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第五話

 仁愛は続ける。

「とはいえ、私だって少ないながらも稼ぎがあるので、可能な限り払わせてください!」

「うーん」

 腕組みしながら、天を仰ぐ和樹。

「……わかったよ。額はちょっとわからないから、後で調べて算出する。そのうち無理のない額を入れてもらう、でいいかな」

「はい!」

 とうとう、和樹が折れた。

「では、あわせて食費も払いますので。まずは一ヶ月、様子を見て、それから食費を割り出しましょう!」

「まだ払う気なの!?」

「当然です! これから共同生活……して、いくし、その、卓を、囲むんですから……」

 共同生活と自分で言って、仁愛は急に照れてしまい、顔を熱くした。

「そうだね、ありがとう」

「ちなみに! 収入面では和樹さんの方が圧倒的にあると思うので、その分、家事全般を私が引き受けます。異論は認めません」

「……はい、よ、よろしくお願いします」

 もはや仁愛にあらがう力を、和樹は持っていなかった。

 仁愛がふと時計を見ると、もう十三時になっていた。

「そろそろお昼の時間ですね。なにか作りますよ」

「え、冷蔵庫の中、食材があまりないよ?」

「見てから決めます。なにかあれば適当に作りますから。和樹さんはリビングでくつろいでいてください」

「あ、うん――」

 仁愛は和樹の返事を待たず、ぱたぱたと自室に入っていくと、エプロンを持ってキッチンに向かった。そしてエプロンを着けながら冷蔵庫と冷凍庫をチェックする。ざっと見回して、その後、奥の棚を物色し、パスタにすることにした。

「和樹さん、お昼はパスタでいいですか?」

「えっ、いいけど。作ってもらっていいの?」

「もちろんです!」

「じゃあ、お願いできるかな」

「任せてください!」

 仁愛はにっこりと笑って調理具を手にすると、慣れた手つきで鍋を手にした。

 そして二十分後。

 笑顔で、鼻歌を歌いながら仁愛は調理をして、二人前のサラダとジェノベーゼパスタを作り上げると、トレイに載せてダイニングテーブルに持って行った。

 その仁愛の動きを察知して、空腹の和樹がダイニングの椅子に座った。

「おお……て、手作り……」

 和樹の前に、仁愛の料理が並ぶ。

 湯気立つパスタを前に、和樹が感動していた。

「和樹さん、普段は料理をしないんですか?」

 笑顔で和樹に尋ねる。

「いやあ、恥ずかしながら。下にショッピングモールがあるから、そこですませることが多いかな」

「あー、なるほど。便利ですもんね」

「後片付けもしなくていいし。一人暮らしが長いからね」

「あの、私程度の料理で、申し訳ないです」

「とんでもない! いただきます!」

 和樹は手をあわせ、フォークを手に取り、パスタを口に運ぶ。

しい!」

「ほんとですか!?」

「うん! これ、美味しいよ!」

「よかったぁ!」

 和樹は、マナーも忘れて、ぱくぱくパスタを口に入れる。

 それを見ながら、安堵あんどいきをつき、仁愛は和樹の真向かいに座り、食事を始めた。

 冷凍パックのソースだったけれど、バジルの香りが豊かで、とても美味しい。

 パスタので加減も絶妙で、最初に和樹に振る舞うには上々だった。

「うん、おいし~い!」

 仁愛も、ほおを緩めて目を細める。

 そんな仁愛に、和樹もつられてほほむ。

 一条仁愛という女の子は、すごく表情が豊かだった。

 喜ぶ時、笑う時、意地を張る時、申し訳なく思う時。それ以外でも、内面がそのまま外ににじみ出《で》ているようで、とてもわかりやすい。

 和樹は今まで、こんなに素直に感情を表現する人間と会ったことがなかった。

 自分に近づいてくるものは、衷情の裏で何を考えているか読めないものばかりだ。

 しかし仁愛は全く違う。目の前で、目を細めて、本当に美味しそうにサラダを食べているその表情からは、純真さしか見えない。

 もしこれが演技だったら、大した役者だ。

 和樹はパスタを口に運びながら、胸に温かいものが宿るのを感じていた。

 そして。

「ごちそうさまでした!」

「ごちそうさまでした!」

 仁愛と和樹が声と手をあわせて、礼をする。

 そして素早く和樹の食器を仁愛が奪い、キッチンに持って行った。和樹は自分でやろうと思っていたのだが、その隙がなく、仁愛の手際のよさに驚くばかりだった。

 そんな仁愛は、にやにやが止まらなくて、頬が緩むのを我慢するのに必死だった。

 今まで、同世代の男性に手料理を振る舞ったことなど、一度もなかった。

 たとえそれが簡単な料理だったとしても、美味しく食べてもらえたら、うれしいに決まっている。

「和樹さんはゆっくりしてくださいね!」

 仁愛が声をあげると、和樹は「ありがとう」と言い、リビングのソファに座ってテレビをつけた。

 やっぱり新婚さんみたい。

 そんなこと考えると、シンクの中で洗われるのを待っている食器たちからすら、照れさせられた。

 彼らをスポンジで洗っていき、泡を流して水切りラックに立てていく。家事が好きな仁愛にとって、この量なら全然苦にならない。

 むしろ、楽しいとすら思えた。

 しかし。

 いずれ和樹に問い詰めなければならないと思わされる疑問が、いくつかあった。

 それは和樹がいない時に気づいた。


 この部屋は、あらゆるものが二人で暮らすよう、あらかじめ準備されていた。

 そしてそれはおそらく……仁愛のためではない。


 洗面台には二つの歯ブラシとコップ。

 浴室には男性用と女性用のコンディショナー。

 食器棚に入っているものは大皿を除き、すべて二つ一セットで納められている。

 そして仁愛にあてがわれた部屋のベッドやテレビは急にそろえたものではなく、あらかじめ準備されているものだ。ベッドからは新品特有の匂いがしないし、テレビとプレイステーション5は新型ではなく、旧型のものだった。

 この状況から、和樹は本来、この部屋には仁愛ではなく、別の女性を住まわせたか、もしくはその予定だったのではないか、と推理できる。

 女性ものの物品が多いので、相手が男性ということは考えにくい。

 仁愛の部屋のカーテンも、レースがピンクで、遮光カーテンはブルーという配色だ。

(ん~……ただの杞憂きゆうだといいんだけどなあ)

 仁愛の胸に一抹の不安がよぎる。

 とはいえ契約書にサインした以上、それを反故ほごにするようなことは絶対にしたくない。

 それはビジネスウーマンとしての矜持きようじでもあった。


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