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継承されし技 2

 次のステップに移るための試験が始まって、数日後の大晦日に至るまで。


 アリスは常に久子の動きや立ち位置を警戒していたが……何故か何も起きなかった。


 いつものように起きては食事をとり、道着に着替えては今までの通りの稽古をこなす毎日であった。


 だが同時にここでアリスの脳内は別の変化をしようとしていた。


 それは受け身の練習中でも常に目線を久子に向けるようになったのである。


 視界に入れられない状態でも神経を研ぎ澄ませ、足音に耳を済ませたり、久子の呼吸音からどこにいるかを把握しようとする。


 だがそれでも訳一か月の受け身の練習が功を奏したのか、久子の読み通り、脳内思考のほとんどを久子の立ち位置把握に費やしても受け身の形が崩れることは無かった。


 とはいうものの、久子がアリスに手を出さない理由は他にあった。


 普通に年越し準備が忙しくてそれどころでは無かったからだ。


 試験を開始してからアリスも手伝うようにはなったがそれでも、アリスという逸材の稽古の時間を削ってまでは手伝わせようとはしなかったため、家の大掃除や年越し恒例の門松設置等は全て一人で行っていたため、とりあえず年が明けるまでは手を出さなかったのである。


 そしてアリスが転生して何度目かの新年を迎えることになったのだが、ここでアリスは初めて結構寂しい年末を過ごすことになってしまった。


 明日から少し忙しいから早めに寝るという久子の指示で寝ることになってしまったからだ。


 だがどうか年越しの瞬間だけは友人と電話で通話していたいという希望が叶い、アリスは実家にいるサチとコウに電話し、体力的には何とかなるが精神的にきついなどの近況を報告し、談笑しながら(ここで初めて夏美が自衛隊に入ることを知った)年を越した。


 そして年を越して元旦の朝、アリスは久子が忙しいといった意味が理解できた。



「大塚さん、去年は誠にありがとうございました。本年もどうかよろしくお願いします」

「こちらこそ。いつでもお呼びくださればお伺いしますので」


 新年早々、大塚家にやってきたのは……制服を着た自衛官や警察関係者だった。


 全員、道場に通されると一人一人、久子に新年の挨拶をしていく。


 そしてアリスが気づいたのは、警察は分からなかったが、挨拶に来た自衛官はどの人も階級が結構上の人だったということだ。


 アリスの勘でこそあったが、恐らく駐屯地指令等の幹部クラスの人しかいない。


(階級的に結構上の人が皆師匠に頭を下げて挨拶してる……まじでどんな関係よ!)


 そこでアリスは挨拶を終えて急ぎ帰ろうとしている自衛官に話を聞いた。


 久子は元々自衛官であったがその後やめ、ここ……父親の道場を引き継いだのだという。


 また久子は格闘技能がとても優れており、自衛官を辞めた後も、現役自衛官や警察官が体術を学びにこの道場に訪れるという。


 それを知った上層部が正式に駐屯地へ格闘を教えるように講師の依頼をし、全国の駐屯地へ教えに行っているそうなのだ。


 そして何故かこの道場は自衛官や警察官専門の道場という噂が立ち、結果的にここに訪れるのはそういった仕事関係の人のみとなってしまったのである。


(ああ、今まで人の気配ないと思ってたけど……自衛官や警察官しか来てないし、他の人は来てないとすると……まあ人は来ないわな)


「アリス」

「へ?なんす……おあ!」


 全員への挨拶が終わったのだろうか、いつの間にか背後に立っていた久子は急にアリスの背中を掴むと大外刈りをするようにアリスを投げた。


 ダン!


 元旦、しかも大人数の警察官や自衛官の前で投げると思わなかったんだろう、アリスは少し虚を突かれたが、それでも稽古の結果が身を結んだのだろうか、体が自然と受け身を取り視線を久子から外さなかった。


「おお!」

「さすが」

「……へ?」


 久子のいきなりの暴挙に周りの人は驚くかと思いきや、感心するような表情をしたり、感嘆の声を上げて拍手するだけだ。


「ここに居るのは私の指導方法を知っている方のみだ。そして今はお前は私が指導しているのも知っているからな、これくらいで驚くことはしないよ」

「……ははなるほど?」

「この試験を開始して今日にいたるまで、何故お前に手を出さなかったのか……年末の準備で忙しいってこともあるが……もう一つ重要なことがあってな」

「重要な事?」

「この数日間、お前結構警戒してただろ?」

「そりゃあそうでしょ!」

「警戒されている中でやるような馬鹿は基本的に居ないよ。まあその警戒がよほど緩くて隙だらけならその限りじゃないが。お前はこの数日間、かなり気を張っていたはずだ、そこで新年あいさつで完全に気が緩んだろ?この状況でやるはずがないと……現にお前は人と喋っていた」

「……そっすね」

「私は昨日言ったな、今日は忙しいから早く寝ると、だが試験は免除するとは一言も言っていない現にお前は私の指示通り道着を着ている」

「気を抜いていたあたしを怒っているんですか?」

「は?ははは!むしろ逆だよ!あそこまで気を抜いていたのにも関わらず、お前は投げられ受け身を取った瞬間、視線をすぐさま私に合わせたろ?最低限体術を学ぶのに必要な基礎である受け身をちゃんと習得しているじゃないか!まだまだ教えることはあるがそれでも次のステップに進むための試験としては合格だ」

 久子から合格の一言が発せられると周りから拍手が巻き起こる。


「……ありがとうございます。……あの一つ質問が」

「なんだ?」

「この為にこの人呼んだんですか?見た限り皆さん結構階級上の方たちじゃ」

「そんなわけないだろ。皆さん、国防のため、治安の為に忙しい方たちだ。三が日終えたら忙しくなるから今のうちに挨拶に来ただけだよ……まあそれを利用させてもらいはしたが」

「まったく……久子さんのやることは毎回無茶ですね」

「ほんとほんと」

「はは……ははは」


 その後、久子の弟子であるアリスが龍の弟子であることが判明し、その場にいた者たちが今度はアリスに挨拶し直すと全員、急ぎ帰って行った。


 そして何とか試験を終えたアリスは一気に気が抜けると道場の床にへたり込んでしまった。


「……久子さんすごいなあ……あたしを試験するためなら自衛隊や警察のお偉いさんまで利用するんだもん。……でも何とか試験はクリアできたし……集中だな!」

「あ、アリス言い忘れてたが」


 お見送りを終えた久子が道場に戻って来る。


「何すか」

「別に試験は合格で明日から次のステップだが……前も言ったが、お前の将来就く役職の性質上、いつ狙われるか分からないんだ。次のステップに進んでもお前を急襲するのは続行するからな」


 予想外の情報に顔が引きつった。


「……えあ゛あ゛あ゛~!」


 声にならない悲鳴が口から洩れ、頭を抱えその場でのたうち回る。


「まあ一応、これまで通り食事と就寝中は免除してやる。安心しろ」

「お゛お゛お゛あ゛あ゛あ゛!マジかよおおお!」


(こんなん……PTSDになるってええええええ!)


 不敵な笑みをしながらその場を去る久子に対してアリスはこれから待ち受ける地獄を想像しひたすら道場の床でのたうち回っていた。


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