた。
「……いや、すまぬ。お前がそのような正道について、ましてや不平士族を信用するようなことを口にするとは思わなかった」
言われて、佐崎もふと思いなおした。
「いえ、これは私の失言でございました。お許しを」
「いや、良い。士道を貴ぶのであれば、お前の言う通り、正面からの戦に固執するであろうな。だが、それで勝てぬとあれば、非常の手段を選ぶ者もいるだろう」
たとえ反乱の首魁が許さぬとしても、下の者が秘密裏に進めてしまう可能性はある。
「功を逸る者にとっては、結果が全てなのだ。その後にどう評されるかを考えなければ、政は務まらぬのだがな……」
苦々しい表情をする緑小路には、身に覚えがあるのかも知れない。
「話が逸れたな。お前に現状を把握しておいてもらいたいのだ。政府が落ち着くまでは、何も起きてほしくはないが……」
今の時点で蜂起があったとして、緑小路が直接平定に向かう必要はない。武門の担当者は別にいるし、やることと言えば戦費調達や武器弾薬の輸送など、後方で行うものばかりになるはずだった。
しかし、戦の要所を押さえることを考えるのであれば、後方をある程度麻痺させる戦術を選ぶことは不自然ではない。
「もし、わしや六座あたりが何者かによって討たれたり、何かの理由で動きを封じられたりしたら、政府軍はかなり厳しい状態に陥る」
敗れるとまではいかないが、政府側の犠牲は決して少なくないだろうことは容易に想像がつく。
戦費負担も今の政府には厳しい重荷になるだろう。
しばらく、馬車内は沈黙が支配していた。
緑小路は新政府はまだ生まれたての赤子と同様だと言い、未だ外部からの脅威に対応できるほど成長してはいないのだ、と語る。
「国外との折衝もある。新政府は幕府が作っていた対外債務を継続して引き受けた。それ故に国外から政府としての承認を受けられたようなものだが、政府外の者には、なかなか理解しがたいのだろう」
武器の買い付けにあたって、かなりの額を実質的に借り受けていたことに、新政府の首脳陣は頭を抱えた。
要するに武器の輸入代金を後払いにしていたのだが、その幕府が倒れたことで、請求先は新政府へと移ったのだ。
これを無視することも意見として出たのだが、結局はそうならなかった。
「明治新政府が正式な日本国政府として認められるには、引き継がざるを得なかった。これを断れば、明治新政府は諸外国との交渉を事の初めから……いや、信用を失った状態から始めなければならなかった」
そして、そんな諸外国からの視線は今も厳しい。
「新政府は、金だけでなく情報や文化も取り入れる必要がある。今、諸外国からの不興を買うのは好ましくない」
不平士族が跋扈するような世の中が再び訪れてしまえば、新政府の統治能力は疑われてしまうだろう。
「むしろ、外国からすれば武器を売りつける好機なのではありませんか」
「そう捉えてくれるなら良いがな。まかり間違えば困窮した国家として食い物にされかねん」
幕府が大政奉還を行ったから、人材払底まではいかずに済んだが、綱渡り状態であるのは間違いない。
「本来なら、こんな祝宴などやっている余裕もないのだが、致し方ない」
対外的に余裕があるように見せることも重要であるし、西洋風の交流方法を学んでおくことは、政府組織のみならず、一部豪商などにも必要なことなのだ。
「事務方はよくやってくれている。問題は大臣職など要職についている連中だ。派閥の争いは激化しているし、それらの下にいる者たちにも不満がたまっていく」
そして、緑小路は驚くべき情報を呟いた。
「……政府要人の中にも、不平士族に同情的な者がいる。その者たちが不平士族たちによって神輿の上に据えられてしまったら、目も当てられん」
そうなれば、単なる地方の反乱ではすまなくなってしまう可能性が出てくる。最悪の場合、国を割ってしまいかねない。
「話した通り、今の新政府は幕府から多くのものを引き継ぐことができたからこそ、体制を維持できている面が大きい。政府が二つに割れてしまえば、幕末以上の混乱期が到来するだろう」
「そうなれば……旦那様やお嬢様は……」
「暗殺の危険がさらに増すだろうな」
嘆息した緑小路は、背もたれに身体を預けて嘆息する。
資産も借金も受け継いだが、大きいのは人材である。今の政府の事務方の多くは幕府の中枢で文官として出仕していた者たちがそのまま働いている。
だからこそ、国家運営に大きな混乱を来さずに済んでいるのだ。
これを重々承知しているからこそ、単純に武力のみで時代を戻そうとする連中には同意できない。
「とても、華族の執事に頼むことではないが……」
「何なりと」
あっさりと受け入れる姿勢を見せた佐崎に、緑小路は思わず笑ってしまった。
「頼もしいな。では、頼む。わしと花を守ってくれ。そして、できることなら、不平士族の動きにつながる何かを見つけたら、わしが後の始末はつけるから、徹底的に潰してほしい」
佐崎は大きく頷いた。
「それが、お嬢様の未来を守ることにつながるのでしたら」
「すまない。またお前を、血塗られた道に戻すことになってしまった」
何も問題はありません、と佐崎は断言してみせた。
先の見えない、暗闇の中で武器を握ってやみくもに殺して回ったあの頃に比べれば、大切な誰かを守り、明るい未来を守る戦いなのだ。
「むしろ喜ばしいほどです」
馬車が六座家にたどり着いたとき、佐崎は穏やかな笑顔で雇い主に答えた。