水門に到着した俺たちは、衝撃を受けた。
錆びついた鎖は機能せず、歯車は外れ、水門は開きっぱなし。下流のキャンプ場も、ママー牧場も、時間の問題だ!
――いったい誰だよ、あの水門を開けてしまったのは!
本来水門が閉まっていれば、横の細い部分からだけ下に水が流れるようになっているのでこの川が氾濫することはない。
多分先人の知恵で、ここに乾期の間に水門を作る事で水害を避けようとしたのだろう。
水門に到着した俺達の目に飛び込んできたのは――、轟音とともに激しくうねる川だった。 濁った水は岩にぶつかって白く泡立ち、周囲の木々を巻き込まんとするように渦を巻いている。
「……っ! やべえ、これ……もうすぐ下流が……!」
このまま水の勢いが止まらなければ、下にあるキャンプ場は押し流され、さらにその先のママー牧場も水浸しになるのは時間の問題だった。
俺達は急いで水門の構造を確認する。
だが、そこには信じられない光景が広がっていた。
水門の鎖は錆びついて真っ赤に変色し、歯車を巻く上部のギア部分は、見るも無惨に外れていた。 まるで何かがわざと破壊したかのように。
これではいくら鎖を引いても水門の扉は閉まらない。空しくガシャガシャと音を立てるだけだった。
――誰だよ、あんなもん開けたのは! ていうか、どうやって開けたんだ!?
本来この水門は、手動でも閉めれば中央の流れをせき止めて、横の細い溝からだけ水を流せるように設計されている。 それなら、洪水どころかちょっとした増水程度で済むはずだった。 乾期に備えて先人たちが工夫し、この川の暴れ水に対抗するために作った知恵の結晶だ。
それが、今や全く機能していない――いや、何者かに「無効化」されたかのように見える。
「……これ、ただの事故じゃない。誰かが意図的に壊した可能性もあるぞ」
誰かが開けたのか? それとも、何か――人ならざる“何か”が? 激流の音が、まるで笑っているように聞こえた。
俺達が歯車を見上げている間にも、水はどんどん溢れ、川の轟音はますます激しくなる。 水門の上部まで人がよじ登るには、滑りやすい苔だらけの鎖を伝うしかない。しかも歯車部分の調整には、小柄で軽くて器用なやつでないと……。
「アカンなー……あそこに人が手ぇ入れるの、無理やで」
「この鎖をよじ登って、あの上まで行けるサイズの子やないと……」
そして、ふと視線を落とす。
「……せや、いたずらっ子でしばらくお仕置きに暗いとこ、しまってたけど、この子に頼もう」
その手の中にいたのは、稲荷コン太郎――きつねの式神。
手のひらに乗る大きさで、もふもふの尻尾を持ったキツネ面をかぶった狐耳の生えた小坊主の姿だ。
ふだんはお菓子をねだったり、ぴょこぴょこ走り回ったりしている小さな存在だが、今は違う。満生さんの眼差しを受けて、きゅっと耳を立て、目を輝かせている。
「頼んだで、稲荷コン太郎!」
「きゅいっ! まかせるなのだっ!」
小さな鳴き声とともに、コン太郎の背から、ふわりと光の尾が広がる。 神気をまとい、まるで火の玉のように鎖を駆け登っていく姿は――まさに小さなヒーロー。
「うおっ、早ぇ……!」
「見て、アレ……めっちゃキツネやけど、めっちゃスゴない!?」
水門の上部、破損した歯車の周囲にたどり着いたコン太郎は、小さな前脚で器用に金具を引っ掛け、錆びついた鎖を歯車の機構の隙間に押し込んだ。
「できたのだ、これで引っ張れるなのだ」
ギィッ……ギギギ……ググググォオオッ!!
一瞬、軋んだ後、封じられていた古い機構が、ギィ……ギギギ……と軋みを上げながら動き始める。
「成功か!? 閉まれ、水門っ!」
だが、水門は固く、押し寄せる水の勢いには勝てず、空しく水が流れ続けていた。
コン太郎が歯車を直してくれたことで、水門は再び稼働する状態になった。だが……。
「……ちょ、重すぎるっ!」
「ぬうう……ワシの霊力では、これ以上は……!」
「だめだ、びくともしない……!」
水門の鎖は古く、錆びつき、なおかつ川の水圧を受けて重く硬くなっていた。俺たち三人――満生さん、
このままでは、再び川が溢れてしまう!
「……こりゃ鵺を呼ぶしかあらへんな、頼んだで、ご先祖様!」「まったく、都合のいい時だけ呼び出すでないでおじゃる、
「わーったわ、今度ちゃんとしたメシ用意するから力貸してんか」
満生さんと傲満さんが力を合わせると、空を裂くような風が吹き、あの羽の生えた子ザルの作造が――小さな体が一瞬で数メートル級の巨大妖怪鵺へと変貌した。
「ふぉおおぉぉぉおおおおおっ!! 久々に暴れられそうじゃのぉぉぉぉお!!」
「じいちゃん、頼む! 鎖を引っ張ってくれ!!」
「おうよッ、任しとけ!! ――それッ!!」
鵺の姿のじいちゃんが巨腕で鎖を握ると、みしみしと音を立てて水門がじわりと動き始めた。
だが――
「まだ足りねぇ!? くっそ、もう一押し……!」
「ほな、ダメ押しと行くで!! 頼んだで、鉄腕将軍ゴブラン!」
――ゴブラン将軍、降臨!!
「主、なにとぞご命令を! このゴブラン、どのような任務も成し遂げて見せましょう!」
「よっしゃ、ほな……そこの鎖を鵺のじいちゃんと一緒に引っ張ってんか、あの水門閉じるんや」
「御意! では、我が力を見せようぞ! ヌォオオオ!!!」
黒甲冑に巨大な両手の式神・ゴブラン将軍は、その持てる力を発揮し、鵺の姿のじいちゃんと力を合わせて濁流の押し寄せる水門の鎖を引っ張り、強引に閉じる事が出来た。
鎖が千切れてしまわないか不安だったが、鎖は軋むだけで済んだのが不幸中の幸いだと言えた。
ごうっ……!!
最後のひと押しで、ついに水門がガッシャンと閉じた。
その瞬間、川の流れが制御され、暴れ狂っていた水が一気に収束していく。
「ぬう、おぬし中々やるの、わしが生きておったならぜひ一緒に仕事したかったわい」
「……作造殿、我こそ力添え、感謝する」
鵺の姿のじいちゃんとゴブラン将軍、二人は同じ大仕事をやり遂げた同士、お互いを労っていた。
「……やった……! 水、引いていくぞ!!」
「ふう、危なかったのじゃ……。また満生の式神に感謝じゃのう」
「ぷはーっ、汗だくやけど、これはビールがうまいやつやなっ! 後でガンガン飲むでぇ」
皆が胸をなでおろす中、俺は思った。
――やっぱり、俺たちは一人じゃない。人間も、霊も、式神も。こうして一緒にいることで、どんな怪異も乗り越えていける。
その時、流れる川の中から大きな亀が姿を現した。
「人間に妖よ、よくやってくれた。我は天之龍沼命。この地に根付く龍神じゃ。此度の事、礼を言わせてもらおう」
え? この亀って……キャンプ場で見かけた人の言葉を話す不思議な亀だよな。
でも亀なのに龍って……どうなってるんだ?
「……お前たち、人と妖と式神が力を合わせて成し遂げたこと、誠に見事じゃ。礼として、この地の主である我が、下流まで送り届けよう。水の上を渡るがよい。我が背に乗れば、無事にたどり着けようぞ」
龍神が甲羅を少し傾け、俺たちを乗せるよう促す。
だが、俺たちは顔を見合わせ、一歩前に出た。
「ありがとう。でも……せっかくだから、もうひとつだけ、お願いがあるんだ」
「ふむ?」
「藤原式揚水機、あれって……まだ動かせないかな?」
「……無茶なことをするものじゃな」
龍神は一瞬だけ目を細めたが、すぐに静かに笑った。
「なるほど、まだ“本来の流れ”を取り戻すつもりか。よかろう、そこまでの覚悟を持つ者ならば。我が、あの“藤原の知恵”の元へお前たちを導こう。式神を揃え、力を結集するがよい――」
そう言うと、龍神の背に神気が宿り、水面が静かに動き始めた。