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第47話 それぞれの戦い

 大城砦ダグザの守将は籠城戦を決め込んでおり、一帯には何とも言えぬ空気が漂っていた。特に敵側であるボレアの陣営がそうだった。大国たるケイラノス相手への初進出と言えば聞こえは良いが、実際には無理やり途中までの守りを突き抜けてきただけだ。

 無論、ボレアからは次々と援軍が送り込まれてくる。先陣切った者達がこしらえた道を進んでくるだけなので、兵の増加する速度で言えば大したものになった。


 それでもボレアはこの戦闘で選択肢を余り持たされていない。増え続ける兵を相手が見てどう思うか……などというのは容易に想像がつく。そして、ボレアの兵では包囲をするだけの数が用意できない。用意できても伸び切った補給線では長期戦は望めなかったし、ケイラノス軍も別に城砦に集まっている兵だけが全てではない。

 必然的に短期決戦しかボレアには手段が無い。一時の熱狂が冷めてしまえば、何とも間抜けなことだった。本国で椅子を温めている連中を今頃になって罵りたくなってくるわけである。


 もっとも、そのお偉方は王の愚策をなるべく現実的なものにしようと奔走しようとしているところだった。周辺諸国と交渉し、なんとかケイラノス相手にほどほどの勝利を得る形に持っていきたい。どこかの国に恩を売れるかも知れない。考えうる全てに挑んでいる最中でも、現場の兵士達からすると自分が死ぬ可能性がないだけマシと考える。


 その考えはある意味では正しいのだろう。大国ながら油断も隙もないケイラノスを倒せるのは、盤外からの一手のみであるのだから…


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 随分と珍しいことに、 白盾はくじゅん騎士団が王都に展開していた。首都と王室を警護するという役割からすれば、当たり前かもしれないが今は緊急時である。皮肉なことにそれはボレアをことさら警戒してのことでも無かったが、民の安心のために北には部隊単位で城壁外に配置されている。

 これは最悪の事態に備えてでもあるし、敵が籠城から抜けて来た場合に挟み撃ちに持ち込むためのものである。 白盾はくじゅん騎士団も時には現実的な動きが求められるということだろう。


 その中でもっとも現実的で、もっとも中身の無いことをさせられている者が一人いた。ケイラノス王家の王女にして、“白の一剣”であるシャルグレーテである。

 彼女は北の陣で、城下の人々からよく見える位置で勇ましく立っていた。高く作られた木台の上で剣を杖のようにして凛と構えるのが現在の王女騎士の仕事だった。理屈としてはとても簡単で、見栄えが良い上に頼もしい姿が民の安寧に繋がるからだ。

 多少お転婆や破天荒などと言われてはいるが、しっかりとした教育を受けているシャルグレーテは花のように立っているだけの体勢でも意外に難なくこなせる。だが、内面は苛立っており、一日中そうやっていればそのうち暴発しかねないと周囲は恐れていた。



「ツコウ……まぁ死ぬわけはないけれど……」



 ましてや婚約者が北の戦地にいるのだ。その胸中をかき乱す波は、夫を兵士に持つ女性たちとなんら変わらない。変わらないからこそ、こんな役目にも我慢しているのだ。

 その傍らで戦えないのがこうももどかしいとは、シャルグレーテは思っても見なかった。彼がいくら最強と称されていようとも、戦場というのは理不尽の塊だ。優れた剣豪が流れ矢で死んだり、素人の投石で敗北するなどするぐらいだ。

 逆に言えば、そのような場でシャルグレーテが共にいたところで運が向上するわけでもないのだが……心配なものは心配だった。


 恋する乙女は男の名前を繰り返し続けて、毎日を過ごしていた。


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 山裾に広がる森の中に、整備された道がある。これは戦争が起こるまではボレアとケイラノスの商人達が行き来するために作られた、いわば交流のための道だった。

 今はすっかりと兵が進軍するための道となっており、体躯に恵まれた男たちが汗を滝のように流しながら重い荷を背負いながら歩いている。汗水垂らす仕事ではあるが、増援兼糧食を運ぶためとその理由は全く平和的ではない。

 北の地であるボレアは寒い国であり、そこで育った男たちは温かいということに憧れていたが、重労働が加わると全く楽しくないということに全員が気付いていた。温暖で安定した気候のケイラノスすら彼らにとっては暑すぎるのだ。



「あーくそっ! こんな国だなんて聞いてねぇぞ。ったく」



 兵の一人が革袋からエールを取り出して、口に含む。それを見た隣の兵はニヤついた顔で自分も蜂蜜酒を取り出して煽る。

 水分補給にはあまりいい方法とは言えないが、北の国に生きる彼らとしては水といえばコレなのである。酒精で寒さに耐え続けていく内に、当たり前となったのだ。それを愚かとは誰にも言えまい。他国の常識なのだから。



「聞いたか? ケイラノスの連中はぶどう酒を割って飲むらしいぞ。なんと水でだ!」

「そりゃ酒に対する冒涜だな」

「おお、我ら酒の神に仕える者。冒涜の徒に天罰を下さん!」



 基本的に上の立場の人間を嫌うボレア兵達は、神官を皮肉った物言いに全員で爆笑した。

 大体にして彼らは今度の遠征を余り気に入ってはいない。彼らにとって戦とは“男”らしさを見せつけるものだ。こうしてこそこそと、補給物資を運ぶよりも村の一つでも略奪すればいい。それが彼らの思想なのだ。



「っとっと……ちょっと用を足してくらぁ」



 強い蜂蜜酒を煽った男が列から離れて、森の方へと入っていく。そうなると今一緒に騒いでいた連中とも離れることになり、後列に加わることになるが男は大して気にしていなかった。


 それは事実だ。彼は二度と連中と再会できない。


 彼の感覚で用を足すのに丁度いい木の前に立ち、水を放出する。男の顔は至福に満ちている。己が作った小川は湯気を発しながら、地面へと吸い込まれていく。

 その夢見心地のまま、男は首を失った。恐らくは最も幸福な内に死ねたであろう。


 その下手人はケイラノス最強の騎士、ツコウだった。

 音がならないように黒の鎧は外し、黒の鎧下だけを身に着けて暗がりに潜み、黒の小剣のみで相手の首を切断してのけたのだ。喉も確実に切り裂いており、声が上がることもない。

 およそ騎士らしい戦い方ではないが、“黒”の騎士としては手慣れたものだ。日頃は国内の人間相手なのが外部になっただけのこと。それにも関わらず、ツコウは懐かしい気分になる。


 男が背負っていた荷からわずかばかりの食料と水を奪い取り、次へと向かう。占拠された砦までの道のりで、ついでに補給を兼ねた騒ぎを起こしているのだ。行う度にツコウが命を失う確率は高まっていくが、それはそれ。少しでも連中が混乱してくれればありがたい。



「さて、あちらは上手く行っているか否か。無駄にならんことを祈るほかは無いな」



 暗がりをするすると滑るように走りながら、ツコウはひとりごちる。主戦場は砦の前なのだから、赤霊せきりょう騎士団にはぜひとも頑張ってもらわねば。

 なるべく同じタイミングで砦に細工をしたいと願いながら、影は闇に溶け込みながら進んでいった。

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