数が減っていけば形勢が有利に傾いていくのは道理だ。討伐が進むたび、盾役の一部やアレンも火力役へ回ることができるようになる。強敵ではあったが、苦境を過ぎればあとは難なく倒しきり、アレンたちはゲートを通過して第0層の広間へと戻ってくる。
だが、ここで解散というわけにもいかない。話さねばならないこと、整理しなければならないことはいくつもある。そもそもボスモンスターの討伐という当初の目的は完全に消えてしまった。
よって一行はそのまま〈サンダーソニア〉のギルドハウスに帰り、ようやく一息ついた。
「なんとか、全員生きて戻ってこられましたわね」
「それで早速なんだけど。ねえアレン、あのもうひとりのアレンはなんだったの? アレンだけを引き離して、わたしたちを襲ったと思ったら、今度は味方をしてくれて……そもそもなんでアレンがふたりもいるの?」
「……それだけじゃない。あのアレンちゃん、僕たちのことをゲームオーバーにする気はなさそうだった。痛めつけはしたが、それだけだ」
「それはおれも感じたな。あの人数差で加減ができるってのも恐ろしい話ですがね。しかしあれこそまさに、先ほどアレンさんが言った『対多数』の得手そのものだ。あれだけの実力を有する
「まあ、
いくらアレンでも一対一ならいざ知らず、相当の実力を持った
人数が多いため、アレンたちがいるのは応接間ではなく、ギルドハウスの奥にある会議室だ。広い部屋、円卓を囲う皆に視線を向けられつつも、アレンはちらとユウの顔を見る。
「——『前回』のことを話す必要がある、か。そうだね、まずはその前提を共有しておこう」
「いいのか?」
「仕方がないさ、パンドラがああも積極的な以上、隠しごとをしている余裕はなくなった。皆、まずは僕の話を聞いてくれるかな」
椅子に座り直し、ユウは皆を見回す。真剣なその表情は、自身が『二周目』であると明かす覚悟の表れだろう。
ループに伴う管理者の新生。今回のパンドラはユウが知る『前回』のそれではなく、
適切な対処ではあるだろう。ユウというイレギュラーが存在することをログから読み解き、同じくイレギュラーとして権能を分け与えた最強の
(だが……どこかちぐはぐだ。そもそもだ、『前回』の記憶を持つやつが邪魔だって言うんなら、今すぐデウス・エクス・マキナを使って世界をループさせてしまえばいい。それをやらないのはなんでだ?)
アレンは黙考する。今バベルに存在する
それをせず、あくまでネームレスを配置するというのは、むしろ受動的ではないのか?
この謎を解き明かすことが、アーカディアをループさせる理由を知ることにもつながるはず。漠然と『鷹の眼』はそう思った。
「ユウさま、話とは……」
「端的に言うと、僕は『二周目』だ」
「……え? 二周目?」
「いいかな、心して聞いてくれ——」
ユウはロシアンルーレットの前後に語った、自身のループの出来事を一同に話す。
バベルの頂にいた白い髪の少女と、それが従える巨大な機械。アーカディアにアーカディアに訪れる崩壊と再生。そしてその過程における避けられぬゲームオーバーの消失を、『クラウン』の強化を受けたユニークスキルでなんとかやり過ごしたこと。
「——そういうワケで、バベルっていうのは最初から罠ありきのダンジョンなのさ。第100層にたどり着いたところでパンドラを止められなければ世界ごと、なにもかもイチからリスタートになる」
「そんな……ことが。バベルの攻略が現実世界の回帰につながる、その噂を保証するものは初めからなかった。ですが、攻略をすれば世界がリセットされる? それはあまりにも酷な話です!」
「その噂自体、出所は不明でしょ? あれ、たぶんパンドラが流布してるんじゃないかな。街のNPCに喋らせて、とか」
ギルドハウスでは楚々とした余裕を、バベルではリーダー然とした凛々しさを備えるシンダーの表情が衝撃に崩れる。
彼女だけではない。〈サンダーソニア〉の面々には波のごとき当惑が広がっていた。
それも無理からぬことだろう。けれど——
「……俺からもそろそろいいかな。ユウの話はあくまで前提だ。このアーカディアはループしている、それを踏まえて、第70層での出来事を説明させてほしい」
「おいおいおいおい、今のが前座ぁ? おいおい……おいおいだぜおいおい」
「シルヴァ、意味不明なことを言わないでください」
「混乱してるんですよっ、こっちも。世界がループしてる? こっちは覚えがないっての。だがそれが事実なら……一体、何回だ? 何度、アーカディアが繰り返されてるっていうんですかい?」
「いきなり核心的な部分だが——第70層にいたあのパンドラの話では、65535回だ」
「ろく——っ!?」
どよめく面々。それはノゾミとユウも例外ではない。
あるいはそれは、聞かなければよかった、と思ってしまうような類の話なのかもしれない。だがなにもせずともアーカディアはループをするのだ。ネームレスの言では、バベルを攻略せずとも残り半年程度で世界はまたリセットされてしまう。
——塔の外で希望を探せ。
ネームレスが最後に残した言葉を思い出しながら、アレンは再現された教室での出来事と、パンドラと交わしたやり取りを一同に話すのだった。
*
「——なんだか疲れちゃった。けっきょく、ボス戦はしてないのにね」
ベッドにぼふんと座り込みながら、ノゾミはつぶやくように言う。
窓の外には月のない夜。今夜は薄く雲がかかっており、六万と五千の星明かり——世界のループ回数を示す星々の光も街に届いてはいなかった。
ここは初日からアレンが泊まる宿、『黄金の鉄の塊亭』の部屋だ。ギルドハウスでの話し合いのあと、既に陽も落ちかけており、各々に情報の整理をする時間も必要だということで、今日のところは解散となったのだった。
なお、初日にノゾミと相部屋にするのは今日だけと言っていたアレンだったが、なんだかんだでそのままずっと相部屋だった。もう少し男女の意識というものをしてほしいと思うアレンだったが、それだけ信頼してくれているのだと思うとうれしくはある。
単にこの幼女ボディのせいで警戒する気も起きないだけ、という線は悲しくなるので考えないことにしていた。
「色んなことがあったからな。ボス戦に挑むつもりが、自分と同じ顔をした相手に、第100層にいるはずのパンドラ……面食らってばかりの一日だった気がするよ。なんとか逃げ切れたのはネームレスのおかげだ」
「ネームレス。もうひとりのアレン……」
ふと、ノゾミはベッドに腰を下ろしたまま、窓の向こうを見る。やはり外界は夜闇に覆われ、星はろくに窺えない。
それでもノゾミは目を凝らして窓を見続ける。この場にいない、自ら犠牲になることを選んだ
「……どうなるのかな、これから。バベルを攻略しても、パンドラに勝てなかったら全部消えちゃうんだよね? アレンに出会ったことも、助けてもらったことも、この気持ちも」
「ノゾミ——」
振り向いた少女の目元は、あふれ出した涙で潤んでいた。
65535回の喪失。失われた出会い、削除された思い出の数々。アーカディアの真実は、ただの少女が背負うには残酷すぎた。
目が合うと、ノゾミは頬に流れた涙を拭おうともせず、隣のベッドに腰掛けるアレンへと駆け寄る。
そして、縋り付くように抱きしめた。
「おいっ、ノゾミ」
「忘れたくないよ。わたし、アレンのこと……っ」
「——」
引き剥がそうとした手を止める。アレンの小さな胸の中で、ノゾミは恐怖に震えていた。
それは死の恐怖、ゲームオーバーへの恐れではなく。ある種それよりもなお残酷な、ループによる忘却への恐れだ。
どこで出会い、なにを成したのか。そんな事実さえ、それが刻まれた世界ごと消し去ってしまう滅び。自身の記憶も世界の記録も、ともに廃棄物として闇に沈む——
そんなことがもう幾万回も起きてきた。たとえばユウの知る『前回』のアレンやネームレスはおそらくノゾミと出会っておらず、そのせいでアーカディアをゲームとして捉え、プレイヤーキラーとなった。だが、これらは全体に比べればごくわずかなサンプル、数値にして2/65535でしかない。ひょっとすれば、アレンがノゾミと出会い、こうしてかけがえない関係を築いたのはこれが初めてではないのかもしれない。
ゆえに、これから消える出会い、そしてこれまでに消えてしまった出会いを想えばこそ、ノゾミは悲しみに打ちひしがれるのだ。
「大丈夫だ、俺は忘れないよ。ノゾミのことも、ノゾミのおかげで取り戻せたこの夢も」
「でも……! 『クラウン』の力を使っても、アレンに記憶を引き継ぐすべなんてない! このままだとわたしもアレンも、みんなも……全部忘れて、なのにそのことにも気付けないままアーカディアを繰り返すことになっちゃうよぉ!」
ユウが『前回』のことを覚えているのは、『クラウン』によってそのユニークスキルを強化したからだ。だが、第70層で遭遇したあのパンドラに甘さや手抜かりはない。一度してやられたことに対して対策を打たないとは思えない。
ユウとて、同じ方法で記憶を引き継ぐのはきっと不可能だろう。ユウもそれは気が付いている、そうアレンは考えていた。
「……そうだな。ネームレスは俺たちを逃がすとき、俺たちが全員でかかってもパンドラには勝てないと断言した。権能……管理者が持つあの特殊な力を、パンドラはいくつも有しているみたいだ。対策は容易じゃない」
「アレンでも、無理なの? じゃあ……諦めるしかないの?」
「いや」
不安げな肩を抱く。遺憾にも幼女になってしまった体では、背中に腕を回したとてノゾミを包み込むことはできない。だからアレンはそのぶん力を込める。肩の震えが、その胸の中にある恐れが、払拭されるようにと。
強く、強く——
「希望を探せ、とネームレスのやつは言った。あいつはまだ諦めていなかった。だったら俺が諦めていいはずがない。あいつを偽物だと断じた俺が、『アレン』が、膝を屈するなんてありえない」
「希望なんて、あるの? この残酷な世界に、そんな奇跡みたいなものが」
奇跡、まさにその通りだ。ゲームプレイヤーがゲームマスターに勝るなど、あってはならないこと。不可能を可能にするようなそのルール破りを起こそうというのだから、それは奇跡にほかならない。
「見つけるよ。どれだけ遠い奇跡でも俺が必ず手繰り寄せる。あの時言っただろ、ノゾミのことは俺が守るって」
「————、ぅ……」
アレンがアーカディアに来た初日。ゲームオーバーレコードの前で交わした約束は、まだアレンの中にある。
もうマグナはいない。解散した〈エカルラート〉がノゾミを狙うことはない。裏で糸を引いていた〈解放騎士団〉も、団長と副団長がゲームオーバーになったことで消え去った。
けれど、まだノゾミを脅かすものがあるのなら。それがこの歪んだ箱庭のルールそのものであるのなら。
「
「っ——う、ぁあ————」
静まり返った宿の一室に、少女の泣き声だけが響く。
触れ合う体温は熱く。不安を溶かすように、アレンはそのままノゾミの体を抱きしめ続ける。
箱庭の崩壊まであとわずか、最後の時を刻む前にアレンは約束を更新する。管理者や、それ自体を創った存在が定義する理に比べれば、その誓いは吹けば飛ぶような、なんの保証もないただの口約束だ。
しかし『鷹の眼』は、その約束を守るために全霊を尽くすだろう。
ノゾミのことを抱きしめながら、アレンは何気なく窓に目をやる。先ほどノゾミが眺めていた窓の外は、やはり夜闇に雲が被さり、月もなければ星も見えない。
一縷の光さえない闇、それは
(……幾度となく続いたループ。だが、それも今回で終わりにしてみせる)
それでもアレンは
夜が更け、やがてノゾミが泣き止むまで、ふたりは体温を均し続けた。