「んーん。いい匂いだ」
朝食が出来上がる頃、ようやくシシリーさんが起きてくる。
日はすっかり上っていて、もしかすると昼の方が近いのではないかという時間だ。
当たり前かもしれないけど朝食は家主であるシシリーさんに合わせて作られる。おかげで俺はもうお腹ペコペコだった。
「おおー。ごはんと焼き魚だ。嬉しい」
シシリーさんは寝ぐせでぼさぼさの髪を特に気にする様子もなく用意された朝食の前に座った。
その隣にリアム。向かいに俺が座る。
短い時間しか顔を合わせていないが、なんとなくわかる。
この人はきっと戦闘や剣術以外のことはからっきしなのだろう。
炊事や洗濯をまだ幼いリアムが完全にこなしているのはそうしないと彼女が生きていけないからだ。
「なんだか今日は豪華だね。なんかあった?」
シシリーさんがそう尋ねるとリアムは俯いて少し顔を赤くする。
「別に……レイトが手伝ってくれたから」
リアムが答えるとシシリーさんは優しく微笑んで俺の頭を撫でる。
「うーん。ありがとねレイト」
前の世界では三十四のおっさん。この世界でも成人した大人なのだから子ども扱いするのはやめてほしい。そう思いつつも俺の顔はリアムと同じように赤くなっているだろう。
シシリーさんは俺の次にリアムの頭を撫でて「ありがとね」と言っている。
正直、彼女は大人としてだらしがないと思う。
いくらなんでも子供に身の回りの世話をすべて任すとは……。
しかし、それは特に俺が口をはさむ問題ではないとも思った。シシリーさんとリアムに俺の知らない関係値があるし、彼女の世話を焼くリアムが俺の目には幸せそうに見えたからだ。
♢
朝食……いや、昼食か? どちらでもいいがとにかく食事を終えるとようやく本格的な修行が始まった。家にはシシリーさんと俺の二人だけ。リアムはいない。
彼は昼から夕方までは文字を学ぶための学問塾、学校のようなところに通っているらしい。
余談だが、俺は一応この世界の文字を書けるし読める。
幼い頃、アーリーが読み書きを教えてくれていた記憶がレイトのものとして残っているからだ。
「レイト、右手が下がりすぎ。左足も違う」
シシリーさんの激が飛ぶ。彼女の構える基本の型を見よう見まねで再現し、間違っているところを彼女が正す。
そうやって何度も何度も俺の身体に型を刷り込んでいく。
一通りその作業が終わったら次はシシリーさんとの模擬戦だ。
当然だが、型を覚えるのとそれを戦いの中で実践するのは別の話だ。
相手は思い通りには動かないし、一度型が崩れると戻すのに時間がかかる。
それでも続けるうちに大分様になって来たと思う。
「ダメだ……もう限界」
俺がそう言うとシシリーさんは地面に仰向けになる俺に煙草を投げる。俺はそれに火をつけて一服する。
ただの煙草休憩じゃない。これも修行のサイクルに含まれているのだ。
模擬戦の時、シシリーさんは割と容赦なく俺を叩きのめす。
俺はそれに我慢しながら痛みが限界に達するまで模擬戦を続ける。
限界が来たら煙草を吸って回復。模擬戦の反省をしつつまた型の復習から始めるという流れだ。
「ついでにどういう傷がどの程度まで治るのかも再現しておこう」
シシリーさんは淡々と怖いことを言った。
でも大事なことだ。試してみてわかったのは切り傷や打撲といった外傷は治るが疲労などは回復しないこと。
あと、致命傷は直せるのかどうかは試していない。傷の大小に関わらず煙草一本で綺麗に治るのでもしかすると胸を貫かれても煙草さえ吸えれば大丈夫なのかもしれないが、さすがに怖くて試せない。
「致命傷を負った時どうなるか、よりも負わないようにする方が大事」
とシシリーさんも言っていた。
修行は暗くなるまで続き、その頃には俺は動けなくなっていた。
怪我は治っても疲労の限界がある。
良い匂いがし始めたが、食欲がない。いつの間にかリアムが帰ってきていて夕食を作り始めているらしい。
「夜は手伝えなかった」そんなことを思いながら俺は煙草を吸った。
修行の終わりの煙草は美味い。
修行中に何度も吸ったが「今日は終わり」というシシリーさんの言葉を聞いた後は格別だ。
回復能力は持っていないはずで、俺よりも動いているはずのシシリーさんはケロッとしている。正直化け物だと思う。
「一日でレイトは随分強くなった」
暗くなった空を見上げながら煙草を吸っているとシシリーさんが言った。
本当にそうなんだろうか? ずっとシシリーさんにぼこぼこにされていたから実感が湧かない。
「普通の人は怪我をしたらしばらく鍛えられない。だから怪我をするギリギリのところを加減しないといけない。でもレイトはその心配がないからある程度思いっきりやれる。一回の模擬戦で得られる経験値が違うから成長も早い」
褒められているのだろうか。だとしたら嬉しいが、俺はもっと強くなりたい。
シシリーさんにぶっ飛ばされるうちにそう思うようになった。彼女の強さが格好良かったのだ。
「シシリーさん、レイト。夕飯出来たけど」
リアムが呼びに来る心配そうな顔つき……いや俺のボロボロさ加減に引いてるのか。
「レイト、立てる?」
シシリーさんに聞かれ俺は空元気で笑う。誰も残らなかったというリアムの話を思い出す。
情けないところは見せられない。
震える手で地面を支え、ほとんど意地だけで俺は立ち上がった。