19. だからダメなんだ
ボクはベッドに横たわったまま、スマホの画面に映る写真を見つめていた。
満面の笑みを浮かべる葵ちゃんと、どこか緊張した面持ちのボク。でもそこに写っているのは、ボクであってボクじゃない……可愛らしい笑顔で隣にいるのは、女装したボク『白井雪姫』だから……
「はぁ……」
気づけば、深い溜め息が口からこぼれ落ちていた。胸の奥に鉛のような重さがのしかかってくる。ボクはその写真を見ながら色々なことを考えてしまう。
この二人……恋してるって顔してるわよ?莉桜姉さんに言われたあの言葉が、何度も頭の中でリフレインして胸が締め付けられるように痛い。
葵ちゃんは、あんなにもキラキラした瞳で、真剣に恋をしようとしているのに、ボクは……?性別を偽って近づいている卑怯者だ。
そんなことを考えながらも、ボクはどうしても『白瀬優輝』として、葵ちゃんと会ったり話したりする勇気が持てない。でも葵ちゃんとはまた週末に会いたいし、あの笑顔をまた見たいと思ってしまう。それは紛れもない事実だ。
それにもし『白井雪姫』が実は『白瀬優輝』だとバレてしまったら、葵ちゃんは一体どうなってしまうのだろう?騙されていたと知ったら、きっと深く傷ついてしまうだろう。それを考えると怖くて怖くて仕方ない。
でも、その反面……もっと葵ちゃんのことを知りたい、もっと近づきたいって強く思ってしまっている自分も確かにここにいる。女装した姿ではなく、本当のボクを知ってほしいという抑えきれない衝動が湧き上がってくる。このまま嘘を重ねていくのは、いつか必ず終わりが来る。その時、葵ちゃんはボクを許してくれるだろうか?
じゃあボクは、一体どうしたいんだ?……そんなの分かるわけないよ!だって、今までこんな複雑な気持ちになったことなんて一度もなかったんだから!でも……それでもボクは……葵ちゃんのそばにいたい。どんな形であれ、繋がっていたいんだ。
「おにぃ。入るよ」
すると遠慮のかけらもなく、ノックもせずに妹の真凛が部屋にずかずかと入ってきた。本当に、この妹には遠慮という言葉がないのだろうか。そのおかげで、ボクはぼんやりとした思考の海から辛うじて引き上げられることができた。
「ノックぐらいしてよ」
「いいじゃん。別に減るもんじゃないし」
真凛はそう言いながら、勝手にボクの机の椅子に腰を下ろした。ボクは真凛の方に視線を向けずに、ただスマホの写真を見つめていると、真凛が呆れたように言った。
「おにぃさぁ……めっちゃ恋してるよね?」
「……え?」
一瞬、心臓がドキッとしたけれど、ボクは平静を装って、何でもないような声で答えた。まさか、妹にそんなことを見抜かれているなんて。すると真凛は、わざとらしく大きな溜め息をついた。
「はぁ……よく、こんな可愛い子とデート出来たよね?お世辞抜きにして、アタシでも惚れちゃいそうだよ?」
「……そういう関係だから。それに……」
「それに?」
「……なんでもない」
葵ちゃんとデートしているのは『白井雪姫』であって『白瀬優輝』じゃない。この喜びも、このドキドキも、全て偽りの姿だから……そう思うと、素直に喜ぶことができない自分がいる。それに……この気持ちを真凛に話したところで、理解してもらえるとは思えない。
「はぁ……ダサッ」
真凛の容赦ない言葉が、ボクの胸に突き刺さる。
「なんだよ」
「どうせ、『でも、これは自分じゃないし』みたいなこと思ってんでしょ?」
図星だった。真凛は、ボクの考えていることを見透かしているようだ。
「うるさいな!真凛には、関係ないだろ!」
思わず声を荒げてしまった。自分の弱さを指摘されたくなかったんだ。
「はぁ?マジで言ってんの?本当に、キモッ」
真凛の突き放すような言葉に、ボクは思わず口ごもってしまう。なんでそこまで言われなきゃいけないんだよ……そんなことを考えている間にも、真凛は言葉を続けた。その言葉は、まるでボクの心の奥底に隠された弱さを抉り出すように、痛いほど響いた。
「……おにぃじゃん」
「え?」
「そこに写ってるのは、女装したおにぃでしょ!そんな楽しそうな顔しちゃってさ!キモッ」
「ちょ、ちょっと!」
真凛はそのまま、ボクの手からスマホを取り上げるとそのままボクの方に画面を突きつけた。
「ほら、見てよ?葵ちゃんだっけ?この笑顔はおにぃと一緒にいて楽しいからの笑顔でしょ?それにこの優しい眼差し!」
「……でも、これは『白井雪姫』に向けて……」
ボクはそう呟くのが精一杯だった。この笑顔が、本当のボクに向けられたものじゃないという事実が重くのしかかってくる。
「はぁ……相変わらずダサいねおにぃ。そんなんだからモテないんだよ」
「……うるさいな」
「外見は違っても、中身はおにぃじゃん。葵ちゃんは外見で人を判断するような子なの?だいたい、いつも学校でも一緒なんだから話せばいいだけじゃん。ただ逃げてるだけでしょ。そんなんだから、ダサいことしか考えられないんだよ!それが嫌なら、もう会わなきゃいいでしょ!見ててイライラする!」
そう言って真凛は、ボクのスマホを少し乱暴に投げて渡すと、何も言わずにそのまま部屋を出て行ってしまった。残されたボクは、真凛の言葉が胸に突き刺さり、ただ呆然とすることしかできなかった。
……本当に、ボクってダメだな。真凛の言う通りだ。傷つくのが怖くて、自分の気持ちに正直になれなくて、ただ逃げているだけなんだ。