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第26話  ふたりで紡ぐ、やさしい絵本

初夏の風がやわらかく吹くある日。

紗英と航平は、市内にあるバリアフリーの小さなマンションを見学していた。エレベーターがあり、段差も少なく、車椅子でも移動しやすい設計だった。


「ここなら…快適に暮らせそう」


「そうだね。キッチンも広いし、仕事部屋も作れそう」


紗英は、そっと部屋の奥にある小さな窓から空を見上げた。

“これが、私たちのスタートになる場所かもしれない”──そう思うと、胸があたたかくなった。


引っ越し後の日々は、穏やかで、ささやかな喜びに満ちていた。

ふたりで朝食を囲み、午前中は航平が在宅で仕事をし、紗英は絵本のラフスケッチを描いた。

昼下がり、近くの児童館で絵本の読み聞かせボランティアをするようになり、子どもたちの笑顔が紗英の心を照らした。


ある日、紗英が自作の新作絵本「くまくんと しずかなまち」を読み聞かせしたとき、ひとりの女の子が紗英に駆け寄ってきた。


「ねえねえ、このくまくん、わたしみたい! わたしもね、足がちょっと弱いの。でも、くまくんが最後に笑ってるとこ、すごくすき!」


その言葉に、紗英は不意に胸がいっぱいになった。

「ありがとう。君の笑顔が、くまくんの笑顔よりもっと素敵だよ」

と伝えると、女の子ははにかんで笑った。


帰り道、航平がぽつりと呟いた。


「紗英の絵本には、人を癒やす力がある。子どもだけじゃなくて、大人も…僕も何度も助けられてきた」


「私ね、やっと“描く”ってことが、自分の足になった気がするの」


「これから、ふたりで“歩く”んだね」


紗英は静かにうなずいた。航平となら、どんな道でも進んでいける。たとえそれが遠回りでも、平坦でなくても──。


ふたりの物語は、今ようやく第一章を終え、新しい章へとめくられようとしていた。




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