「はぁ、はっ……はぁ、は……」
入れ替え戦・第四試合のタイムアップの笛が鳴り響く。それに合わせて、汗だくとなった僕は思わず膝に手をついた。
結果的に『2対0』で勝利したものの、数字ほど楽な戦いではなかった。
序盤から相手にペースを握られ、何度も危ない場面を作られた。ボール支配率でいうと、こちらは恐らく『40パーセント』以下になるだろう。体感だが。
しかし、逆に準備しておいたゲームプランがハマったとも言える。
チームの総合力は相手の方が上。必然的に、松村チームは初っ端から攻勢を強めてくると予想された。そこで僕たちは、まずは守備でハードワークすることを誓いあった。
具体的な作戦としては、フォーメーションの可変システムを採用していた。
右SHを務める味方が低い位置を取り、押し込まれた際は『5バック』を形成して守りを固めていたのである。
もちろん他のメンバーも、ディフェンス時はきっちりプレスバックして守備ブロックを構築した。
特に中盤の要である里中くんは、ピッチ全体を走り回って大貢献してくれた。そのせいで今は、緑の映える人工芝に突っ伏してしまっているが。なんだか絶命した蝉みたいだ。
とにかく、メンバー全員が体力を使い果たすまで走りきった。試合時間が『45分』に限られていたゆえのペース配分である。多分、前後半での開催だったら結果は逆になっていたはず。
なにより、相手は白石(鷹昌)くんの不在が響いているように思えた。彼は良くも悪くも攻撃の牽引役であり、シュートに直結する質の高いパスを供給できる。それは数字にも表れていて、Dチーム内で『チャンスクリエイト数・トップ』を誇る選手だった。
そのため、松村チームはアタッキングサードにおける創造性を欠き、チャンスを迎えてもゴール期待値はさほど高くなかった。
一方でこちらのオフェンスに関しては、最初から『カウンターで相手を仕留める』と割り切っていた。
より正確には、僕のドリブル突破からの一発に賭けていたのだ。おかげで左サイドの負担は比較的軽く、なんとか得点を決めて役目を完遂できた。
要するに、皆が『チームに貢献する形で個人アピールを行う』と意思を統一してくれたからこそ得られた勝利なのだ。
珍しく重責を担った僕は、キックオフの時点で絶望から気絶しそうになっていた。なにせ観戦エリアに美月の姿が見当たらず、試合に間に合うかも不明だったからだ。
彼女の存在なくしては全力プレーなど不可能。けれど、どうにか間に合わせてくれた。きっと無理を押して駆け付けてくれたに違いない。
本当に助かった、感謝してもしきれない……なので、チームメイトと喜びを分かち合ってから、改めてお礼を伝えようと観戦エリアへ向かった。
「あ、美月……」
僕の言葉は尻切れになってしぼむ。彼女の周りには、観戦に訪れていた生徒やすでに試合を終えていたDチームメンバーなどが集まってきており、とても割って入れるような雰囲気じゃなかった。
仕方がないので落ち着いてからまた声をかけよう、と玲音たちのもとへ戻ろうとした。が、別の方向から声をかけられたので足を止める。
「兎和くん、お疲れさま!」
「あ、加賀さん。お疲れさま」
僕を呼び止めたのは、バスケ部のジャージをきた加賀志保さん。
彼女が観戦に訪れているのは知っていた。その姿が何度も目に入っていたから。ただカラオケ会でご一緒して以来話す機会はなかったので、恐らくDチームメンバーの中に友人でもいるのだと思う。
「今日は誰の応援に来たの? もしかして、同じクラスのサッカー部メンバー?」
「違うよ! 兎和くんの応援だよ!」
「ふぁっ!?」
以前『また試合の応援に行ってもいい?』なんて聞かれてはいたものの、てっきり社交辞令だとばかり……僕はビックリしすぎて、クソキモいリアクションを取ってしまった。幸い加賀さんはニコニコしたままだが、内心でどう思われているのかとても不安だ。
思春期男子は、わけもなく異性の反応に敏感なのである。しかも後になって、己の振る舞いについて一人反省会を開催するのだ。
それはさておき、僕の心配は杞憂に終わる。続けて加賀さんは、嬉しい言葉をかけてくれた。
「今日も凄かった、一人で2点も取っちゃうなんて! やっぱり兎和くんはスゴイなぁ」
「いや、チームのサポートのおかげだよ。僕一人の力なんてたかが知れているし」
確かに個人技で得点を重ねたが、それは誇張なしにチームメンバーたちのサポートがあってこその成果だ。
ディフェンスの負担を減らしてくれたおかげで体力に少し余裕ができ、さらに僕がドリブルで仕掛けるためのスペースも作ってくれた。
サッカーにおいては、自分一人で完結するプレーなど存在しない。全員がそれぞれ影響を与え合って、ピッチ上に芸術ともいえる盤面が描かれるのだ。
「そっか。でも、私にとっては兎和くんがエースだよ!」
「あ、ありがとう……」
ヤバい。嬉しくて、いま笑うと『ぐへへ』みたいなマジでキモい声が出ちゃいそうだ。必死に堪えているせいで、僕の表情は終わっている気もする。
おまけに、久々に会ったからちょっと人見知りを発動している。大勢でいると平気なのに、二人になると途端に言葉が出てこなくなったりするのだ……どうしよう。このままだと、加賀さんの口から『キショい』なんてセリフが飛び出しかねない。死の宣告と同義である。
いや、慌てるな。ここは共通の話題を探して、いったん仕切り直しを図ろう……そうだ、こんなときは天気の話がいいとネットで見た覚えがあるぞ。共感しやすく、円滑なコミュニケーションのキッカケとして機能するのだとか。
「今日は、いい天気だね」
「日本語の初心者かな?」
効果はいまひとつのようだ。加賀さんが首を傾げるのに合わせ、お似合いの黒髪ショートカットがサラリと揺れる。
焦るあまり、僕は余計に口ごもる。なんだか、自分のコミュ力に不安を感じたのは久しぶりな気がする……一方で、美月はとてもリード上手なのだと改めて実感する。仲良くなってからは会話に困った覚えがない。
そういえば、そろそろ声をかけられる状況になっているだろうか――と、僕が当初の目的を思いだした、そのとき。
「お疲れさま、兎和くん。素晴らしいプレーを見られて感動したわ。それと、加賀さんも一緒だったのね」
凛とした声と共に、お目当ての美月がこちらへ優雅に歩み寄ってきていた。もちろん涼香さんを伴って。
集まってきた男子たちはどうなったのだろう、と僕はさらに後方の様子をチラッとうかがう。すると、A組の友人女子たちが代わりに相手をしてくれているようだった。
「……神園さん、皆とのお話はもういいの?」
「うん、大丈夫。咲希ちゃんたちにバトンタッチしてきちゃった」
美月と加賀さんもカラオケ会に同席していた仲であり、当然ながら顔見知りだ。なので、笑顔で親しげに挨拶を交わしていた……いや、なんか双方とも目が笑ってない。なにこれ、超怖い。
一見すると穏やかなのに、不可視のブリザードが吹き荒れているような心地がする……。
「そういえば、サッカー部って月曜がお休みなんでしょ。来週もそうなの?」
「ひょえっ!? ……あ、うん」
加賀さんに話を振られ、油断していた僕はビクつきながら返事をした。
おっしゃる通り、サッカー部の休養日は月曜と定められている。ただしそれは建前で、大体ミーティングや戦術確認などの予定がつめ込まれている。
ところが、来週の月曜は珍しく完全オフ。放課後はまるまるフリータイムとなっていた。
「それなら兎和くん、一緒にどこか遊びに行かない?」
続けて加賀さんに素敵なお誘いを受けるものの、僕は答えに窮する。
まさか女子から遊びに誘われるなんて思いもしなかった。青春イベントが突然舞い込んできて、心が浮き立つ……けれど、すんなり頷くわけにはいかない。
散々お世話になっておきながら、美月以外の女子にうつつを抜かすなど不誠実な気がするのだ。特に我が家でのお泊り会(偶発的)以降、『誠意を欠いた振る舞いは控えるべきだ』とより強く思うようになった。
そうなると、いつまでたっても恋人はできないのだが……まあ、そこは未来の自分に強めのスルーパスを送ることにした。
「あら、いいわね。せっかくの機会だから、三人で遊びにでも行きましょうか。ねぇ、兎和くん?」
しかしながら、誘われてもいない美月が勝手に承諾してしまう。そのうえ、ごく自然に自分を頭数に加えていた。
というか……どうして二人とも、向き合って話をしているのでしょうか?
揃って僕の名前を呼んでいるくせに、ちっともこちらを見ようとしない。なんだか、縄張り争いをする猫の喧嘩でも眺めているような気分になってきた。
このような場合、いったいどう対応するのが正解なのだろう……だが、落ち着け。幸い、この場には助けを求められそうな人が存在している。
「あの、涼香さん……なんか雰囲気がクソ悪いんですけど、なんとかなりませんか?」
「ほっときなさい。まったく、隙あらばすぐ青春するんだから」
言って、涼香さんはポケットからスマホを取り出した。画面をタップすると、女性のキャラボイスで爆音タイトルコールが流れる。
うん、ぶっちゃけ予想通り……やっぱり彼女は頼りにならない。
結局、いたたまれなくなった僕は逃げるようにその場を離れ、玲音たちのもとへ戻るのだった。
その後、部室でプロテインや各種サプリを摂取しつつスマホをチェックすると、美月からこんなメッセージが届いていた。
『月曜日、吉祥寺で遊ぶことになったわ。私と兎和くん、それと加賀さんの三人でね』
え、これマジ?
普段なら、予期せぬ青春イベントの発生にワクワクするところ。しかし今回は、心臓がバクバクしている。
またあの二人の謎の対立に挟まれるかと思うと、ちょっと心中穏やかではいられない……こんなに不安を感じる休養日は初めてだ。
次の月曜が、僕にとってのブラックマンデーとならないことを祈るばかりである。