「ちょっといいかな」
星野模型店から出てきた僕を待っていたのは一人の男性だった。
年齢は二十代後半で、髪をオールバックのように後ろに流し、オーダーメイドなのか身体にぴったりの紺色のかなりいいスーツを着ている。
口惜しいが、かなりのイケメン。
そう、つぐみさんの元許婚の四頭正和だ。
「なにか?」
僕は聞き返す。
以前は敵前逃亡をしてしまったが、今回はするわけにはいかない。
今度は逃げるものか。
僕は睨みつけるように彼を見る。
その視線にたじろいだのだろうか。
彼は視線を少しずらし、「ここではなんなので……」と言ってくる。
「なら、近くに喫茶店があるのでそこで」
そう言うと、彼は頷く。
そして僕らは車を模型店の駐車場に残したまま喫茶店に向ったのだった。
注文を済ましてから、しばらく互いをけん制するように沈黙が続く。
しかし、痺れを切らしたのか、彼から口を開く。
「君は彼女のなんなんだ?」
「僕は、彼女の友達ですよ。今のところはね」
今のところはという部分をわざと強めに言う。
彼の顔が渋い顔になる。
「彼女は私の許婚だ。ちょっかいをかけないで欲しい」
そして、そんな事を言い出す。
そのあまりにも勝手な言い分に腹が立ったが、まずは穏便に済ませようと自分の心を落ち着かせる。
「許婚は解消されて、別れたときいてますけどね」
僕の言葉に彼の顔が真っ赤になる。
「ちょっとトラブルがあっただけで、解消されていない。彼女は私の許婚のまんまだ。だから、私のものだ」
その様子に、僕は少し心の中で笑った。
以前の自分と少しダブって見えた。
こいつ、ただの駄々っ子じゃないか。
自分のものと思っていたものが自分の思い通りにならなくて駄々をこねている。
まさにそんな感じだ。
こんなやつにつぐみさんは付きまとわれていたのかと思うと、彼女を守らなきゃと再度認識した。
こいつに彼女は絶対に渡さない。
だから、ゆっくりと睨みつけるように相手の目を見つめて口を開く。
「彼女はモノじゃないですよ。思い違いをしてませんか?」
多分、僕の言っている事がわからなかったのだろう。きょとんとした表情をしている。
そんな事もわからないのか、こいつは。
僕の中で、彼に対しての興味が薄れていく。
こいつはいくら言っても本質がわかっていないとわかったからだ。
だからさっさと話を終わらせる事にした
「おかしいですね…。あなたの父親が解消に納得したと聞いたんですが……」
そんな事まで知っているとは思わなかったのだろう。
彼は焦ってしどろもどろになる。
元々がイケメンでかっこいい分、実に情けない。
「それに、あなたの母親は彼女の事嫌っていたって話も聞きましたよ」
「そ、そんなことは、ないっ」
ぼそぼそとそう言い返すが、説得力はゼロだ。
「それにそれは些細な食い違いであって……」
「食い違いねぇ……」
横目でじろりと見てそう言い返すと、彼は口をパクパクと動かすも何も言えなくなる。
目の動きがあっちこっちに動いて落ち着きがない。
それはそうだろう。
どこまで話を知っているかわからないから何を言えばいいのかわからなくなってパニックになっているのだろう。
実に醜い。
元がいいだけに、余計に醜く感じてしまう。
それにいつまでもこんな男の相手をしたくない。
時間の無駄だ。
だから、はっきりと言い切った。
「あなたに彼女は相応しくない。彼女を守りもしなかったマザコンのくせにさ。そんな野郎はさっさと家に帰っておっかちゃんの乳でもしゃぶってろ」
そして、にたりと笑ってやる。
多分、今の僕はすごく悪い顔をしているに違いない
彼の顔が真っ赤になり、顔から蒸気が噴出し手もおかしくないほどになった。
なにやら喋っているが、もう言葉になっていない。
多分、本人も何を言っているのかわかっていないのだろう。
そして怒りに任せて僕に掴みかかってこようとした。
しかし、「いい加減にしてください」という言葉が響き、彼の動きが止まる。
声の先、喫茶店の入口にはつぐみさんが立っていた。
彼女の背景が揺れているような錯覚を受ける。
それは今まで見たこともないほどの怒りモードのためだ。
「マスター。ごめんなさい。少し騒がしくなります」
店の主人にそう言って、つぐみさんは店内にずかずか入ってくると、ぱーんと彼の頬をひっぱたいた。
「な、なにを……」
「もういい加減、付きまとうのはやめてください。何度も言ったはずです」
「いや、しかし、君は私の許婚で……」
「もう許婚ではありません。あなたのお父様の了承もいただいてますし、あなたのお母様なんて喜んでたじゃありませんか」
「だけど、本人の気持ちは……」
「なら、私の気持ちを尊重してください。私は私です。あなたの所有物ではありません」
「でも……」
あまりにも食い下がる彼に、つぐみさんはすーっとスマホを出す。
「なら、あなたのお父様に連絡してもいいですね。こんな事をやっていると。そして私の大切な人に暴力を振るおうとしていたと」
「ぼ、暴力は、ふ、ふるってない……」
「でも、振るおうとしていましたよね」
つぐみさんはそう言いつつ、店長に視線を送る。
店長がこくんと頷くの見て、彼の顔が真っ青になった。
「わ、わかった。今回は私が、わるかった。でも、またきちんと話し合うべきだ」
なんとかそういう彼に、つぐみさんは汚いものでも見るような目で見た後、
「話し合う必要はありません」と言い切る。
しかし、その後思い出したかのようににこりと微笑みながらこう付け加えた。
「そうだった。忘れていたわ。もしまた私や私の大切な人に付きまとった場合の制裁をきちんとしなきゃ駄目ですね。その話し合いならしましょうか」
その殺し文句に、彼は顔面を蒼白にして喫茶店から逃げ出していった。
その間、僕は何をしていたかというと、つぐみさんの怒気というか迫力に圧倒されてみている事だけしかできなかった。
つぐみさんに「女性を守るのは男の役目ですから」なんていった手前、実にかっこ悪い。
だけども、彼がいなくなってつぐみさんの視線がこっちに向いた瞬間、背中に冷たい汗が流れた。
全身が金縛りになってみたいに動かない。
それは彼女の視線に怒りを感じたためだ。
「何やってるんですかっ」
彼女の非難めいた口調のあと、しばらく沈黙が続く。
しかし、ふうと彼女が息を漏らすことでその場のぴりぴりした緊張した空気が崩れる。
それで僕にかかっていた金縛りも解けていく。
すーっと彼女が近づき、とんと額を僕の胸に当てた。
「心配したんですから……」
その言葉に、僕はごめんと返事をする。
それで満足したのだろうか。
彼女は僕から離れると、店長の方に頭を下げた。
「騒がしくしてごめんなさい」
店長は豪快に笑いながら、「いやぁ、下手なドラマよりも見ごたえあったよ」と言葉を返す。
その言葉に、つぐみさんは真っ赤になりながらも、「口外しないでくださいね」と釘をさす。
「わかったよ。口外しないから」
店長はそう返事をしてくれた。
「ならこれてお開きにしましょうか」
つぐみさんはそう言うと僕の手を引いて喫茶店を出た。
もちろん、会計は済まして。
そして模型店の駐車場まで来るとくるりと僕の方を向きにこりと笑った。
「怒ったりしたけど、でもあなたの言葉すごくうれしかった。私の事を私個人として見てくれているってわかって」
そう言って僕に抱きついてきた。
僕は慌てて彼女の身体を受け止める。
「あの台詞、すごくかっこよかったですよ。まるでアウトロー映画の主人公のようでした」
そう耳元で彼女は囁き、その言葉に照れて真っ赤になった僕の頬に軽くキスをするとくるりと向きを変えてそのまま模型店の中に戻っていった。
その行動はまさに一瞬の出来事であり、僕はただ呆然と立ち尽くすのみだった