魔界に来てしまってもう半年が過ぎた。
5兄弟たちとの関係はまあまあ良好。
半年間で結べた契約は3つ。
人間界へ帰るために必要な契約はあと2つだ。
ヘンリーとクラウス、この2人と契約を結ばなければならないのだが、未だにその機会が訪れることはなかった。
そんなある日のこと。
「じゃあよろしくね、咲良。半分は期待しているから」
私は私の目の前で、相変わらず人をバカにしたように笑うギャレットに呼ばれ、書庫へ来ていた。
「はいはい」
相変わらずなギャレットに呆れたように返事をし、ギャレットと書庫内で別れる。
ここへ私がギャレットに呼び出された理由。それはギャレットによるある願いの為だった。
先程私の小屋に現れ、
「新作のゲームをするのに俺は忙しい。学院の宿題なんかに時間を取られる訳にはいない。だから学院の宿題を効率よく速攻で終わらせる為の資料集めをするから手伝って」
と、ギャレットに捲し立てるように言われ、私は今ここにいる。
資料集めは人数が多ければ多いほど効率がいい。手分けをして集めればすぐに終わるはずだ。
そういうことでギャレットと私は書庫に着いてすぐに別行動を取ることになった。
「…」
ギャレットから渡されたメモを見つめ、集めなければならない本を確認する。
毒、魔法、術式、人間界…など集めなければならない本の種類の幅は広く、数も多い。
これを1人で集めるのは骨が折れるだろう。
「…」
「…」
本棚をくまなく、見落としのないように見ていると本棚の後ろからクラウスが現れた。
何故か床に這いつくばっているクラウスを思わず無言で凝視してしまう。
…
見なかったことにした方がいいのだろうか?
クラウスはいつものように甘い笑みを浮かべているが、私に見られてしまったと焦っているようにも見えた。
「…やあ、咲良」
無視をしてしまった方がいいのでは、と思っているとクラウスは甘い笑みのまま、何事もなかったようにその場から立った。
…無理があるが、こちらも大人。
とりあえずは合わせるか。
「…どうも。お昼寝?」
無理があったかも。
自分のアドリブ力のなさに頭を抱える。
これならいっそ何も言わなかった方がよかったのでは。
「…んー、違うかな。咲良、ここで僕がしていたこと誰にも言わないでくれる?」
「…まあ、うん」
クラウスが嫌なら誰にも言うつもりはないけどさ。
少しだけ気まずそうに私を見つめるクラウスに私は少し歯切れが悪かったもものクラウスの要望を飲んだ。
「約束だよ?特にヘンリー辺りには勘付かれるのもなしだから」
「…はあ」
真剣な様子のクラウスを見てますます疑問が湧く。
書庫内匍匐前進ってそこまで黙って欲しいことなのだろうか?
カッコ悪い姿を誰かに想像されるのは嫌だとか?
しかし今のクラウスからは匍匐前進に対する恥があるようには見えない。
何かを隠したがっているように見える。
本人も嫌がっているし、無理して聞くことはないか。
今見たものをさっさと忘れようと私は本棚に再び視線を戻した。
変な空気のままクラウスと別れ、本探しを再開して数分。
ギャレットに頼まれた本は未だに一冊も見つからない。
ずっと本の背表紙だけ見ているので目がしばしばしてきた。
「咲良?」
そんな私にヘンリーが声をかけてきた。
先程何故かクラウスが警戒していたヘンリーのご登場だ。
クラウス、ヘンリー今書庫にいるけど大丈夫?
匍匐前進バレるよ。
「ヘンリー。どうしたの?」
私はヘンリーに声をかけられたのでヘンリーの方へと体を向けた。
するとそこには感情の読めない冷たい笑顔を浮かべたヘンリーが立っていた。
胡散臭い笑顔だ。
「…いや、書庫内で何か変わったことはなかったか?」
ありました。
「…特にはないかな?何かあったの?」
ヘンリーの言葉によってまず頭に浮かんだのはクラウスの匍匐前進だ。
だがクラウスにあのことは口止めされており、特にヘンリーには勘付かれることさえもなしだと言われていたので、私は約束通りクラウスのことは黙っておくことにした。
「そうか。この書庫内のどこかが破壊された気配を察知してな。兄弟の内の誰かが悪巧みをしている可能性があるから見に来ていたところだ」
「…へぇ」
小さくため息をついているヘンリーに適当な相槌を打つ。
クラウスのあの匍匐前進はヘンリーを悩ませる悪巧みの何かである可能性が高そうだ。
悪巧みの内容が少し気になったのでヘンリーに「例えばどんな?」と何となく聞いてみた。
するとヘンリーは各兄弟たちの過去の悪巧みについて話始めた。
「まずはエドガー。アイツは我が家の書庫にある貴重な書物を換金してギャンブルに注ぎ込もうとした。以来書庫の全書物には俺特製の絶対に換金できない魔法をかけている」
「…」
「ギャレットは本を大事にするし、バッカスはそもそも本に興味がないので特には問題ない。だがエドガーと同じくらい注意が必要なのがクラウスだ」
「…」
「クラウスは以前、家に秘密の抜け道を作り、女を10人単位で勝手に我が家に入れ、連日、女たちと遊んでいたことがあった。あれは野放しにしていると家で好き放題するから厄介なんだ」
困ったように主にエドガーとクラウスの過去の悪巧みを話すヘンリーの話をただ黙って聞いていてわかったことがある。
あのクラウスの謎の匍匐前進はおそらく女たちを家へ招き入れる為の抜け道が関係しているのだろう。
「…大変だね」
「まあ、手に余る兄弟だが慣れてはいる。何かあればすぐに教えてくれて」
「わかった」
私の返事を聞くなり、ヘンリーはさっさと私の前から消えた。
悪巧みを考えている兄弟の誰かを探しに行くのだろう。
クラウス、強く生きろ。
ヘンリーと別れて次に私の目の前に現れたのはバッカスだった。
「いた、咲良。ずっと探してた」
少しだけ不満そうにバッカスが私を見つめている。
普通の女なら「え?私をずっと探していたの?寂しかったってこと?やだ!可愛い」となっていてもおかしくない展開だ。
だが私はそうではないことを知っているので何も思わない。
まさに残念な美形とは彼のことである。
「…お腹空いたの?」
「ああ。さすが咲良。何も言わなくてもわかってくれるんだな。やっぱり咲良はいいな」
いつも無表情なバッカスが少しだけ顔を綻ばせる。
不覚にもそんなあまり見慣れないバッカスの笑顔にドキンと心臓が跳ねてしまった。
悔しい。
バッカスに乙女にさせられるなんて。
「帰ろ」
「今は無理」
「どうしてもか?」
「…どうしても」
まるで捨てられた子犬のような目でバッカスに見つめられて心が痛くなる。
心を痛める必要なんてどこにもないはずなのに、なんだこの痛みは。
ずるいぞ、バッカス。ずるいぞ、美形。
「…じゃあ待ってる」
「…」
なかなか強くバッカスを跳ね除けれない私にバッカスは無表情でそう言った。
「待ってる」と言った時のバッカスは本当にずっと待つ。
なので私はバッカスにもお願いして一緒に本探しをしてもらうことにした。
「ん?何これ」
本棚を見続けているとある奇妙な背表紙の本が目に入り、私の視線はそこで止まった。
背表紙だけでも見るからに禍々しい見た目のそれは随分古い革のような材質で作られており、ゴツゴツの鎖が何重にも巻き付けられている。
何か悪いものでも封印されているようなその見た目が私の目を引いた。
思わず本棚からその本を取り出す。
「desire…欲望?」
表紙には欲望を意味する英語、desireとおそらく書かれていた。
年季によるものなのか字が薄くなっていた為、自信はない。
「よーう!咲良!」
本をまじまじと見つめているとまさに欲望の塊であるエドガーが私の前に現れた。
「探したぜ!咲良!何で小屋にいねぇんだよ!」
にこにこと笑いながら私に擦り寄るエドガーに嫌な予感がする。
こんな態度のエドガーは大体あることを私にせがむからだ。
「咲良様はバイト頑張っているだろ?だから金あるよなぁ?」
「…まぁ」
「じゃあ、その金俺に貸してくれ。ちゃーんと倍にして返すからよ?」
ほら見たことか。
キラキラの美しい顔で甘えてくるエドガーを白い目で見る。
「エドガーに貸すためにお金稼いでるんじゃないの。前もそう言ってお金返してくれなかったじゃん」
「その分も返すから。ね?咲良」
顔だけキラキラしてますね、エドガーよ。
「ねぇ!さ・く・ら・さ・ま!」
「信用できません!せめて前貸したお金を返して出直して来なさい!」
「俺はお前の契約悪魔だぞ!そんな特別な俺からの願いなんだぞ!?聞けよ!」
「きーかーなーい!」
絶対にエドガーからの願いを聞かない姿勢を貫く私にエドガーも絶対に私に願いを聞かせようと諦めない姿勢を貫く。
私たちの話はいつまで経っても平行線で終わりが見えない。
「うるさいんだけど。本は見つかったの?」
そこへ何事かとギャレットが、
「静かにしろ。ここは書庫だぞ」
冷たい笑顔で怒っている様子のヘンリーが、
「なになにー?何事?」
野次馬精神でこちらに顔を覗かせたクラウスが現れた。
「…」
気がつけば本探しをやめてこちらを黙って見つめているバッカスを含め、この場に食堂以外で珍しく5兄弟全員が集合していた。
「咲良が俺の願いを聞かねぇんだよ!」
まるで私が悪いと言いたげに全員にそう主張した後、エドガーが私の両肩を持ってぐらぐらと揺らす。
「金を渡せぇ!」と何度も何度もエドガーに揺さぶられるが私も態度を変えない。
そんな時だった。
「待て!咲良が持っているその本は…」
ヘンリーが急に大きな声を出す。
それに驚いてエドガーの手が止まったのと私の手から禍々しい本が滑り落ちたのは同時だった。
「あぁ!?」
落ちていく本をギャレットがとんでもなく驚いた表情で見つめている。
あの本が一体なんだというのだろうか。
そう疑問に思っていると本に巻きついていたはずの鎖がするりと解け、床に落ち、ぱかりと本が開いた。
本からパァァァァ!と前が見えなくなるほどの光が放たれ、この辺り全てを支配する。
「え!?ええ!?」
一体何が起きているの!?
「咲良!」
訳がわからず混乱していると私の側にいたエドガーが必死に私の名前を呼び、私を抱きしめた。