「あはははははははははは」
草薙数馬こと俺は、さっきから笑いが止まらなかった。
現在、俺は迷宮街の
迷宮街は
そして円の中心地を壱番町と呼び、そこには地上世界と繋がっている〈門〉を守るようにダンジョン協会の本部がある。
俺はふと記憶をよみがえらせた。
人間だった頃は飲み屋が多い
ダンジョン内には迷宮街以外に人間の住む街がないため、必然的に娯楽などはすべて迷宮街に集約されている。
個人が開いていた飲食店や飲み屋はもちろんのこと、30年以上前に地上世界で行き場をなくした1流の鍛冶師たちが開いている刀剣屋や防具屋なども多い。
他にも大手コンビニや外食チェーンの店もあり、それこそダンジョン協会が半ば黙認していた風俗店なども路地裏には多く存在していた。
そんな迷宮街は地上世界の新宿・歌舞伎町を模して作られた街であるため、厳正な審査を通った地上世界からの観光客で賑わっているのが日常だった。
しかし、それらはもうすべて過去のことである。
俺の視界に映っている迷宮街は、いつもの平穏な日常の雰囲気とは一線を画していた。
迷宮街の捌番町から陸番町にあるコンクリートの建物の大半は崩壊し、あちこちから
そして同時に聞こえるのは人間たちの悲鳴と怒号。
逃げ惑う人間たちを大勢の魔物たちが我先にと襲っている。
魔物の種類は様々だ。
もっとも弱い魔物は人型のゴブリンやトロールから始まり、その低級の魔物たちの上位互換種――イレギュラーと呼ばれていた強大な力を持つ魔物たちで占められている。
ハイリッチ・フェンリル。
キング・リザードマン。
アーク・グリフォン。
メタル・タートル。
ゴブリン・エンペラー。
ジャイアント・オーガ。
ミスリル・ゴーレム。
ダークナイト・オーク。
エンシェント・ワイバーン。
などの人間のときに遭遇したら見ただけでショック死したイレギュラーたち。
それらのイレギュラーたちがさらに自分の下位互換の魔物たちを引き連れているのだ。
戦闘技術の欠片もない、この迷宮街の中でのんきに暮らしていた一般市民や観光客にとってそれは絶望と地獄の光景だったに違いない。
もちろん、それらをすべて想定して俺はこの魔物たちを従えてやってきたのだ。
厳密に言うならば、俺の体内に魂の状態で存在している魔王ニーズヘッドの力によってである。
魔族の王である魔王ニーズヘッドの力はこの世界でも圧倒的であり、戦力確保のために各エリアを訪れたさいにもイレギュラーのほうから勝手に寄ってきたほどだ。
どうやらイレギュラーには魂の状態でも魔王ニーズヘッドの存在と力を感じるらしく、俺の目の前に現れたイレギュラーたちは何十年も会っていなかった主人を見つけた家来のように額を地面につけた。
ほんの30分ほど前のことである。
そんなイレギュラーと低級から中級の魔物たちの襲撃によって、制圧した捌番町から陸番町内の道路や歩道には人間の屍が何百体と転がっている。
何という素晴らしい光景だろう。
俺は人間たちの死体を目にしながら、遠くから聞こえる阿鼻叫喚の叫びをBGMに心は凄まじく癒されていた。
人間だった頃はどんな音楽を聴いても心は動かなかったが、もしかするとじっくりと聞けば俺の心を動かすほどの音楽に巡り合えていたかもしれない。
とはいえ、それはあくまでも可能性の話だった。
今の俺は人間が作ったどんな名曲を聴こうが心は動かない。
なぜなら、風に乗って聞こえてくる人間たちの悲鳴こそ俺の心を動かす最高の音楽だからだ。
どんどん心が満ち足りていく。
――どうだ? クサナギ・カズマ。人間どもの血の匂いと悲鳴が力となって身の内に吸収されているだろう?
「……ああ、メチャクチャ気持ちいいぜ」
俺は体内の魔王ニーズヘッドの言葉に同意した。
魔王ニーズヘッド曰く。
魔物が人間や動物の肉を食って自分の血肉にするとは違って、魔王の眷族にあたる魔人は人間や動物の血肉を体内に吸収する必要がないという。
では、何を代わりに吸収して己の血肉にするのか?
答えは下等生物の負の感情だった。
特に動物よりも感情表現が豊かな下等生物――人間を傷つけることで発生する、血の匂いや悲鳴を聞けば聞くほど魔人の力はより強くなっていくというのだ。
嘘ではない。
それに関しては紛れもない実感があった。
普通の人間ならばむせ返るほどの血や臓物の匂いも、耳を塞ぎたくなるほどの悲鳴も大気を伝って俺の身体に吸い込まれるように入ってくる。
その匂いや悲鳴を吸い込めば吸い込むほど、俺の肉体はさらなる進化を遂げていった。
今もそうである。
俺の肉体は〈魔羅廃滅教団〉の仮アジトにいたときよりも強靭になっていた。
特に筋肉の量と質がヤバい。
ギチギチギチギチギチギチ。
もはやどのように形容したらいいだろうか。
大型タイヤの上から何重にもゴムを巻きつけ、さらのその上からさらに大型タイヤを乗せたような筋肉?
くくく……まあ、何でもいいさ。
とにかく、何十何百という人間の負のエネルギーを吸収した今の俺の肉体は無敵だ。
ナイフや刀はもちろんのこと、拳銃やライフルでも傷がつかない自信がある。
さらにこれだ。
俺は自分の右手に意識を集中させる。
ズズズズズズズズズ…………
すると俺の右手に青白い光が見えてくる。
この世界の人間には使えない、鬼火のように美しく輝く〈魔力〉の光だ。
この〈魔力〉を全身に覆わせることで、俺の防御力はさらに何倍も跳ね上がる感覚があった。
無敵。
そう、俺は間違いなく無敵の存在になった。
もはや、俺をどうこうできる人間はこの世にいない。
カスな人間がどんな武器を持って何百人単位で襲ってきたとしても、この肉体と〈魔力〉を駆使すればどんなに遅くとも1分以内に皆殺しにできる自信がある。
などと考えていると、遠くから「むはははははは」と苛立つ笑い声が聞こえてきた。
声のするほうへ顔を向けると、全身が黄金色の光に包まれたマーラ・カーンこと五味楠男が大破していた何台もの車を飛び越えてやってきた。
そして俺の前に辿り着くや否や、片膝をつけて深々と頭を下げる。
「クサナギ・カズマさまにご報告しますのであ~る。ここに来る前に見つけた探索者どもを皆殺しにしてきたのでありますなのであ~る」
俺はゴミクズの全身に視線を巡らせる。
嘘ではないのだろう。
ゴミクズの全身は人間の返り血で真っ赤だったからだ。
そんなゴミクズを見て俺は顔面に蹴りを見舞った。
ゴシャッ!
という歪な音とともに、俺に蹴られたゴミクズの肉体が数メートルは吹き飛んでいく。
「ぬおおおおおおおおおおおおお」
やがてゴミクズは猛々しい声を上げながらコンクリートの壁に激突。
表面をぶち抜いて建物の中まで飛んでいったが、10秒もしないうちに穿った穴から飛び出てきて再び俺の前へとやってくる。
「ぬはははははは、クサナギ・カズマさまに蹴っていただいて光栄なのでありますなのであ~る!」
ゴミクズはノーダメージだった。
顔面に蹴りを入れる寸前に【聖気練武】という技の1つを駆使したのだろう。
「おい、ゴミクズ。次は【聖気練武】の技を使うんじゃねえぞ」
今度は土下座してきたゴミクズを俺は睨みつける。
「クサナギ・カズマさま、吾輩の名前はゴミクズではありませんなのであ~る。五味楠男なのでありますなのであ~る。それに【聖気練武】を使わなければクサナギ・カズマさまのご寵愛を堪能できませんのであ~る」
「うるせえ、てめえの呼び名なんざゴミクズでいいんだよ。それとも何か? 俺の言うことに不満でもあるのか?」
「やや、滅相もありませんなのであ~る。クサナギ・カズマさまさえよろしければ、どうぞ吾輩のことを今後もゴミクズと呼んでほしいのでありますなのであ~る。むはははははははは」
はあ~、と俺は深々とため息を吐いた。
こいつは真正のクズだが、それ以上に真正のマゾ野郎だ。
どれだけいたぶっても微塵もへこたれない。
むしろ自分たちが切望していた魔王と魔人にいたぶられることで、股間の一物をたぎらせながら興奮している節もある。
「……まあいい。で? 結局、ダンジョン協会の本部には直接に転移できねえんだな?」
「はっ、まさしくその通りなのでありますなのであ~る。本当はダンジョン協会に潜らせていたスパイによって、本部の敷地内に何個か〈転移鏡〉を設置していたのでありますなのであ~る」
「だが、その本部でトラブルがあって全部の〈転移鏡〉は回収された。その後、壱番町から捌番町までも徹底的に〈転移鏡〉を捜索され、その中でたまたま発見されなかった迷宮街の1番端の捌番町にあった〈転移鏡〉へと俺たちは魔物を従えて転移してきたんだもんな」
「まさしく、その通りなのでありますなのであ~る」
俺はチッと舌打ちした。
「面倒くせえな。一気に協会の本部敷地内に転移できたら楽だったのによ」
そうである。
もしもダンジョン協会の本部内に転移できていたら、こうして街の外から中心地へ向かう手間も省けたのだ。
――そう急くな、クサナギ・カズマ
魔王ニーズヘッドが嬉しそうな声で語りかけてくる。
――むしろ、それを好機と捉えることもできる。クサナギ・カズマ、今のお前は魔人としてまだ完全に覚醒していない。もっと人間の負の感情を食らい、肉体の限界を超えて本物の魔の領域に入るのだ。そのときに初めて貴様は本当の意味で我の片腕となれる
「つまり、このままダンジョン協会の本部へ一直線に攻め込まず、より多くの人間どもを殺しまくれってか?」
――そうだ。さすれば【聖気練武】の使い手が何百人来ようが関係ない。アリを踏み潰すが如き蹂躙できるだろう
「なるほど……それも面白いな」
俺は「くくく」と低い声で笑った。
今よりも圧倒的な力を手に入れた上で、上位探索者たちが守りを固めているだろうダンジョン協会の本部敷地内へ突入する。
そこで【聖気練武】という特殊能力を使える上位探索者をなぶり殺しにするというわけか。
ゴミクズのようにではないが、その光景を想像するだけで勃起しそうだった。
待てよ。
男はなぶり殺しにしてもいいが、女の上位探索者たちは殺す前に犯しまくるのはどうだろう?
このとき、俺の脳裏に1人の女の顔が浮かんだ。
成瀬伊織。
ダンジョン協会の会長の孫であり、A級探索配信者でインフルエンサーの女。
きっとあの女も今頃はダンジョン協会の本部内にいるだろう。
だったら、あの女のドローンを使って配信するのはどうだ?
数十万人という視聴者の前で、成瀬伊織を犯しまくって最後に殺すというのは?
「最高だ」
俺は思わずつぶやいた。
探索配信者の中でもトップクラスの知名度を誇る成瀬伊織を蹂躙することで、より多くの人間の絶望と恐怖が伝播するに違いない。
そして、その負の感情を取り込んで俺はさらに強くなる。
すげえ……これこそ最凶最悪なエンターテイメントだぜ。
と、俺が舌なめずりをしたときだ。
「こ、この化け物どもが」
崩壊した建物の陰から10人以上の人間たちが現れた。
一般市民ではない。
まだ被害が少ない伍番町からやってきた上位探索者たちだろう。
「こざかしい奴らであ~る。クサナギ・カズマさま、ここは吾輩にお任せくださいなのであ~る。すぐに地獄へと送ってやりますなのであ~る」
指の骨を鳴らしたゴミクズに俺は待ったをかける。
「てめえは引っ込んでろ。あいつらは俺が始末する。おい、魔王ニーズヘッド」
体内にいる魔王ニーズヘッドに話しかけると、魔王ニーズヘッドは特に感情を揺らさずに平然と「何だ?」と訊き返してくる。
「今の俺は魔法を使えるんだよな?」
――ああ、魔法は魔法でも闇魔法だがな
「何でもいい。その闇魔法のやりかたを教えろ」
俺は全身から黄金色の光を放っている上位探索者たちを見渡す。
「その闇魔法であいつらをぶっ殺してやる」