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3-8

***

 クラスメイトに恋バレしたのが功を奏し、佐伯にナイショで手伝うと言ってくれた、さっきまでのやり取りを思い出しながら、通学路を歩く。


(考えたら今日は朝から悠真に挨拶されたし、本も借りることができた。部活では失敗したけれど、長谷川っちや教室でクラスメイトが励ましてくれたのも、すげぇありがたかったな)


 落ち込んでいた気持ちがそのおかげで軽くなり、家路に急ぐ足取りも軽くなった。早く帰って悠真に借りた本を1ページでも多く読むぞと、気分を良くしながら自宅の扉を開けると、リビングで言い争う声が玄関まで響いていた。


「またやってるのか、あのふたり……」


 俺の両親は、どっちもアルファ――アルファの出生率を少しでも上げるべく、ふたりは結婚したらしい。


 聞いたら誰でも知ってる大企業に勤める父さんと、医大に勤める女医の母さん。アルファで優秀なのは当然だけど、それがアダになってふたりはよく口喧嘩をしている。しかもなかなか譲らない。


 結局折れるのは4つ年下の父さんで、家庭の居心地の悪さに、カプセルホテルに泊まるのがしょっちゅうだった。


「ただいま……」


(これ、気分最悪のまま帰っていたら、落ちるところまで落ちていたかもな――)


 リビングの扉を開け放った瞬間、「陽太、こっちに来なさい!」と怒気を含んだ声で母さんに呼ばれた。そのことにより、喧嘩の原因は俺なのがわかり、肩を落としながらスクールバックを邪魔にならないところに置いて、素直にダイニングテーブルの椅子に座る。


 目の前にいるふたりから注がれる視線が痛すぎて、目を合わすことができなかった。


「陽太、さっき学校から電話が着たの。なんでもアナタ、フェロモンを学校でまき散らして、ほかの生徒に迷惑をかけたそうじゃない」

「うん、やらかした」

「やらかしたって、なんでそんなことをしたの? 高校生の分際で、たくさんのオメガにモテたいなんて考えたりして、変に色気づいたんじゃないでしょうね」


 目を吊り上げて怒る、母さんの追及がねちっこくて半端ない。


「モテたいなんて考えたこともない。ちょっと興奮して、漏れ出ちゃった感じで」

「興奮するような出来事が、学校であったっていうの? アルファなのに恥ずかしいわね……」


 母さんは嫌そうに眉根を寄せて文句を言ったら、隣にいる父さんが宥めるような感じで話しかける。


「母さん、そんな責めるような物言いだと、陽太が話しにくくなる。かわいそうじゃないか」

「そうやって大事なときに、アナタがこのコを甘やかすせいでつけあがるの。その結果、外で問題を起こして、学校から電話がかかってくるんじゃない!」

「やめてよ、母さん。俺が悪いのに父さんを責めないでやって。俺が全部悪いんだ。学校なのに父さんに教えてもらった、フェロモンの調整がちゃんとできなかった」


 背中を小さく丸めながら、話したくない事実を告げた。ついでに俺の恋心について正直に話したら、間違いなくもっと叱られるであろう。


「私は陽太のことを心配して」

「父さん、母さん……俺は――」


 母さんが話している途中だったが、まぶたを伏せて、唇を開けたり閉じたりしながら、必死になって言葉を探す。挙動不審な俺の態度に、母さんはさらに目を吊り上げて、怒りを露わにした。


「陽太、ごまかさずにちゃんと言いなさい。包み隠さず言わないと、家で対処ができないでしょう?」

「対処?」

「そうよ。アナタのクラスの担任に言われてるの。ご家庭でも話を聞いて、できるだけフォローしてあげてくださいって」


(大人は勝手だな。それぞれのメンツを保とうと、必死になってるのが伝わってくる)


 そもそも悠真との恋愛を、学校や親がどうにかできるわけない。しかも好きな相手がベタだってわかった時点で、母さんにやめなさいと言われるのが目に見える。


「……俺さ、2年になってからバスケ部で副キャプテンになったこと、父さんと母さんに言ったよね」


 自分の恋心を守ろうと考えたら、冷静に状況判断のできるもうひとりの自分が出てきた。一番最初にフェロモンを誤爆したときに、佐伯が担任に呼ばれた際にごまかしたネタを使えばいいって、もう一人の自分が提案したので、迷うことなくそれを使わせてもらう。


 担任と親がつながっているからこそ、通用する話題なのがいい。だが問題は、興奮材料をどうするかだった。


「陽太はクラスでは委員長で、部活では副キャプテン。大変な立場にいるのは、理解できるけど」

「学級はさ、副委員長の佐伯が優秀で、俺の手の届かない部分をうまくフォローしてくれるから、安心できるんだけど、部活は思ったとおりにうまくいかなくてさ」


 苦笑いを浮かべて後頭部を掻きながら、両親に平然とウソをついた。すると父さんが首を傾げて、いつもより低い声で告げる。


「部活がうまくいってないことと、興奮する出来事がつながらない。そこのところを説明しなさい」


 鋭いツッコミに一瞬ひやっとして、フェロモンが出そうになったものの、気持ちを落ち着かせて説明する。


「来月から他校と練習試合をする関係で、普段の練習も試合形式が主になってる」


 淀みなく語る俺のセリフに、ふたりは黙ったまま耳を傾けた。


「当然試合にも熱が入ってがんばるんだけど、うまくいかないことが多くてさ。イライラする中でも、うまくシュートが決まったら、すげぇ嬉しくて興奮しちゃって、フェロモンを溢れさせちゃう感じになった」


 最後まで話を聞いた母さんが「そんなことでフェロモンを垂れ流して、学校で騒ぎを起こすなんて」と呟く。


「まぁまぁ、母さん。陽太がきちんと話をしてくれたからいいじゃないか。それに俺たちだってフェロモンをムダに垂れ流して、親に叱られた経験があるわけだし」

「父さんと母さんも?」

「アルファだから優秀だっていうが、誰だって最初からフェロモンのコントロールがうまくできるわけじゃないからね」

「俺、ベタに生まれたかった。そしたらこんな騒ぎを起こさないで済むし、叱られることもないのに」


 ベタだったら悠真とカップリングになっても、誰もなにも言わない。そしたら悠真と普通に、恋人になれたのにさ。


「陽太、嫌なことから逃げようとして、無理なことを言ってもしょうがないでしょ。ちゃんと現実と向き合って、フェロモンのコントロールに磨きをかけなさい。アナタ、陽太に指導をしてくださいね」


 ダイニングテーブルの椅子から腰を上げた母さんの腕を、父さんは慌てて掴む。


「待ってくれ」

「これから急いで、夕飯を作らなきゃいけないの。手を放してちょうだい」

「夕飯を作るよりも先に、お風呂に入ってほしんだ。今回のことで疲れてるだろう? 高級アイスを買ってきてあげる」


 いきなり妙な提案をした父さんに、母さんと俺は目を見開いて固まった。


「陽太と一緒に歩いて買いに行くから、時間がかかると思うんだ。だから、ゆっくり風呂に浸かってくれ。ほら、出かけるぞ!」


 父さんは母さんを掴んだ腕で今度は俺の背中を叩き、さっさとひとりで玄関に向かってしまった。


「アナタたちが出て行くなら、私はヘアマスクと顔にパックでもして、お風呂でゆっくりさせてもらうわね」


 一気にご機嫌になった母さんが、弾んだ足取りで浴室に向かう。俺はひとり、ダイニングテーブルに残され、呆然とするしかなく――。


「陽太、早くしなさい。一緒にコンビニまで行くぞ!」


 かくて制服から着替える間もなく、父さんのあとを慌てて追いかける。悠真に借りた本を読む時間をどう作るか考えつつ、父さんと一緒に家を出たのだった。

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