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第9話 不協和音



 ヤコブとヨハネが噴水前に駆け付けると、母親に抱かれた十歳くらいの少年が、苦しそうに呻きながらジタバタと暴れていた。


「大丈夫ですか!」

「あっ。使徒の……! この子が、急に叫び声を上げて暴れ出して……。これって……」


 母親は薄々察しているようで、不安な表情で助けを求めた。


「息子さんは、悪魔に憑依されてます。まもなく悪魔が出現するので、息子さんは僕たちに任せていったん避難して下さい」

「大丈夫ですよね?」

「任せてください」


 息子を心配し酷く憂う母親に対してヨハネは自信満々に言い切ると、男の子の妹を連れて母親は離れて行った。

 人払いもしたところで戦闘領域レギオン・シュラハトを展開した。少年は地面に転がり悲しそうに呻いているが、まだ悪魔は出て来そうにない。なのでヨハネは、今のうちにヤコブの体調を確認する。


「ヤコブ。お前、大丈夫か?」

「何が」

「誤魔化すな。池で撮影を始めた時から、また様子がおかしいぞ。体調悪いなら……」

「なんのことだよ。俺はいたって元気だぞ」


 再三の不調を指摘するヨハネの言葉を、ヤコブはまた平静を装って退けた。強がり続ける態度に、ヨハネは眉頭を少し寄せる。


「て言うか。子供に憑依する悪魔の相手って、何気に初めてだな」

「ああ。大人と違う対処法を考えた方がいいのかな……」


 初めてのパターンに戸惑っていたそこへ、アルバイト中のペトロと遊びに行っていたシモンも駆け付けた。


「悪魔はまだ出て来てないんだね」

「友達を放ったらかしていいのか、シモン?」

「全然大丈夫。悪魔倒しに行って来るって言ったら、応援して見送ってくれたから」


 付き合いが悪いとわざとハブられたりしそうだが、シモンの友達はちゃんと理解をしてくれている。「類は友を呼ぶ」とは、こういうことだ。


「ところで。子供に憑いてる悪魔でも、同じやり方でいいのか?」


 ペトロもこのパターンは初めましてなので、ヨハネに訊いた。


「それが、どうしようかってところなんだ。このケースは初めてで、様子を見ながらがいいと思う」

「いつものように戦っちゃダメなのか?」

「他の悪魔同様に凶暴だとは思うけど、いつも通りのやり方で負担がどのくらい掛かるかだな。子供だから、そのへんがちょっと心配だ」

「いつもなら、ある程度成長した人だけど、身体的にも精神的にも未熟な子供だと、戦闘中の負荷に加えて深層潜入の負担も考えた方がよさそうだよね」


 まだ幼い子供の場合でも祓魔の方法は同じだが、いつもとは違い手際のよさが求められる。後遺症が残ることはないが、苦しむ少年を一秒でも早く助けるという目的は、いつもと変わらない。


「じゃあ。ちゃちゃっとやっちゃった方がこの子のため、ってことか」


「ゔゔゔ……っ」相談を終えた時、少年の様子が変わってきた。


「来るぞ!」


「あ"あ"あ"……っ!」少年の身体から黒い霧が噴き出し、悪魔を形作った。


「オ&@¢ァッ!」

「いつもの個体より小さいね」

「繋がってる鎖も、そんなに頑丈そうじゃない」

「一発、軽く撃ち込んで、大丈夫そうだったら拘束してみるか」


 ヨハネの提案で、手探りで未熟な悪魔の祓魔エクソルツィエレンを開始する。


祝福の光雨リヒトリーゲン・ジーゲン!」


「ガァ∂¥µッ!」悪魔はシモンが放った光の弾丸をあっさりと食らい、そのまま動かなくなった。

 その一発で効果は十分見られたので、あとは十字の楔カイル・クロイツェスで拘束しておくことにし、悪魔は光の十字架に磔にされ大人しくなった。


「ひとまず、これで大丈夫だろう。潜入インフィルトラツィオンは誰が行く?」

「オレ行って来るよ」


 ペトロが立候補した。


「年齢が近いボクの方がよくない?」

「大丈夫。オレにも弟と妹がいたから、年下への寄り添い方は慣れてるつもり」

「じゃあ、頼めるか。ペトロ」

「うん。行って来る」


 ペトロは少年へ潜入エクソルツィエレンを開始し、残された三人は手持ち無沙汰となった。


「ボクたちはどうしよっか」

「じゃあ……。シモンの相棒の話でもしようか」

「ボクの相棒?」

「今日はずっとらしくなくて、バンデじゃない僕も心配になってるんだ。な、ヤコブ」


 ヨハネはヤコブに話し掛けた。だがヤコブは、少年のことを見つめていて振り向かない。駆け付けてからずっと、苦しむ少年から目を離していなかった。


「ヤコブ。どうしたの? その子のこと、気になるの?」


 シモンが問い掛けても、返事をしない。

 その目は、同情をしているようだった。例え心の中で向けていても、ヤコブが憑依された人間への同情を表に出したことはこれまで一度もない。

 やはり、今日のヤコブはおかしい。同情の眼差しだけでなく、その気持ちを言葉にし始めた。


「俺たちが来てからも、しばらく苦しんでたよな」

「そうだね」

「自分の中にいる自分じゃない別の何かに気付いて、戦ってたんだよな。不安になりながら、恐怖を抱きながら、危うさを感じながら、正体がわからないけどこいつは自由にさせちゃいけないって直感が働いて、自分の意識で得体の知れない何かを抑えようとしてたんだ」

(わけわかんないなりに、トラウマと一生懸命戦ってたんだ)

「……ヤコブ?」

「ほら。いつものヤコブじゃないだろ?」


 憑依された人間に対して同情し感傷的になるなんて、シモンでも別人ではないかと疑いたくなる状態だ。微かに胸が痛み、確実にヤコブの中で異変が起きていることをシモンは感じる。


(ヤコブは、MVに出るのを悩んでた。というか、拒んでたに近いかも。音楽に近付いちゃいけないって……。でも、あの子と関係があるようには見えない)


 様子がおかしいヤコブに戸惑っていると、拘束された悪魔が何かを発した。


「⊄……ς……ゴ、ゴメ……µ……ナ§、イ……」

「何か言ってる」

「憑依された少年の心の声だ。気にすることない」

「ボ¥、ガ、ワπ……φ……ゴ∑、ンナ、サ∉……」


 その悪魔が発する少年の心の声を聞いたヤコブは、脳裏に過去をフラッシュバックさせた。


「……」


 そして、ペトロが深層から戻って来ていないのに、〈悔謝ラウエ〉を具現化させた。


「ヤコブ。まだハーツヴンデを出すのは早いぞ」

「だって。苦しんでる」

「あれは、悪魔が惑わそうとしてるだけだ。お前だってわかってるだろ」

「だけど……。今すぐ救わないと!」


 ヤコブは〈悔謝ラウエ〉を手にしたまま、悪魔に接近した。


「おい、ヤコブ!?」

「ヤコブ!」

(救うんだ。救わなきゃならないんだ!)


 ヤコブは切羽詰まったような表情で、少年と悪魔が繋がった鎖を断とうと斧を振りかぶった。


「ダメだよ、ヤコブ!」


 それを、シモンが身を呈して制止させた。振り上げられた斧は、ヤコブの頭上で止まった。


「まだペトロが戻って来てないんだよ。仲間を危険に晒すつもり!?」

「……」


 身を呈して止めたシモンの姿でヤコブは我に返り、〈悔謝ラウエ〉を下ろした。

 そのすぐあとにペトロが深層潜入から戻って来て、ヨハネとシモンで祓魔エクソルツィエレンし、終わった。

 戦闘領域レギオン・シュラハトが解除されると、雨粒がポツポツと落ちて来た。


「やば。雨だ」

「ペトロはまだアルバイトか?」

「うん。でも、レインコート忘れた……。というか。戻って来た時、ちょっと空気悪くなかった? オレが潜入インフィルトラツィオンしてるあいだ、何かあったのか?」

「……あとで話すよ」


 透明な粒がわかるほどの雨が降り始め、木々の葉や地面に打ち付ける。ヤコブは呆然としたまま立ち尽くし、心配するシモンは掛ける言葉に迷った。


「戦いは終わったのか?」


 避難していたアレンたちが、様子を伺いに戻って来た。


「急展開でびっくりしたー。悪魔が現れるのって、本当に突然なんだな」

「心臓バクバクしたぞ」

「ヤコブ。もう大丈夫そうなら、撮影続けていいかな」


 アレンは再び、ヤコブにギターを渡そうとした。けれどヤコブは、ギターに手を伸ばすどころか、アレンのことすら見ない。


「……ごめん。やっぱできない」

「え?」


 簡潔に意志を伝えたヤコブは、雨の中を逃げるように去ってしまう。


「おい……。ヤコブ!?」


 突然の出演キャンセルに、アレンたちは戸惑う顔を見合わせた。

 ヤコブが気掛かりでならないシモンは、濡れるのも気にせずあとを追い掛けた。




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