シリルとの約束を果たすべく、俺は自室で彼を待っていた。
窓の外に広がる月明かりを眺めながら、俺の胸中は不安と焦燥でざわついている。
シリルが治癒魔法を使えたこと。それが聖属性を持つ者しか扱えないものであることは明らかだった。
あの穏やかな微笑みの裏に、どれだけの秘密が隠されているのか──。
やがて、控えめなノックの音が響いた。
「どうぞ」
扉が静かに開き、シリルが部屋に足を踏み入れる。
「お待たせしました、アレックス様」
いつものように柔らかな笑みを浮かべる彼に、俺は複雑な気持ちを隠しきれないまま席を促した。
「……座れ」
「はい」
シリルは素直にソファへと腰を下ろす。
俺も向かいに座った。
静かな月明かりが彼の銀髪を照らし、その金色の瞳が不気味なほどに美しく輝いている。
「話を聞かせてもらう」
俺は静かに言葉を切り出した。
「治癒魔法……あれはどういうことだ?」
シリルは一瞬だけ目を伏せたが、すぐにまた俺を見据えた。
「アレックス様、どういうことって言われても……治癒魔法はそのまま治癒魔法ですよ」
「ふざけるな。治癒魔法は聖属性を持つ者にしか扱えないと知っているはずだ。お前は……その力をどこで……」
俺の問いに、シリルはほんの少し笑みを浮かべる。
だが、その瞳はどこか寂しげにも見えた。
「アレックス様、そんなに怖い顔をしないでください。僕を疑っているわけじゃないですよね?」
「お前のことを疑う気はない。ただ、俺はお前を守る護衛官だ。お前の身に何が起きるのかを知らなければ、守りようがない」
そう言うと、シリルは小さく息を吐き、手を組んだ。
「……生まれつきです」
「生まれつき……?」
「あまり知られていませんが、デリカート家には時折、聖属性を持つ者が生まれるんです。父上も、少しだけ治癒魔法を使えるんですよ」
予想外の答えだった。デリカート家がそんな秘密を抱えているとは聞いたことがない。
「……キース卿やリアムは知っているのか?」
「もちろんです。でも、外には漏らしていません。だって……目立つでしょう?聖属性を持つなんて、厄介なことが多いですから。自分で言うのもおかしな話ですが、僕の魔力は強すぎるくらいです。そのせいでよく狙われてきましたし。それが更に聖属性まで……となれば面倒しかおきません。僕はこの力のせいで王立学園も通えませんからね」
シリルの微笑みはどこか自嘲めいていた。
「だから、人前では絶対に使わないようにしてました。でも……アレックス様が怪我をしているのを見て、黙っていられませんでした」
「お前……」
思わず言葉を失う。
シリルが俺を気遣ってくれたことは分かる。だが、それでも。
「迂闊だ。俺がお前の思うような人間じゃなかったらどうするつもりだ。お前の力を知れば、今以上に狙われることになる」
「……それでもいいですよ。それは仕方ないですね」
その言葉に、俺は目を見開いた。
シリルはまっすぐに俺を見つめ、少しだけ笑みを浮かべたままだ。
「でも僕は信じています。アレックス様を」
「お前は……」
俺は視線をそらし、苦々しく呟いた。
シリルは立ち上がると俺の横へと座る。
そしてその手がそっと俺の手に触れた瞬間、全身に緊張が走った。
「アレックス様、僕にとって、アレックス様は……ただの護衛官じゃありません」
耳元で囁くような声が、俺の理性を揺さぶる。
俺の手を握る彼の手は暖かく、少しだけ震えているようにも思えた。
「本当に僕を守りたいと思うなら……そんなに難しく考えないでください。僕は、アレックス様に守られているだけで、幸せなんです」
──甘い声が、心に染み込んでいく。
「シリル……お前は……」
「アレックス様」
シリルが身を乗り出し、俺の顔を覗き込む。
その瞳は真剣で、言葉を失うほどに美しかった。
「……僕が頼れるのは、アレックス様だけなんですよ」
そう言いながら、彼はそっと俺の頬に触れた。
その手の温もりが、俺の心を強く揺さぶる。
──俺は、この手を振り払うことができるのか?
胸の奥で、再び大きな問いが浮かび上がった。
甘い夜の空気に包まれながら、俺は答えを見つけることができずにいた。
シリルの手の温もりが俺の頬に伝わる。
その純粋な瞳の奥に隠れた強さと熱情を、今さらながら痛感していた。
「アレックス様、僕にはわかりますよ」
「……何がだ」
「アレックス様も、本当はもう答えを出してるんじゃないですか?」
確かに、俺は気付いていた。
彼をただの護衛対象として見ることができなくなったことに。
彼が笑えば安心し、彼が傷つけば心が痛む。
それが、自分の中に湧き上がる感情の正体だと──とうに分かっていた。
けれど、認めるのが怖かった。
俺が選べば、シリルはさらなる危険に巻き込まれるかもしれない。
騎士と言うのは羨望の眼差しを受けもするが、真逆に怨嗟に叫ばれることもある。
それでもなお、この少年は俺を選び、守られることを望んでいる。
「僕が怖いですか?」
「……怖いわけじゃない」
「じゃあ、迷う理由はないと思います」
シリルは更に近づき、俺を見上げる。
その瞳の中には揺るぎない信頼と想いが込められていた。
「……本当にどうしようもない奴だな」
俺は小さく息を吐き、観念した。
それ以上逃げるのも、隠すのも無意味だ。
この先、どれほど困難な道が待っていようとも、俺は覚悟を決めるしかない。
「シリル」
「はい」
その名前を呼んだ瞬間、胸の中に宿った感情がすべて溢れ出す。
俺はシリルを強く抱き寄せた。
「……お前は、俺が守る。どんなことがあっても」
「アレックス様……」
シリルが俺の胸に顔を埋めるのが分かる。
その小さな体を抱きしめながら、心に決意を刻む。
そして、自然と顔を近づけ、彼の額に軽く口づけた。
「……だから、俺のものになれ」
自分でも驚くほど低い声だった。
けれど、それは偽らざる俺の想いそのものだった。
「……最初からそのつもりでしたよ」
シリルは少し驚いた顔を見せた後、にっこりと微笑む。
その笑顔を見た瞬間、胸の奥が温かくなった。
「シリル」
「はい?」
俺は彼の顎を軽く引き寄せ、今度は唇にそっと触れた。
甘い香りと温もりが、俺の中の迷いを完全に拭い去る。
──これが、俺の答えだ。
彼の手が俺の背に回るのを感じながら、俺はこの決断に嘘がないことを確信した。
どんな困難が訪れようと、シリルを守るために全力を尽くそう。