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2-9

「今日はありがとう柚臣くん。すっごく楽しかった」

 駅の入り口まできたところで、市道紫帆がぺこっと頭を下げた。

 結局、彼女がどうしてそんなにもヒーローに執着するのか、よく分からなかった。幼いころから慣れ親しんだものとはいえ、この歳までこんな風に想いを抱き続けるなんて、正直ちょっと、いや、かなり変わってる。

「あぁ、まぁ僕の方こそ……楽しかった、と思う。たぶん」

 僕の歯切れの悪い返事に市道紫帆は嬉しそうに微笑む。

 とりあえず分かったことと言えば、彼女は良く笑うし、距離を詰めることになんら躊躇いがないということくらい。

 きっと、あの林先輩と遊んでいたときも、同じような感じだったのだろう。そりゃ勘違いされるわけだ。

「でもあれだ。あのドーナツとか、観覧車とか、なんかこう、無邪気に距離を詰めのは、やめた方がいいっていうか、気を付けた方がいいと思う。その、相手に勘違いされる」

 親切心からの警告に対し、市道紫帆は「え?」と言って目を丸くした。

 それから警告の意味を察したのか、顔を伏せてきゅっとバッグを握りしめる。

 余計なお世話だったのだろうか。それとも、本当にそんな意図はなかったのだろうか。

 もしそんなつもりはなかったとしたら、僕の言葉は彼女を傷つけたことになる。とはいえ、これ以上被害者を出さないためにも、必要なことだ。

「……ないよ」

「え?」

 絞り出すかのような微かな声に、僕は顔を傾けて覗き込む。

 すると、さっきまで下を向いていた彼女が、パッと顔をあげた。

「私、あんなこと誰にでもやらないもん」

「……それって」

「柚臣くんとは、ヒーローのこととか関係なく、仲良くなりたかったから……だから」

 瞳を揺らしながら訴える市道紫帆。待てよ、それってつまり、ああいうアクションを、諸々全部、計算してやってたっていうのか。

『あんな人前で、しかも自分の親がいる前でお前にキスをしたんだ。一目惚れとか、気まぐれとか、そんなことじゃなくて、ちゃんとした理由があるはずだよ。理性を持って、あの子はお前にキスをした。なぜそうしたのか、お前はそれを、ちゃんと知っておくべきだ』

 父の言葉が再び思い浮かぶ。あの言葉を信じるなら、彼女は今回のことも、理性を持ってやっていて、それは、純粋に僕と仲良くなりたいから。

「紫帆ね、柚臣くんといるとなんかこう楽っていうか、楽しい。急に落ちて静かになっても、柚臣くんはどうしたのって聞いてこないし」

「……えっと、聞いた方が良かった?」

 フルフルと首を横に振る市道紫帆。果たして今日のやりとりでどこに『急に落ちて静かになる瞬間』があったのだろう。まぁ楽しそうだなとは思ったけど。

 やや困惑しながら彼女のメンタルを心配していると、不意に、向こうが近づいてきた。

 ほぼゼロ距離の状態で、彼女が僕の手に触れる。

 そして、遠慮がちに俯いたまま、人差し指と中指だけをきゅっと握ってきた。

「もっと、柚臣くんと一緒にいたいな……」

 ぽそりと呟かれた言葉に僕はグッと息を詰まらせる。

 一緒にいたいってつまりそういう、いやその、直接的なふれあいのあれこれじゃなくて、もっと心の距離を縮めるというか、要するに僕と付き合いたいみたいなこと――

「キャアァッ!」

 どこかから聴こえた叫び声に意識が引っ張られた。

 誰の声なのか確認しようとしたところで、市道紫帆が驚いた表情をしていた。少し上体を傾けて、僕の後ろを覗き込むようにしている。

 彼女の視線の先、振り向いてみるとそこにはスケートボードに乗った黒マスクの男と、しりもちをついて倒れている小柄な年配の女性がいた。

「だれかぁ! ひったくり!」

 トラブルだと認識した瞬間、年配の女性が叫ぶ。

 人通りが多い駅前でひったくりなんて、なんて治安の悪い街だ。それとも、人通りが多いから起きたのか。

 考えている間にひったくり犯、黒マスクの男がこちらへと近づいてくる。

 女性の叫びもむなしく、通行人はスケートボードに乗って逃げる黒マスクの男を捕まえようとしない。みんな怖がってその場から離れるだけだ。

 仕方がない。関わればなにをされるか分かったものじゃないだろう。

 僕だってもう少し人がいなければ『力』を使って捕まえただろうけど――

「止まりなさい!」

 みんなと同じように離れようとしたところで、市道紫帆が叫んだ。

 僕の脇をすり抜けて、こちらへと近づいてくる黒マスクの男の前へ立ちはだかる。

「ちょっ、なにやって」

「どけっ!」

 僕の声が届く前に、黒マスクの男が吠えた。

 行く手を塞ごうと前に出た市道紫帆を無理やり突き飛ばす。

 宙へ浮く彼女の身体。僕は止める勢いそのままに倒れようとする市道紫帆を受け止める。

「大丈夫か! なんであんな無茶を」

「私のことはいいから! 柚臣くんはあの人を捕まえて!」

 僕の腕の中にいる彼女が叫ぶ。強い意志が込められたその瞳に僕は言葉を失い、ゆっくりと手を離す。

「追って! 早く!」

 市道紫帆に急き立てられ、僕はその場から動き出す。

 スケートボードで逃げる黒マスクの男の背中を追いかける。

 通行人がビビッてどいてくれるおかげで、道が開ける。駅前の横断歩道が赤になるが、相手も僕も構わず進む。

 甲高いクラクションを鳴らしながら乗用車が突っ込んでくる。黒マスクの男を突き飛ばす寸前で止まる。

 車を避けて走ったら遠回りになる。追いつけない。目の前で再び動き出そうとする車のボンネットに飛び乗り、そのまま蹴って前へ跳ぶ。

 前転しながらの着地。その勢いのまま再び走り、横断歩道を抜ける。

「ついてくんな! くそっ!」

 黒マスクの男が後ろを振り向き、さらに加速する。駅前を出て人通りの少ない道へと入っていく。

 もう少しだ。グッと足に力を込めて動かし、黒マスクの男の後を追う。

 オフィスビルの通りへ入ったところで、黒マスクの男がまた横断歩道を渡る。

 これが良くなかった。すでに青信号が点滅していた歩道は僕が行こうとした瞬間赤になってしまう。道路へ視線をやると、すでに待っている車が何台もあって、到底抜けられるとは思えない。

「くそっ、このままじゃ……」

 黒マスクの男は左に曲がり、僕から逃げようとする。

 逃げ切られる前に行動しなければ。バッと左を向くと歩道橋が見えた。

 あれだ。あれを使うしかない。全力疾走で歩道橋に着き、2段飛ばしで階段を駆け上がる。

 歩道橋の中央までいったところで、黒マスクの男が振り返った。

 ちょうど目が合って、奴がにやっと笑う。逃げ切れると確信したようだ。

 なめやがって、逃がすかよ。僕は後ろを向いて下の道路を確認し、そして、タイミングを見計らって歩道橋のど真ん中で飛び降りた。

 地面に着くよりも前にトラックが現れる。アルミパネルで造られた荷台に着地し、一気に黒マスクの男を追い越す。

 さらに荷台の上を走り、隣を走っているバンへと飛び移る。走る車の上で黒マスクの男を睨み、歩道へと跳んで降り立った。

 転がるように着地して、黒マスクの男の進行方向をふさぐ。

 突如僕が目の前に現れたことで、男は踵でブレーキをかけるようにして立ち止まる。さらにそこから方向転換し、すぐにビルとビルの間の路地へ男が姿を消す。僕も同じく路地へ入ると今まさに男が地面を蹴って加速しようとしていた。

 今しかない。右手を突き出して視線はスケートボードへ集中。黒マスクの男が地面を蹴ったその瞬間に、超能力を仕掛ける。

 スケートボードだけがスロウになる。乗っていた男は地面を蹴るが、スケートボードはゆっくりと進むだけで身体だけが前へと吹きとんだ。

 そのまま走って追いつき、スケートボードを蹴る。ゆっくりと進む方向を変え、超能力の効果が切れた瞬間横方向へ勢いよく吹っ飛ぶ。

 そして、痛みに呻いている男の腹を蹴り、上からのしかかって身体を押さえ込む。腕と足、ついでに顔も硬い地面へ押し付けた。

「くそっ! なんなんだてめぇ! 離せっ! 関係ねぇだろ!」

 黒マスクの男が横になった状態で叫ぶ。

 僕は微塵も力を緩めず、男を睨みながら言い放った。

「運が悪かったな。僕も、お前も」

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