——その頃、王国側では。
王都ランドベルク。
背にそびえる王城、その堂々たる正門の前に、異様な気配が漂った。
昼下がりの陽光が城壁を照らし、衛兵たちは通常どおりの警備についていた。
だが、空気が一変したのは一瞬のことだった。
ドカチリチの部下で駐屯地の指揮官が異様な箱を持って突然出現した。
「き、貴様!どこから現れた!?」
門衛に問われた指揮官は錯乱状態だった。
「報告、報告に……! 私は……っ、駐屯地の指揮官、ドカチリチ伯爵の……!」
突如、門前に現れたのは、片膝をついた一人の男。
王国軍の軍装を纏ってはいたが、その顔は土気色に染まり、理性の糸をすでに手放しているようだった。
「おい!大丈夫か!?こ、これは……宝箱か?」
門衛の一人が青ざめて叫ぶ。重厚な黒鉄の宝箱。それは魔力のうねりと共に城門前に現れた。
「まさか、敵から……?」
異常な魔力を帯びたその箱は、王城内の魔術管理局へと直ちに移送され、開封の準備が始まった。
——魔術管理局。
そこに集まったのは、三名の重要人物である。
一人は、魔術管理局長のレグノー・カレイド。
一人は、王国魔術軍隊長のグラン・リゼ。
そして、銀髪の若き王子、アステッド・ランドベルク。第三王子として王家にありながら、王国防衛を己の使命と誓う青年である。
「見た目は普通の宝箱だが……慎重にやれ!」
レグノーの指示に、付き従う魔術師たちが震える手で開け始める。
部屋の温度が徐々に下がり、光さえも濁るような錯覚が走る。そして空気が張り裂けた。
「っ……!」
次の瞬間、辺りには死の気配が満ちた。
宝箱の蓋が、ゆっくりと開かれた。
中に詰まっていたのは、ぎっしりと積み上げられた人間の首。
どの顔も、見覚えのある者たちだった。かつて獣人国方面に派遣されたドカチリチの連隊……王国の誇る兵たちの、無惨な末路だった。
「すべて……討たれたのか……。」
グラン・リゼが唇を震わせた。
だが、恐怖の核心は、その次に待っていた。
「ま、待て……この首……まだ生きて……いる……?」
アステッド王子が声を失いながら、箱の中の一つに目を留めた。
閉じた瞼から、一筋の血が、まるで涙のように流れ落ちている。
さらに、その唇は、かすかに……微笑んでいた。
「なっ……!? こ、これは魔術なのか!?死してなお……魂を縫いとめられている……!」
レグノーの顔が蒼ざめる。
生と死の境界を超えた、禁忌の魔法。肉体の断絶と同時に、魂を“瞬間保存”するような高度な魔術……。
「こんな……ことを……人間にできるのか……?」
震えるグラン・リゼの言葉に、誰もが答えられなかった。
魔術師たちすら、吐き気を催し、視線を逸らす。血塗られた見せしめ。
これは、明確な意思を持った敵からの「宣告」だった。
「……これは、我らへの嘲笑。屈辱。侮辱だ……!」
アステッド王子の拳が震える。
「先日のドカチリチ伯爵の件といい、今回のことといい、敵は我ら王国を、民を、王家を侮っている!これは宣戦布告だ!」
「王子、しかし……失われたのは一個大隊。再編の余裕もなく……相手の戦力も不明です!」
「このまま沈黙すれば、次に狙われるのは王都だ!」
アステッドは鋭く叫ぶと、レグノーへと向き直った。
「レグノー局長、すぐに第二師団を編成せよ。王都防衛に加え、ケルバ方面への報復軍を編成するのだ!」
「お、お待ちを、陛下の許可が……!」
「そんなものは後回しだ!今必要なのは行動だ、正義だ!俺が指揮を執る!王国の剣の名に懸けて!」
その声に、誰も逆らう者はいなかった。
ただひとつ、血の匂いと呪詛の気配が、なお箱の奥底に残り続けていた。
そして、その箱の底では、まだ微かに“声なき呻き”が響いていた。