イベントの数日後。
会場の写真と、子どもたちの感想が市の広報誌に掲載され、紗英のもとには感謝の手紙やメッセージが届いていた。
──「あの日、息子が初めて“自分の好きな色”を教えてくれました」
──「絵本を通して、娘が“自分も誰かの役に立てるかもしれない”って言ってくれたんです」
その一通一通が、紗英に静かな勇気を与えてくれた。
その夜、航平と二人でベランダに出て、並んで夜空を見ていた。遠くで花火の音が小さく響いている。
「紗英」
航平が名前を呼ぶ。
「うん?」
「…ずっと言いたかったことがあるんだ」
彼の手が、そっと紗英の手に重なる。
「僕はね、紗英がどんな過去を持っていても、どんな体になっても、君と一緒に未来をつくっていきたいんだ」
「航平…」
「子どもたちに“自分を信じていい”って伝えるなら、僕ら自身がそういう生き方をしないといけない。紗英となら、それができる気がする。たくさんの人の心に触れることができる気がする」
紗英の目に、じんわりと涙が浮かぶ。
「わたし……こんなわたしでも、もう一度、人を信じていいのかな」
「君はもう、人を救ってる。自分の弱さを抱えてる人たちに、希望を渡してる。僕が証明するよ、何度でも」
花火が、一段と大きく空に開いた。
その瞬間、航平が小さな箱を差し出した。
中には、指輪。けっして派手じゃない。でも、柔らかに光っていた。
「結婚しよう。ふたりで、新しい道を歩いていこう」
紗英は、胸に込み上げるものを感じながら、そっと頷いた。
「うん……歩いていこう。わたしの車椅子と、航平さんの足とで」
星空の下、ふたりの未来が、静かに、確かに始まっていた。
桜の花が、ほころび始めた春の朝。
車椅子に乗る紗英の頬を、やわらかい風が撫でていく。
式場は選ばなかった。ふたりがいつも読み聞かせイベントを開いてきた、小さな市民会館のホール。
その日、紗英と航平は、大切な子どもたちや関係者、親しい人たちに囲まれて、「夫婦」となる誓いを交わすことにした。
花嫁衣装は、上品なアイボリー色のシンプルなドレス。裾を少しだけ短くして、車椅子の動きに無理がないように直してもらった。
鏡の前で、紗英はふっと息を呑んだ。
──あの頃、息を潜めて暮らしていた自分が、こんな日を迎えるなんて。
花嫁の入場曲は、紗英が描いた絵本『くまくんの帰りみち』のテーマソングを、子どもたちが歌ってくれた合唱。
その歌声に導かれるように、航平が紗英のもとに歩み寄り、そっと手を差し出す。
「来てくれてありがとう」
「こっちのセリフだよ」
誓いの言葉は、形式ばったものではなく、ふたりで書き合った手紙を、声に出して読み合う形だった。
「紗英。君が悲しみを越えて、絵本を描いてくれたから、たくさんの子どもたちが救われました。これからは僕が、君の心の灯を守ります」
「航平さん。私は、もう一度人を信じることを教えてもらいました。これからは、ふたりで、支え合って生きていきましょう。私も、あなたの灯でありたいです」
涙を拭う手が、あちこちで動いていた。
その後、ケーキカットも、写真撮影も、ふたりらしく和やかに進み──
式の終盤。
ひとりの車椅子の女の子が、紗英にそっと手紙を差し出した。
「わたしも、大きくなったら、およめさんになるの。くまくんみたいに、やさしいひとと」
紗英はその子を抱きしめ、静かに頷いた。
「きっとなれるよ。あなたも、きっと素敵な未来をつくれるから」
その言葉は、まるで自分自身に向けたもののようでもあった。
──こうして、ふたりは未来を誓い合い、新たな人生の扉を開いた。
雨上がりの空に、虹がかかっていた。