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気分が沈んだまま授業を終えて、放課後からはじまる部活に精を出す。来月から他校との練習試合が増えるのを見越して、試合形式の練習が主になっていた。レギュラーだからこそ、身を入れてしっかりプレーしなければならないのに、テンションが下がっている現状が、ちょっとしたミスにつながってしまう。
さっきもドリブルしていて、手が滑った瞬間にボールを奪われてしまった。
「陽太、なにやってんだ! カットしたボールを敵に向かってパスするとか、ありえないだろっ!」
ベンチから控えの先輩が、大きな声で檄を飛ばす。コート内でチームメイトの誰かが、ため息をついたのがわかった。
「すみませ……っ、うわっ!」
謝りかけた刹那、反射的に体を逸らして、パスされたボールを思いっきり避けてしまった。手に取ってもらえなかったバスケットボールは、体育館の壁に当たって虚しく床に転がる。
「選手交代! 西野の代わりに上田が出てくれ」
顧問の野田先生が不愉快そうにムッとして、選手交代を言い放った。副顧問の長谷川先生は利き手で顔面を隠し、俺に感情を見せないように配慮しているみたいだが、ゲンナリしているのは雰囲気で伝わった。
ベンチに戻ると野田先生が手招きし、傍に来るように促す。息を切らしつつ駆け寄った俺に、声を押し殺して事実を告げる。
「西野、今のおまえは全然使えない。チームの足を引っ張ってる」
「はい……」
「この間のフェロモン誤爆といい、なにか問題を抱えているんじゃないのか?」
その言葉に反応して体をビクつかせたら「まぁまぁ、それくらいにして」と、長谷川先生が間に入った。颯爽と隣に並び、スポーツタオルを俺の頭に被せて、落ち込んだ顔を隠す。そして背中を撫でて俺を宥めてくれたことに、安堵のため息をついた。
「長谷川先生、西野に対してなぁなぁな態度で接するのは、どうかと思うが?」
「西野は1年からレギュラーでがんばって、進んでチームを引っ張ってきた功績があります。2年になり先輩になったことで考え方が変わったり、この間やらかした、大惨事の後片付けの疲れが出ているかもしれませんよ。それに野田先生も高校時代に、なにかしらありませんでした? 学生だからこその悩みってヤツ!」
「長谷川っち……」
ポツリと呟いた瞬間、大きな手で後頭部を軽く叩かれた。
「先生をつけろって言ってるだろ、そういうとこだぞ!」
「いけませんよ長谷川先生、生徒の頭を叩くのは問題です。なぁなぁで接していないことは、わかりましたから」
「はい、もうしません! 西野については俺からキッチリ指導しておきますので、安心してまかせてくださいっ」
そう言って俺の隣で深く頭を下げたのを見、被っていたスポーツタオルを慌てて外し、同じように頭を下げる。
「暴力は絶対になしで、指導をしてくださいよ」
野田先生が厳しめに告げたあと、長谷川先生が俺の肩を抱いて、ベンチの端っこに座らせる。手に持っていたスポーツタオルを握りしめた瞬間、顔を覗き込まれた。
「理由はわかってる。同じクラスの月岡悠真だろう?」
図星を指すセリフに、頭が真っ白になって言葉に詰まった。
「なっ……ななな、なんでっ」
「だってよ、コート内がおまえのフェロモンで大騒ぎになってる最中に、月岡が傍にやって来ただけで、またフェロモンを垂れ流したじゃないか」
「流してねぇ! あの状況で流したりしたら、もっと酷いことになるじゃん……」
「月岡に差し出されたハンカチを受け取って、ニヤけていたクセに!」
(あのときの俺ってば、体育館で大惨事を引き起こしたことに責任を感じて、しょんぼりしていたハズ。けしてニヤけていたとは――)
「……俺、ニヤけていたのかよ?」
「ああ。コートが誰かさんのせいですごいことになっているというのに、ふたりだけの世界を満喫しているように、俺の目には映ったけどな」
「マジか……」
持っていたスポーツタオルを顔に押しつける。きっと顔が赤くなっているに違いない。
「西野、俺は間違ったことを言ったなって、おまえたちの姿を見て思ったんだ」
「間違ったこと?」
スポーツタオルをずらして、目元だけ見えるようにし、隣に座る長谷川先生の様子を窺った。長谷川先生の視線の先は、練習試合をしているチームに注がれていたけれど、いつも見るおちゃらけた雰囲気がなく、どこか気落ちしている感じがした。
「昇降口で喋ったろ、ベタはベタ同士って。それがアルファのおまえに問題を与えて、心が引っかかっているんじゃないかと思ってさ」
「あ……」
「先生が生徒に、固定観念を与えちゃいけないよな。だってさ恋愛は基本、誰としてもいい自由なものなのに。昔は俺も、恋でやらかしちゃいけないミスを連発したからなぁ」
(佐伯といい長谷川先生といい、どうして失敗したことを平然と口にすることができるんだろう?)
長谷川先生は白い歯を見せて、俺に笑いかけた。それに応えなければと、顔からスポーツタオルを外し、作り笑いを浮かべる。
「いつも元気いっぱいの西野が、そんな変な笑い方をしたら月岡に嫌われるぞ」
「うっせえよ。長谷川先生に恋バレした俺の気持ちくらい、悟ってくれって」
言いながら体当たりすると、その倍の力で返されてしまった。隅っこに座っているせいで、ベンチから落ちそうになり、慌てて足を踏ん張った。
「西野が失恋したら、いいコを紹介してやる」
「失恋する前提で話を進めないでくれよ。現実化しそうで怖い」
「そのかわいいコっていうのが、俺の娘なんだ。まだ3歳児だけど俺に似て、将来絶対に美人になるぞ!」
ジャージのポケットからスマホを取り出し、わざわざ写真を見せようとする。
「長谷川っち、いい加減にしてくれ……そんなことをしてまで、落ち込んだ俺の気分をあげようとしないでくれよ」
長谷川先生は俺の言葉を聞いてカラカラ大笑いし、盛大に頭を撫でてくれた。おかげで少しだけ心が軽くなり、悠真から借りた本を読む気力がわいたのだった。