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第28話-学んでしまっているのは、僕だった

 母校にくるのは、春以来だった。峰に会いに来たあの日以来だ。結局あの場で会うこと自体は叶わなかったが。

 到着すると、早くも校内は盛り上がっているようだった。入場受付には数十人もの列を成していて、どうやらほとんどが父兄たちのようにも見えた。


「結構もう人入ってるね」

「そうだな」


 千尋の頃から、文化祭は外部の人間の入場は許可されていた。とはいえ、母親が来たことは一度もないのだが。

 そういえば……母は今、どうしているのだろう。もう連絡も取っていないが、ふと気になった。


「お前、会いたい人とかいないのか」


 峰の言葉に、はっとなった。もちろん母のことではないというのは分かっているので、

慌てて首を振る。かといって母に会いたいわけでも決してない。

 在学時代に世話になった先生は峰以外いないし、部活にも入っていなかったので後輩もいない。峰はそれを見越していたのか、さして反応をしなかった。


「でも、先生は挨拶しないといけない人とかいるんじゃないの」

「別に義務はねえよ、今日も勝手に来ただけだし。すれ違ったらするくらいでいい」


 案外そんなものでいいのか、と思いつつ安堵した。どうやら、自分と峰の行動を邪魔されることはないらしい。

 しかし、ふと気付いた。


(待って、これってもしかしてデートだったりする?)


 母校の文化祭ではあるが、一応二人きりの外出だ。峰が千尋の職場に会いにくるのとはわけが違う。

 ただ峰に会える、という気持ちだけで今日を待ち構えていたが……よく考えなくても、これはデートだ。


(どうしよう、急になんか、やばい……)

「金森、OBはこっちの名簿に名前書けってよ」

「あっうん!」


 峰に呼びかけられ、慌てて名簿に名前を記入する。すでに何人ものOBやOGが来ているようだが、とくに知っている名前は見当たらなかった。

 もし遙のことがなければ、もっと高校生活を始め過去を楽しむことが出来ていたのだろうかと思う。そればかりは、何度も大人になってから考えていた。しかし、それはもう意味のないことだとも分かっている。

 それに、遙の問題がなければそもそも峰のことを好きになることもなかったはずだ。


(でもそれって、こんなに苦しむこともなかったってことなんだよね)


 今は峰に会えて安心しているおかげか、その事実すら他人事のように思える。本当に、会えてよかった。

 あのまま峰に会うこともなく関係を絶っていたら、どうなっていたのだろう。また別の人間に、恋でもしていたのだろうか。


(いいや、今はそんなこと考えなくても)


 今は今、彼といられることを楽しめばいいのだ。それ以外を考える必要もない。

 名簿を係員に返すと、引き換えにチラシをもらった。峰もまたそれを覗き込んでくる。あまりの距離の近さに、ドキッとした。


「腹減ってるか?」

「そ、そんなに」


 さっきの衝突のこともあってか、いちいち距離感に対し敏感になってしまう。しかし峰からすれば何も気にしてはいないようで、千尋の赤面に対して何も言わなかった。


「じゃあまずは美術部の展示行くか」

「美術部?」

「最後の年だけ副顧問兼任してたんだよ、名ばかりだけどな」


 それは初耳だった。いや、当然なのだが。

 一階の奥に、美術室があった。選択科目で適当に美術を選択した年もあったが、入るのはそれ以来である。

 美術室に入ると、独特の油の匂いがした。中には人が全然いないらしい。どうやら、今の時点では出店の方に来客が集中しているのだろう。

 ぼんやりしていた係員の女子生徒が、扉が開く音で反応したのかこちらを見てきた。そしてすぐ、「峰先生」と明るく声をあげる。


「お久しぶりですー、来てたんですね」

「お前また留年したのか」

「太田先生にも言われました、史上初の2ダブだって」


 何だかとんでもない話をしている気がしたが、正直それどころではなかった。

 峰の横顔に、どうしても見入ってしまう。生徒を見る時の、冷たく見えるが真剣な目。千尋はあの目を、彼を好きになってからずっと見ていた。


(やっぱり、誰にでもそんな目をするんだ)


 教師として、というのは分かっている。しかしそれは、今の千尋に対してもまだ抜け切っていないのだろう。だからこそ、もどかしい。


(先生は、恋人を見る時どんな目をするのかな)


 想像するだけで、胸が苦しくなる。結局この気持ちは眠っていただけで、消え失せていたわけではないのだと痛感した。

 まず始めに椿のことが思い浮かんだが、彼と一緒にいる峰は一度しか見たことがない。だから判断はできないが、かと言って見たいとは思わない。また苦しくなるだけに決まっている。

 峰は未だに生徒と話しているらしく、こちらを見てはこなかった。正直面白くはないが、あくまで「教師」をまっとうしている峰の邪魔をする気にはなれなかった。それに、だ。


(生徒とはどうもならないだろうし)


 そこだけは、身をもって信用できる。自分が一番、痛感しているところだ。なので千尋は、あえて何も言わずに美術室の中を見て回ることにした。


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