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第2話 ハネムーン

太陽が白亜の城壁を照らす。グラジオの第二王子アランと、ロベリアの姫バーベナの新居として建てられたバレンシア宮には、慌ただしく働く使用人たちの姿があった。


「バーベナ様のドレスはこのトランクにまとめて! 宝飾品は細心の注意を払って扱ってよ!」


メイド長の怒鳴り声と共に、荷物が次々と屋敷内から運び出され、馬車へと運び込まれていく。


「凄まじい量の荷物だね。でもほとんどは君のドレスでしょ。あんなに着るの? バーベナ」


夫婦の寝室の窓から顔を出したアラン王子ことアリシアは、隣にいる新妻に問いかける。


「俺は別に着たくねえんだけど。これもまた経済を回すための王族の役割だからさ」


銀の髪を片側で緩く束ねているバーベナ姫、改めバーベナ妃ことキリヤは、気だるげな顔で眼下の荷物たちを見ている。窓から見えないのをいいことに、椅子の上に片膝を立て、その上に顎をのせている。国民には到底見せられない姿だ。


「そうなの?」

「俺たちが服を仕立てれば、それは一つの流行を生む。類似の既製品が作られ、それが庶民向けにも売られたりする。これは贅沢じゃない。雇用を生み、民の間に金を回すことにもなるんだよ」


つん、と長い指先に鼻先を突かれる。


「勉強不足だな、王子サマ」

「んなっ」

「ところでさ、ずーっと気になってたんだけど」


ずい、と綺麗な顔がこちらに近づいてきて、アリシアは思わず後退った。


「なんで、二人きりなのにキリヤって呼んでくれないの?」


こちらが逃げているのにも関わらず、まるで草食動物を捕食しようとする肉食動物のように、キリヤはアリシアに向けて迫ってくる。


「いや、あの、だって! うっかり私がキリヤって呼んでいるところを誰かに見られたら、大変だし……」


「その言い訳は聞き飽きた」


ジリジリと追い詰められ、ついに背中が壁に当たる。直後、顔の両側に手を突かれた。これ以上は逃げられない。


「こうやって囁くような声なら、誰にも聞こえないだろ。ねえ、アリシア」


溢れんばかりの色気にあてられアリシアはパクパクと口を開閉する。


「そ、それは……」


「俺ばっか好きみたいで、寂しいじゃん。あんたは俺のこと好きじゃないの」


せつなげにそう言われて、胸の奥がキュッとする。いつもおちゃらけているのに、たまにこうして真剣な眼差しでいうのが、ずるい。


「だ、だ、だ、だって! キリヤはさ、女の子と付き合うの慣れてるのかもしれないけど! 私はこういうのなんかまだ……慣れないんだもん」

「なんだよその言い方、傷つくなぁ。俺が遊び人みたいじゃん」


むすっとした顔のキリヤは、眉間に皺を刻み、口を尖らせる。


「寝室は一緒でも、クッションで壁つくられるし、そっちにいくことは許してくれねぇし」

「う」

「スキンシップも人に見せる場面以外は避けられるだろ」

「うう……」

「最後にキスさせてくれたのいつだっけ? ってか、俺戻ってきてからしてなくね?」

「あの、その……もうその辺で勘弁して……」

「ねえ、俺もさ、十代の男なんだけど。我慢の限界ってもんがさ」


気づけば鼻が触れ合うほどにキリヤの顔が近づいてきていた。

この距離まで来られると、アメジストのような瞳から、目が離せない。


「ねえ、アリシア……」


「アラン様、バーベナ様」


外からドアをノックする音と共に、アラン王子付きのメイド、イブの声がする。


「はい! あっ、いっ、今出る! しばし待たれよ」

「なんだそのしどろもどろな応答は」


不機嫌にそう言いながらアリシアから離れたキリヤは、不貞腐れた様子でソファに身を沈めた。


「アラン様。お寛ぎ中失礼致します。お支度の時間でございます」


イブの言葉を合図に、二人の支度を手伝うメイドたちが入ってくる。


「もうそんな時間か。ではバーベナ、君は隣の衣装室へ——」


キリヤは視線だけこちらによこすと、ふん、と顔を背ける。


——ああもう、めんどくさいんだから……。


すっかりヘソを曲げたキリヤに歩み寄り、彼の左手に自分の手を重ねる。薬指には大きなバイオレットダイヤモンドのついた指輪が光っていた。


「愛しい我が妻。待ち侘びたハネムーンだ。私は君と過ごす夜が待ちきれない」


人前で言うために用意しておいたセリフを、キリヤに向かって言ってみる。

なんとか噛むことはなく、キザっぽく言い放ってみたが、ものすごく恥ずかしい。

最後の方は羞恥に負けて音量が小さくなってしまったが、聞こえてはいるはずだ。


「ぶ」


くくくく、と笑いを堪える声がする。


——笑いたいなら笑いなさいよ! こっちだって恥ずかしいんだからね!


だがこうでもしないと機嫌がなおらないのだ。厄介な男である。


「アラン様、私もあなたと過ごす夜を、楽しみにしていますわ」


輝くような笑顔をキリヤがアリシアに向ける。完全に姫モードだが、目がマジだ。


——ど、どうしよう。今夜こそは、覚悟を決めるべき……? いや、だって、仮初の夫婦なわけで、プロポーズはしてもらったと言っても、この状況で受け入れるのは……。


なんとなくモヤモヤした思いを抱えながら、キリヤをエスコートする。

すると彼は頬を寄せるふりをして、アリシアにささやいた。


「真面目な話、本物のアラン王子を見つけるまでは、マーブレの夜を満喫する暇なんかねーかもしんねーけどな」


そう小声で言うキリヤの言葉に、どこか安心してしまった自分がいる。


今回のハネムーンの目的地はマーブレ。

本物のアラン王子が囚われているとされる土地だ。


そしてこのハネムーンの本当の目的は、アラン王子の奪還。

そして、「アリシア」としての人生を取り戻すことなのだ。

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